京都御苑 春一番を歩く

もうすぐ春ですね

立春を過ぎ、冬の終わりを告げる風を「春一番」という。
二月の中頃から下旬頃の最初に吹く強い風で、湿気を多く含んでいる為、雨を伴うことがしばしばである。
この春一番が吹くと、たちまち木々の固い芽も綻び始める。
春二番はご存知だろうか。春一番のあと寒さが戻りまた暖かくなり、花が咲き始める頃に吹く強い風を、そう呼ぶらしい。
すると「弥生三月」になっているという。「弥生」は、草木が「いや、生い茂る月」だから、そう名づけられたと聞く。

北野天満宮の梅苑が公開され、城南宮の神苑春の山が公開されると、京都御苑の梅も綻び花開く。御苑の南西に位置する梅林には約200本の梅の木があるが、一斉に花開くわけではない。
2月中旬に見頃満開となる梅もあれば、固い蕾のまま緩まない梅もある。
2月下旬頃になると大方の梅が開き出しているので、梅林一帯が紅白の花々で華やぐのである。

その色は深紅と薄紅と白との三色が見られる。蝋梅の黄色は梅林やその周辺にはない。近衛邸跡西の児童公園のところで、梅林に先立っていち早く咲いている。

梅林にある梅のほとんどは高齢者らしい。御苑には沢山の大木があるからか、高齢者の梅も青年か壮年のように思ってしまう。

しかし、その梅林は昭和20年代に京都各地の神社から譲り受けて育てられたものだと聞く。戦後、皇室苑地が国民公園として解放されることが閣議決定されてからのことである。新芽のついた穂を持ち寄り接ぎ木して、自然と触れ合える薫香漂う華やかな一角を作ろうとしたのである。

今では蛤御門を境に、南側は梅林、北側は桃林となっており、近衛跡の糸桜などとともに、御苑内で三春を愛でることできる。立春から桃の節句、春分から花見酣まで、春を感じる市内の絶好の緑地で、安らぎ寛げて、かつ安全に散策できる公園となっている。   

昼休みに気分転換を兼ねて、御苑を歩くことにした。
地下鉄御池駅から一駅乗車して丸太町駅で下車し地上に出る。北東角の公番所を東へ堺町御門から御苑に入ることにした。京都御所正門である建礼門の前から南に延びる大通りに出入りする門だからである。京都の祭礼で御所を出発点とする葵祭、時代祭は、堺町御門を使用している。

堺町御門を潜った。「なんと御苑の空は広いなぁ、大きいなぁ。」
春霞がかかったように遥か向こうに建礼門が見え、その背後に北山連峰が控え、砂利の敷かれた沿道を挟むように、芝生と松が両脇に並行して並んでいる。
手前右手の、旧九條邸内にあったと伝わる「黒木の梅」が紅色に開くと、その大きさ枝振りから更に際立ち、御所に似つかわしい春景色となる。
遅咲きの梅ではあるが、久々に雪の多い年であったせいで、蕾がまだまだ固いようだ。
あと10日も待てば、艶やかな紅色を誇らしげに開かせてくれるだろう。

自転車が止められている。近隣の子供たちがボール遊びに興じている姿があった。
その左手では、沿道を使って陸上部の学生が懸命にトレーニングする姿もある。

左に続く道は「出水の小川」へと進む道だ。入口附近で、枝を四方に伸ばす大きな白梅が光り透かすように花を開かせている。八分咲きぐらいだろうか。
梅だよりの情報では、ちらほら咲き、五分、七分、満開、散り初めとの五段階で報じられるが、一本の木で言うとき、界隈の梅を総じて言うとき、未だにこれらの定義が分からず、雰囲気で伝えてしまう悪い癖が未だ治らない。
兎に角、白く光り輝いていて綺麗で見頃だ。

「出水の小川」へ向かう前に、御苑の南西部に残される旧九條家の遺構を回って、東洞院を北上していくことにした。
遺構は五摂家(近衛家・九條家・二条家・一条家・鷹司家)の一つ九條家の屋敷内に設けられた庭園九條池と茶室拾翠亭である。
貴族らしい遊び心にあふれた建築や造園は、安永7年(1778年)頃、東山を借景とした眺めを第一につくられた茶室で、今も釜がかけられ、春秋の金曜と土曜日は一般公開されている。

