京の春祭/ 紫野御霊会 今宮神社

さぁ、五穀豊穣、春祭りの始まりやでぇ

5月3日、下鴨神社で葵祭の前儀流鏑馬の神事が行われているとき、伏見稲荷大社稲荷祭の神輿が東寺道の御旅所から、東寺を経て稲荷大社へとおかえりになる。
5月5日午前、下鴨神社での歩射神事、午後の上賀茂神社での賀茂競馬(かもくらべうま)の神事が行われているとき、同様に、市内各所の氏神さんで神幸祭が行われている。

いずれも由緒のある歴史のお祭ばかりであるが、葵祭の前儀となる前出の神事の陰にあり、その氏子町の人しか知らないお祭りかもしれない。

観光協会との関わりが浅く、観光客誘致を思慮していないからこそ、京都人としての真の祈りや願いが込められた、連綿と続く手づくりの自分たちの祭りなのであろう。

伏見深草の藤森祭は神輿渡御のほか武者行列に鼓笛隊があり、室町時代以降の時代行列を伴った駈馬(かけうま)神事は1200年余の伝統を持ち、上賀茂神社に勝るとも劣らない駈馬を見せてくれる。
駈馬は早馬ではなく、「手綱潜り」「逆乗り(地藏)」「矢払い」「横乗り」「逆立ち(杉立ち)」「藤下がり」「一字書き」などの技が、境内の参道馬場で披露される。

修学院の鷺森神社神幸祭は、宵宮の黄昏時、仄暗い夕闇の中に舞楽「迦陵頻」や「祓神楽」が奉納され、神輿が氏子地域を夜の暗闇に巡行する。
明けて翌日の神輿巡行には、「サンヨレ」と呼ばれる子供達が御供をすることから、「さんよれ祭」とも呼ばれると聞く。未だ見たことがないが、着物姿に紅だすきをかけた菅笠姿の男の子がお囃子とともに「さんよれ、さんよれ」と掛け声をかける姿を是非見てみたい。

他にも、一乗寺下り松は八大神社の「剣差し」に「大風流花笠」が古式に則って荘厳華麗に執り行われ、、今熊野の新熊野神社では鳳輦(ほうれん)に鼓笛隊、稚児武者の行列、里神楽や獅子神楽が見られる。などなど各地にいずれ劣らぬ春祭がある。

毎年、いずれかの祭には出向いているが、今年は「今宮祭」である。

先月の「やすらい(安土)祭」に続いて、今宮神社参詣は今年二度目となる。
それは、全身を緋一色に装い、赤毛と黒毛を振り乱し鉦と太鼓を打つ大鬼が乱舞する、京都三大奇祭のひとつだった。
平安の昔、船岡山で疫病を鎮めるための「紫野御霊会」が行われたことに始まるところから、「やすらい(安土)祭」と呼ばれる。いわゆる鎮花祭である。

その「紫野御霊会」に始まり、疫病の神として正暦5年(994)船岡山に創建され、今の地に移ったのが、現在の今宮神社である。
祭神は本社に大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、および疫社に素盞嗚尊(すさのをのみこと)が祀られる。

一条天皇(980〜1011年)は、「御霊会今宮祭」を官祭とし、中世まで長らく官祭として執り行われてきた歴史を持つ。
近衛天皇の久寿元年(1154年)四月、京中の民衆の今宮詣が余り華美に過ぎるということから、「夜須礼(やすらい)」への参詣が禁止された。その後応仁の乱を経て衰退復活を繰り返し、近世に入っての「西陣」の抬頭と桂昌院の肝入りにより元禄期に再び復興し、江戸時代を通じて往昔のような華やかさと賑わいを取り戻したと伝える。

こうして、「今宮祭」は、いつの世も西陣とともに苦楽を共にして、町衆による「西陣の祭」として氏子町に支えられてきたようである。

紫野船岡山北側にあたる北大路通今宮門前の交差点を北に入ると鳥居がある。
その鳥居から今宮神社までの南北の通りが今宮門前通で、楼門前の東西の通りが今宮通である。右手東側は全て大徳寺の境内のお蔭で、閑静な門前通が保たれ癒されるところである。

新緑の並木の先に朱の楼門が見えた。
楼門前は黄金色の光を放っている。そのまわりを白く動くものがある。
近づくにつれ、その正体が分かりだす。大宮神輿とその與丁たちだった。

出御には間に合ったようだが、逸る気持ちは小生を足早にさせ、終に、神社に向かう荷鉾(にないぼこ)を追い越してしまった。

神輿の屋根先に八羽、中央に一羽、合計九羽の鳳凰は緋色の房を咥え立っている。
ピカピカに光る八角の神輿は豪華絢爛である。大宮神輿の世話役に声をかけた。

「京都一番の細工ですわ。昭和51年にすっかり直しましたんや。35年なりますが褪せませんなぁ。よぉおますやろ。」

西陣の氏子の力で、3年の月日をかけて、中神輿、大宮神輿、先神輿の三基が大修復されたのである。
古記に、「正暦5年(994)6月27日疫神を鎮めん為、御霊会を修し、木工寮神輿二基を造り船岡山に安置す。これ今宮祭の始まりなり」とあるらしいが、千年を超えて御霊を受け継いできているのである。

境内では巡行の整列が確認されていた。本殿前では神輿を先導する剣鉾のお祓いが行われている。祇園御霊会の神泉苑に立てられた剣鉾と同じ由来を持つものである。京都の祭りに剣鉾はつきもので、独自の祭具なのである。

ふれ太鼓が鳴り出した。出御である。
神幸列の順序は、車太鼓を先頭に、剣鉾、八乙女、伶人、御神宝、相殿の牛車、神輿三基の順で御旅所まで渡御する。

「相殿の牛車」は葵祭や祇園祭でも見ることがないもので貴重な存在である。
桂昌院に因んだ「玉の輿」は、マネキンが乗せられていて大変ユーモラスであったが、是非「桂昌院代」を選び、二つとない最高級の西陣織の打掛を着せて貰いたいところだ。

流石に西陣の祭りであると思ったのは、八乙女に随伴する母親の着物姿である。
傍で見ると明らかに身に着けている着物の質が違う。勿論カジュアルウェアの母親などいない。ハレの正装は未だ常識なので安堵した。

暫く巡行について歩いた。楼門前の今宮通の上り坂をのぼり、千本通を左に北大路の交差点を左にと、順路に従い大宮通の今宮御旅所に向かうことになる。
交差点で神様の乗られた神輿が、信号待ちをすることになった。警察官は信号を青に変えようとしていない。小生に言わせれば冒涜である。西陣の人は現代的な良識ある人たちなのだろうか。小生は神様が人に従うのは滑稽であると断じて思う。

滑稽なことがもう一つある。
今宮神社の「あぶり餅」ばかりが情報誌に取り沙汰され有名であるも、如何に美味いあぶり餅であっても今宮詣の門前茶屋の菓子である。「一和(一文字屋和輔)」や「かざりや」を知っていて、「今宮神社」を知らないでは主客転倒している。
いかにも面白く、平和なご時世である。

今宮神社
http://imamiyajinja.org/