盆の灯り 東大谷万灯会

色色色色色、また色で空知らず

西の空が暮れなずんでくると灯りが点りだし、閉門まで一帯は仄かに明るい。
東山山麓にある円山公園近くのそこは、夜の酒場ではない。夜の墓場である。
その墓場は最高に綺麗な夜景を3日間届けてくれる。

お盆の時期には、昼間に墓参の人の姿もあるが、真夏の暑い陽射しを避けて少しでも涼しい夜間にと、万灯会に墓参の行列は絶え間なく続く。
火の玉も、幽霊も、おちおちと出てくるわけにはいかない墓参者の繁華街なのだ。

とはいえ、先の見えない夜の闇と燈明が揺れるほかは、微かに人影を写しだす以外、全てを消し去り幻想的な空間に変わる。

この境内墓地に参拝者の足元を照らす提灯が吊るされ始めて、今年(平成23年)で50年目を迎える。
お盆参りが少しでも涼しい夜間にできるようにと提灯が灯されたことに始まり、今では「東大谷万灯会」と呼ばれ、墓参者にとどまらないお盆の風物詩となっている。

若いカップルや家族連れの夕涼みの浴衣姿なども見られ、墓碑と墓碑の間に見晴らしの良い場所を見つけ陣取り、揺らぐ万灯の灯りに包まれて、市街地の夜景や、遠く西山の山並みを眺めている光景に出あう。

日中の暑さが嘘のように風が流れる宵だった。ゆっくりと穏やかに時が流れていた。

八坂神社南門を出た左手に、石畳が敷かれた幅広い参道が東山山麓に向かってつけられている。もうそこは大谷祖廟境内である。
大きな石碑が建つ。石碑の前でゑびす屋の人力車が客待ちしているところだ。

それより東に続く緩やかな坂道は、普段なら会う人さえ稀で、歩くのが照れくさいのか、他所の敷地に用もなくと憚るのか、要領を得たものしか踏み入り難い坂道なのである。境内には真宗本廟収骨所と東大谷墓地がある。
しかし、お盆の日ばかりは門徒ばかりでなく、多くの人がこの道を上って行くのである。

大谷祖廟は、親鸞聖人入滅後10年の文永9年(1272年)、それまでの親鸞聖人の墳墓を改め、廟堂を建てて親鸞聖人の御影像を安置したのが起源である。
その後、いくたびかの移転等の変遷を経て、本願寺の東西分派後の寛文10年(1670年)、墳墓にほど近い場所に祖廟として造営され、延享2年(1745年)には八代将軍・徳川吉宗から一万坪の土地を寄進されるなど拡充を続け、東山山麓にその信仰の法灯を絶やさない。

松並木に囲まれた石畳を行くと、石段の上に「総門(表唐門)」が待ち構えている。
「親鸞聖人の御廟でございます。おこころ静かにおまいり下さい。」との立て札が、総門の大提灯の傍にあった。

総門を潜って直ぐ左手は「太鼓堂」で、更に石段を上り右手へ、真っ直ぐ進めば東大谷墓地へ出る「南門」、左側に「本堂」を見て急な石段を上ると「御廟」がある。
御廟の南側一帯は鐘楼と塀を挟んで、東大谷墓地が広がっている配置である。

園児の自由闊達な絵が描かれた子ども提灯は、本堂横に処狭しと並んでいる。
そして、仏花を用いた花文字で「念仏」と装飾された供花が、青竹で囲まれた水槽の中央に置かれ、季節の花々を全部集めたかのように様々な花が、散華のように浮かべられている。

他にも、俳句提灯や企業からの献灯など、到るところに提灯が吊るされている。
中でも目を惹かれるのは、やはり「万灯会」と朱の文字が浮かぶ木枠の灯籠である。
中を覗いてみた。LED電球ではない。蝋燭が立てられていた。
ほっとした。これで穏やかな橙色の揺らめきに出合え、心が預けられると思った。

それほどに風情とは大事なものなのだ。仮に墓地内の燈明が太陽光夜間ライトアップになると想像するだけで、時代の趨勢とは言え、虫唾が走るのは小生だけではあるまい。

御廟にお参りし、南門へと石段を下りた。
逸る気持ちを抑えつも自ずから足早になる。墓地内の好位置を確保したいからである。
墓地の区画を歩く。東西南北の方向に高低差があって、斜面を上ると市街地が見渡せる。京都タワーが、八坂の塔が、祇園閣が背比べをしながら市街地を見守っているようだ。
陽が落ちはじめ、西の空がうっすらと暖色に染まりだしてきた。漆黒の闇がだんだんと近づいてくることがわかる。街の景色の色も変わってきた。

やがて、夜の帳がおりる。境内に灯る燈明の数は1万灯あるという。
この燈し火が、小生らに何を感じさせ、気づかせてくれるのだろう。

そもそも仏教の世界では、燈火燈明は闇を照らす智慧の光とされ、供養のひとつとされているという。智慧の光とは普段使う知恵とは区別され、心の迷い、煩悩を断ち切り、正しいこと間違ったことの判断を行う力を持つ灯りだとされている。

元来、この世に存在する全てのものの本質は皆「空(くう)」であることを知ると、実体と言うべきものは何も無く、その存在すら絶対視したり執着してはならないという哲学になる筈なのだが・・・。

未だ迷いの道を歩いていることに気づかされる。
この燈火が心の中にも燈(あかり)をともし、先祖の因果と共に救われ守護されんことを願わずにはいられない。

その場に身を置いて万灯を眺めていると、献灯された灯明と市内の夜景が、暫し京の平穏を教えてくれているように、心静かになってきた。

東大谷万灯会では、仏法聴聞の場として、万灯会お盆法要を厳修し、三夜連続で午後7時から一時間の法話がある。こういう機会にこそ、家族揃って耳を傾けたい。
そうすれば、少しは楽に暮らせるだろう。