京都の近代 山本覚馬





近代国家の礎は教育にあり 京都府の顧問を免職される2年前の明治8年、新島襄からキリスト教主義の学校建設の相談を受けた覚馬は、譲り受けていた薩摩藩邸地6000坪を襄に譲り、建設に反対の京都勢力の大合唱の中、槇村正直の首を縦 … 続きを読む
近代国家の礎は教育にあり 京都府の顧問を免職される2年前の明治8年、新島襄からキリスト教主義の学校建設の相談を受けた覚馬は、譲り受けていた薩摩藩邸地6000坪を襄に譲り、建設に反対の京都勢力の大合唱の中、槇村正直の首を縦 … 続きを読む
歴史を作る出会い、決別。 戊辰戦争で「賊軍」の汚名を蒙った会津藩の藩士山本覚馬が幽閉から解放され、大参事(知事)・河田佐久馬(元因幡鳥取藩)の下にある京都府の顧問に抜擢された明治3年(1870年)頃、新島襄はどうしていた … 続きを読む