ご利益はぽっくり

諸行無常なれど、針や管に頼りたくはなく

給料明細を見るたびに、控除されている厚生年金や介護保険料などの額に驚き嘆いている。

積立金なら取り崩すなり、引き出すなりできるのだが、相互扶助の国民の負担費用であるというから、それも儘ならない。

誰からも「ありがとう」と言われた事もないから、相互扶助の実感も湧かないばかりか、今までに控除された総額が、将来に享受でき回収できるだろうかと考えてしまう始末である。

元来破廉恥な考えなのだが、それが自然な思考回路となり、挙句の果てに、支給されることなど政治や行政に行える筈がないと思っている。つまり、国家を信用できないでいる。
疲労した制度が無くせるなら、加入している制度から脱退できるなら、控除された額を今すぐ現金で還付して貰いたいと思っている。

還付が叶えば、箪笥預金しておき自己責任で老後を賄うか、寺院に賽銭として寄進しご利益を願うか、いずれかの方が精神衛生的には健康でいられるからである。

現在の介護保険料の額で、近代医学の介護を到底受けられるとは思えない。

もし、介護が必要となったとき、十分な施設で十分な介護を受けようとするなら、数千万円の費用を覚悟しなければならない試算も目にした。そんな蓄えなどない。

延命治療に要する費用は莫大だと聞く。そこまでして医療に頼り、介護や延命が果たして必要なのだろうか.。痛みなどの苦しみは取り除いてもらいたいと思うが、生きながらえることにこそ意味を置く現代医学に疑問を抱く。

週末から15日にかけて、今年も寺院で行われている涅槃図公開と涅槃会に寄せていただいた。

とはいえ、特に熱心な仏教徒ではない。実家に仏壇が有り手を合わす程度で、海外旅行をする度に、他国民の日常の宗教習慣に驚く、無宗教なごく一般的な現代日本人である。

釈迦の涅槃図を見て、教えをなぞる中、素直にそう思った。
将来医学に「尊厳死」の領域が必要なのではないだろうか。

涅槃会で見た涅槃図の「頭北面西右脇臥(ずほくめん さいうきょうが)の釈迦入滅の図の周辺を念入りに眺めさせていただいた。

釈迦は純陀という人が布施として差し上げた茸に中毒を起こし、激痛がおこると自らの死期を予告され、身を横たえられたまま、集まった人々を前にして最後の説法(遺教経)をなされたと伝わる。次には諸弟子に対して、入滅の後は戒本を師として、よく戒めを守り、五欲を慎み、静寂を求めて努力をし、定を修して悟りの智慧を得るべきことを示された。

この世に生まれたときから苦が始まり、煩悩や業や苦惑から解放される道を知ることが生きることの意味で、入滅は浄土であると教えられた釈迦の最後の教えは、「智慧の光明によって無明の闇を除くべきこと」、であった。

寺院により、また時代により、描かれる涅槃図には少しづつ違いがある。描かれるときは涅槃経の経本に基づき、作者の解釈で表そうとするものに変化が出ているようである。

入滅の日は中央の最上部に描かれている満月の時である。月の満ち欠けは時を表しているが、紀元前5世紀頃の3月の満月の日(旧暦2月15日)を試算すれば、諸説ある入滅日が計算で立証できないものだろうか。

その満月の左右いずれかに、お供を従えた釈迦の生母「摩耶夫人(まやぶにん)」が雲に乗って降下されてきている。80歳で入滅された釈迦の生母であるから、黄泉の国からやってこられたこととなる。最後の説法には間に合わなかったのかどうか。

その下あたりには、経本にある「東西南北一双の沙羅双樹」が描かれ、時ならぬ花をつけているものや、悲しみのあまりか枯れて白くなっているものがある。四枯四栄、つまり、四本は釈迦の最後の説法が終わると直ちに枯れ他の四本は栄えたことが表され、釈迦は死すとも(四枯)、仏法は後世に残り栄える(四栄)を意味していると解説されている。

一双の沙羅双樹の本数も作者により異なる。インドの涅槃図では二本であるが、日本の多くのものは、八正道を象徴した八本の沙羅双樹である。

その内の左手のほうの低木の一本に仏鉢(革袋)が掛けられている。枕元に置かれた図も見たことがある。その袋は水を入れた革袋とも薬を入れた革袋とも諸説ある。

革袋に見えるものは「法衣、鉢、錫杖」などで、枝に掛かるそれらを見て、摩耶夫人が「今、これらの仏の持ち物は残りて、その主なし」と嘆かれると、釈迦は神変して棺より現れ、無常を説法されたとする平安時代後期の作、「釈迦金棺出現図(京都国立博物館蔵)」も残されている。

登場人物や鳥獣などの説明は紙幅の関係で次の機会に譲るが、このように諸説を産み、描き出される釈迦の入滅は悟そのもので、無常の象徴を涅槃図の各所に絵解きされているのだろう。

生まれ故郷に向かうクシナガラの河の傍で、駆けつけた慟哭の多くの縁者に看取られて、安らかな表情でいるのは、どの図も入滅された釈迦自身であった。

涅槃会の数日後にやってくるのが彼岸会で、春分の日と呼ぶようになった彼岸の中日は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日で、この時に西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せ、あるいは先祖供養し、生を終えた後の世界を願う日本の浄土思想に由来した行事である。

社会に貢献、家族を養ってきた高齢者が、社会や家族に迷惑をかけたくないと願うのはどこか淋しい限りだが、昨今の国の高齢者医療の負担減や高齢者の介護福祉の不十分さを考え合わせると、自宅の畳の上で、ぽっくりと往生できればとの考えに同調できなくはない。死に急ぐことはないのは当然だが、浄土に行き遅れることもなく旅立てる選択もさせてもらいたい。仏涅槃図の釈迦の表情が浮かぶ。

病院にも老人ホームにもないが、「ぽっくり逝かせてくれる」というご利益を謳うお寺がある。

円満・安楽の境地を用意している京都の「ぽっくり寺」は「泉涌寺即成院(せんにゅうじそくじょういん)」で、那須与一の墓地があり、秋の「二十五菩薩のお練り」でもお馴染みの寺院である。

泉涌寺の大涅槃図に参詣した帰りに、「泉涌寺即成院」に立ち寄った。彼岸法要が執り行われるとのこと。

病苦や介護の苦なく、ぽっくり・ころりを願う方は「ぽっくり寺」こと「泉涌寺即成院」へお出かけの程。

即成院
http://www.gokurakujyoudo.org/

釈迦金棺出現図 (京都国立博物館)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/butsuga/item01.html