九條池に架かる高倉橋から眺めると池の中ノ島に「厳島神社」が見えるが、それは祭神宗像三女神(むなかたさんじょしん)と祇園女御(ぎおんのにょご/平清盛の猶母)が合祀された九條家の鎮守社である。
池には、早春の陽射しを浴びた青鷺や鴨などが遊び、時の流れを忘れさせてくれる。

このほか、御苑内には藤原北家の一族、花山院家の鎮守社として、邸内に祭神宗像三女神と天石戸開神(あまのいわとわけのかみ)と倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が合祀された宗像神社と、西園寺家の鎮守社として、邸内に祭神妙音弁財天と称する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る白雲神社が、今も残る。

このように、京都御所を取り巻く京都御苑は、明治維新まで、宮家や五摂家を筆頭とする公家の邸宅が立ち並ぶところで、その数は二百にまで及ぶものであった。

九條邸跡の西、御苑の西南角には宮家の閑院宮邸跡があり、修復整備され無料公開されていた。明治維新によりほとんどの宮家、公家は東京に移り住み、御苑内に残るものはない。

その北側に続く東洞院の沿道に長い築地塀と森とに囲まれところが宗像神社である。
後の太政大臣藤原冬嗣が延暦14年(794年)に、平安京の守護神として創建した神社で、境内には市内で最高齢の大樹のひとつ、樹齢600年の大楠がある。
ひと目見ておこうと参詣し、神社を通り抜け、その北隣にある出水の小川に出た。

犬の散歩に訪れる近隣の人に何人も出会った。甘酸っぱい香りを放つ清々しい紅白の梅が満開になっている。その香りに散歩の人たちもつい立ち止まる。
カメラマンはレンズ越しに匂いを切り取らんぞとばかりに近づく。行き交う人は、紅梅と白梅を交互に嗅ぎ、何れの香りが良いかと問答している。

小川沿いに梅林を目指した。せせらぎの音が聞こえる。小鳥たちに出逢う。
桜が多い出水の小川あたりにも数本の梅がある。
御所水道から導水して作られた小川は現在、井戸の地下水を循環させて流れが維持されているから、小鳥たちも時折水辺に下りてくる。
道なりに進めば、この北側に梅林が間近である。

ところどころに赤く白く見えてきた。色鮮やかに華やいでいるところに人が集まっている。全体的に見れば、ちらほら咲きと呼ぶのが正しいかもしれない。
桜の花なら満開見頃が一番かもしれないが、梅林に入ると、そう思えない。
梅の花は満開が見頃ではないようだ。

こちらの枝、あちらの枝と、目を凝らして見ていると、五分咲きの枝が愛おしくなってくる。開花した花が数輪ついていて、開き出しそうに柔らかな膨らみと少し固そうな蕾がついている枝か綺麗だと思う。
少し鼻がくすぐったい。

甘酸っぱい香りが皮膚でも感じ取れる気がした。桜にはないことである。
視覚に訴えてくるのが桜なら、梅は視覚でも嗅覚でも、皮膚にまでも春の信号を送ってきているのである。

梅林の中を潜り抜けると蛤御門である。
北側に桃林が見える。まだ固く小さい蕾だった。
一ヵ月後には梅とバトンタッチをするのだろう。

帰路蛤御門で振り返った。御苑の春の寿ぎを毎日見物できるのは、御所と大文字のようである。
次を挙げろと言われれば、枝を飛び交うメジロと、ベンチに腰掛け読書している老夫婦に違いない。

弥生となれば、上巳の節供、桃の節句、そう雛祭が待ち遠しい。
元来、雛人形を飾る「桃の節句」は旧暦3月3日であるから、春分の日を過ぎた現在の3月末から4月始め頃に祝っていたことになる。これぞ正に「桃の節句」である。
現在の3月3日なら、梅の節句と言い換えた方が時節に合う。

町の人形店の前では、如月二月から都ぶりゆかしい雛人形がこちらを覗っている。
そして、京の老舗の人形店では、春分の日を過ぎた旧暦の桃の節句まで雛人形が飾られている。

これも誇れる古都たる京暦の由縁である。