洋館を訪ねて4 三条四条間

「ポスト千年の都」近代の象徴を受け継ぎ、平成京都人の心意気を。

御幸町三条のアートコンプレックス1928を後に、四条通を西へと洋館を探すことにした。なかなかすぐに思い当たる建物が浮かばない。同じ繁華街なのだが、三条通と四条通では様子が違うことにあらためて気づくことになる。

鴨川の傍には、東華菜館やレストラン菊水、更に東ならエンマ(旧村井銀行祇園支店)などといくつか思い浮かび、円山公園の長楽館まで気持ちが弾むのだが・・・やはり西は思い当たらない。

大丸もレトロな洋館の面影は残り少ないし、四条烏丸までで是非レトロな洋館を見つけたいのだが。足取りが少々重い。
四条通では駄目だと思ったとき、思い出したのが「革島医院」、御幸町六角から麩屋町蛸薬師を目差した。

麩屋町通を下がると、三角屋根と円錐状の尖がり屋根が見えてきた。
あれだ。ヒマラヤ杉の大木が目に入る。次に青々とした蔦の絡まる外壁が、そして、レンガ積みの門柱とその上に付けられた街灯である。

到着した。とてもご機嫌な気分になってくる。
木造3階建の外壁は大丸ヴィラと同じハーフティンバーである。
外壁に蔦が絡み痛まぬように、鉄製の格子枠が壁に沿って蔦用に設けられていた。
以前には見かけなかったものである。近年に養生されたときに設けられたものであろう。

正面左は、円筒形の塔屋と尖がり屋根で革島さんの住居となっていて、アールになった窓の部屋は応接間である。 正面右は、開口部の大きく取られた出窓風の階段室となっていて、出っ張りのある立ち上がりに三角屋根である。その左右を繋ぐフランス瓦も特徴的である。
全体は中庭を取ったロの字型に建築され、住宅部分と医院部分が繋がれた造りになっている。戦前の富裕層の上質の生活の香りが漂い、タイムスリップしてしまいそうである。

革島医院はあめりか屋京都支店(高倉六条)の首藤重吉の設計により、1935年(昭和10年)に竣工した素敵な建物である。このほか、京都に現存するあめりか屋の設計は、金閣寺の管理する北山文庫(旧加藤伍兵衛邸)がある。

さて、これからどう町歩きを続けるかと思いを巡らした。東洞院六角下るにファザード保存されたウイングス京都がある。小生のオフィスの町内なのにうっかりしていた。早速に御射山公園の方へ向かうことにした。これで後のコースは決めることができた。
ウイングス京都からフローイング・カラスマへ、そして四条烏丸の銀行である。

歩きながら考えることは、やはり四条通のことである。
青春の頃には、確か寺町四条北東角に、レストラン菊水の2号館があった。背の高い円屋根の塔の上に旗がたなびく東華菜館のような建物だった記憶がある。そして、堺町四条北東には、重厚な石張りの日本信託銀行もあった。四条通にはチンチン電車が走り、道路より一段高くなった石造りの電停もあった。
父に尋ねると、「明治に洋館が立ち並んだ三条通に負けまいと、大正以降に建てられた豪華な洋館建ての店が、終戦後も四条通には目白押しやった」と、いっていた。

もう今は、その建物は建て替えられ見る影もなく、地方都市の繁華街と変らなくなり、文化や情報の発信とは無縁のコンクリートの塊が置かれているように思える。至極残念なことである。

そうこう思って歩いていると、緑の屋根が見えてきた。
西側一面がファザード保存されたウイングス京都(旧京都商工銀行本店)である。藤森松太郎(清水組)の設計により明治41年(1908年)にレンガ造の銀行として竣工した。
すっきりとした五つのアーチ窓に建物の象徴となるオーダー(柱頭)はイオニア式が用いられ、その渦巻模様と細くしなやかな柱からクレバーな印象を受ける。
京都商工銀行は、明治19年に衰退した京都を活気づけるために、京都の実業家達により設立されたと記録に残っている。小生は「中京区役所」として使用されている時からしか知らないが、その後「中京青年の家」となり、現在は「京都市男女共同参画センター」として、各種会合などに使われている。

次に、六角通から烏丸に出て南へ下ると、烏丸通蛸薬師北西角にあるのが、フローイング・カラスマ(旧山口銀行/北國銀行)である。みずほ銀行京都支店と並び烏丸通の際立つ建物で、誰もが目を止める赤レンガの外観だ。
大正5年(1916年)の竣工で、辰野金吾・片岡安設計のフリークラッシックの鉄筋コンクリート造2階建である。レンガ造と思わせるほどの自然な外観仕上がりだ。緑青の尖がり屋根の更に上、鐘であろうか見慣れぬ窓が設けられている。
効率性を追求してきた現代建築の無機質な鉄筋コンクリート造とは対極にある文化も、この鉄筋コンクリート造は、その赤レンガ外観意匠で教えてくれている。

建物内は、カフェのほかにギャラリー、エステティック、ヨガ教室もある複合商業施設に、平成20年(2008年)にリノベーションされている。若者たちのイベントにも使われ、新しい息吹を感じさせられた

四条烏丸は錦通を越せばすぐそこである。西北角にあった三和銀行は取り壊され跡地が工事中である。一体どんな建築物が出現するのだろうか。簡素で平面的なビルであったが、日本一巨大な二本のオーダーは建物の4階部分まで聳え、そのイオニアの様式美を誇っていた。あの柱はどこへいったのだろうか。

超宇宙的な歴史に残るような現代建築なのだろうか、それとも、オーダーだけでも復元され保存されてるのだろうか。四条通だけにとても気になる。

例のごとくファザード保存となると、北東の旧三井銀行や南東の旧三菱銀行のようになるかもしれない。石の芸術が再現されると、往時の交差点の風格が取り戻され、荘厳な外観に囲まれるだろうし、南西住友信託銀行やCOCON烏丸のように個々の色合い特徴づければ交差点の顔は変るだろう。

その意匠は、個々の主張であるとともに、交差点の主張であり、界隈の主張であり、京都という町の主張となってゆくものである。
陳腐な意匠の建物だけにはしてほしくないという願いは、市民の願いでもある。

千年の都が都でなくなり文明開化を迎えて以来、京都に新時代を築こうとした先人たちの心意気を語っているひとつが洋館だとすれば、平成を生きる京都の心意気をどう表わさねばならないのだろうか。

後世に受け継がねばならない、失ってはならない風景は、心の風景を具現化したものであると小生は考えたい。

京都の近代建築を考える会
http://www.mars.dti.ne.jp/~nakagw/kingo/youbou.htm#tokyoto