京の水無月花暦

禅師も心奪わる梅雨時の花たち

六月の足音はさつきとともに訪れる。
神社仏閣の庭園に行かずとも、家の庭先や玉造のさつきの植え込みが開花とともに知らせてくれた。

白に紅に薄紅の鮮やかな花の色。
葉の上にちらほら咲かせているもの、葉を覆いつくすように咲かせているもの。
通り道で毎日出合うさつき達を眺めていると、日ごとに表情を変えているのがわかる。

しっかりと刈り込まれたものほどさつきの綺麗さが際立っているから、小生宅の花木は等閑にされていることに気づく。

その頃より公園や道端では、キョウチクトウ(夾竹桃)が八重咲きの桃色の花を付け出し、俄に辺りが賑やかになってくる気がする。葉がタケの葉に似て花が桃の花に似ていることからこの名がついたそうだ。
常緑で世話要らずの上、どんなところでも生育しているが、花の時期にしか気がつかない花木である。残暑まで花を咲かせているので、ひまわりに次いで小生が夏の訪れを感じる花である。

ところが、観賞して楽しまれている様ではなく、花暦にも登場しないばかりか、猛毒性があるのに、それを知る人は少ない。箸や串がわりなどにして口にすることは禁物である。燃した煙に触れてもならない。
それを知っていても、妙心寺境内で一重の白い花を見つけたとき、そのキョウチクトウを思わず手にしたくなった。まことに不思議な花である。

さらに花菖蒲や睡蓮、紫陽花の話題が出始めると、小生が気になりだすのは西洋露草とヒペリカムである。
家々の外垣の花壇に黄色の花を見かける。
初めて見たときに、庭の手入れをされていたご主人に、その名を尋ねたことがあった。

「ヒペリカムですよ。金糸梅はご存知ですか? 西洋金糸梅なんです。・・・おしべが・・・」と、教えて貰ったのをそのままに、まる覚えしている。
黄色の五枚の花弁は丸みをおび、少し外に開き、真ん中のおしべがぎっしりと長く立ち広がっている、これが特徴であった。
以来、この時季に黄色い花をつけた花木を見つけると、然も知っているかのように、ヒペリカム(西洋金糸梅)を口にして悦にいっていた。

ところが、同時期にこのヒペリカムと瓜二つの黄色の花木があったのである。
「びようやなぎ(未央柳・美容柳・美女柳)」というらしい。祇園白川の川べりに咲いていた。

咲いているときの違いは、びようやなぎの花びらは間隔を空けて咲き、少しよじれ気味だという。何れもおしべが長いのは共通していると、近所の旅館の女将が話してくれた。
さらに、花びらを落とすとヒペリカムは赤く目立つ丸い実をつけ、びようやなぎは色が変化してゆく細長い実をつけると教わった。

花を指してヒペリカムなどと口走ったお蔭で、突然の園芸講習の始まりである。

同じ金糸梅であっても日本の金糸梅は、ヒペリカム(西洋金糸梅)と違いおしべが短く、黄色の花びらが小さく丸く咲くと続けられ、ヒペリカムに似たびようやなぎを金糸桃(中国名)とも呼ぶなど、どうでもよくなる位に丁寧に詳細に説明してくれるのである。

小生が解り難そうな顔をしていたのか、最後には「丸い実をつけるのが梅、金糸梅。
尖り気味の細長い実が桃、金糸桃の『びようやなぎ』、こう覚えるとよろしい」と。

一度聞いたぐらいでは、ずぶの素人に分かる筈はないが、その人懐こく親切な人柄に応えようと思った。

「祇園で見たのが美女柳、びようやなぎの金糸桃。通り道のご主人は、丸い頭で赤ら顔、西洋金糸梅のヒペリカム。」

小生はこう繰り返し、今年からは黄色の花木を見ることになった。

その金糸梅達がめだちはじめる六月中頃になると、紫陽花とともに追いかける花が二つある。

真如堂や法金剛院などをはじめとして、京の寺院では大方見られるように思う。
いや、寺院に行かないと見ることが少ないといったほうが正しいだろう。

一つは菩提樹である。そして、もう一つは沙羅双樹である。

前者は、釈迦がその木の下で「悟りを開いた」と、夙に知られる菩提樹。

後者は、釈迦がその木の下で「入滅された」と、涅槃図にまで描かれる沙羅双樹。

ところが、寺院で観賞する花は、いずれの花も日本独自の菩提樹、沙羅双樹の木なのである。

釈迦が悟りを開いたのはインド菩提樹の下、また、入滅されたのはインド沙羅双樹の下で、いずれも高木熱帯樹であって、日本の風土では育たないものである。

約八百年も昔に、栄西禅師が間違えて菩提樹を持ち帰ったとの説など諸説あるが、もし間違えたとしても、八百年以上も続けば意味を持ち新たな信仰として説得力も生まれてくるものである。

大先人が間違えるほどの樹木の花に、興味を惹いて観賞にでかけても損も不思議もない。むしろ、見るに値するものと考えたい。

沙羅双樹も日本にはなく、その昔帰国した僧侶が山でみつけた花を沙羅双樹と間違えて広めたと伝わる。それは、すっきりした白色がきれいな五弁の花で、花びらの縁は細かい鋸状のギザギザがあり、椿の花の様な形である。

日本の寺院で呼び習わされたその沙羅双樹は日本自生の夏椿であった。

その夏椿に、釈迦入滅の様を重ね、見たことのない沙羅双樹としたと考えられる。
また同様に、栄西禅師は類似の桑科の菩提樹に、釈迦涅槃を見たのであろう。
そう考えるのが自然と理に叶う。

真如堂御影堂前に、菩提樹の大木がある。

薄飴色の小さく目立たない翼のような花をつけている。

これを目前にして、何を感じ取るかは各人各様であって良いだろう。

水無月に咲く花を観賞することには変わりはないのだから。

あげれば京の花暦はまだまだある。
京鹿子・蛍袋・鉄線・オカトラノオ・ニワナナカマド・くちなし・夏萩など。
あなた自身の花暦にする花との出合いを見つけに行かれまいか。

否。季節を問わず、花粉が「我が世の春」とばかりの御時世である。花粉症の四苦八苦を慮(おもんぱか)らず花を愛でよとは、悟りが足りないだろうか。