狸谷不動院 千日詣り火渡り祭

ベタですが、やはり、心頭滅却すれば、、、

「たぬきだにのお不動さん」をご存じだろうか。
京都市内を走っている車の後ろに、「交通安全 狸谷山 追突注意」と書かれた赤いステッカーをよく目にする。
それを見るたびに、信仰の霊山と名の高いあの修験道大本山一乗寺狸谷山の修験者を思い出す。

一乗寺下り松から、詩仙堂、八大神社を経て、急な坂を上り詰めたところに受付と自動車祈祷殿がある。しかし、そこは、まだ山の中腹で、本殿へは徒歩で山道や石段を上がらねばならない。

昔は狸も出たかもしれないと思う杉や桧が生い茂る険しい参道を行くと、そこには宮本武蔵が心の剣を磨き、己に克つ不動心を感得したと伝わる「武蔵之滝」があり、滝に打たれて修業を続けた場として知られている。

狸谷のお不動さんで小生の記憶に強く残るものは二つある。
まず、舞台造(懸崖造)建築である本殿の佇まいで、魅惑の引力を感じる。

狸谷山を知るまで、京都の舞台建築の寺院は二つとばかり思い込んでいた。
一つは知らないものがいないといって憚らない東山五条の清水寺で、もう一つは花背にあって、知る人ぞ知る日本最古の舞台造建築の大悲山峰定寺(ぶじょうじ)である。
断崖に迫り出した舞台造の仏堂の写真を目にしたときは驚き、見るなり直ぐに狸谷山に赴いた。

山の険しさを征し、穏やかに且つ威風堂々と建つ姿は、何人をも迎え入れ、救いの構えをうかがわせる懐の深さを感じた。

その本殿の建つ場所は、享保三年(1718)、狸谷修験者の先駆となる木食上人正禅が17年間参籠された洞窟のある場所で、その洞窟は昭和19年(1944)より内陣となっていると知った。

本堂の舞台からの眺めは実に爽快で、山間から洛北が見渡せ、北山の峰々の一角に大文字送り火の舟形が見えた。ここは瓜生山(550m)の中腹にあたり、狸谷山とは山の名ではなく不動院の山号であった。

本殿に入った。
参道途中には信楽焼きの狸がいくつも置かれていたが、山号狸谷山とは、どういう謂れかと気になって仕様がない。ご本尊がお狸さんであろうかと。
あに図らんや、本尊は桓武天皇勅願により祭祀された不動明王で、「怒鬼(たぬき)不動明王」として、鎌倉時代建長年間(1249)に洞窟に安置され祀られていたのである。

明治の廃仏毀釈により、霊仏が草深く埋もれる歎わしい事態となり荒廃したのであるが、由緒ある霊仏の再現を強く願い、山を伐り道を拡げて信心の針路を打ち立て、大僧正亮栄和尚が入山され、宗派を超えた寺院を再興されたのである。

かくして、本尊の大威神力は、帰依する者の左右を離れず、衆生の願いに利益を与え、狸谷のお不動さんと親しまれる篤い信仰を集めたと聞く。

お不動さんは忿怒(ふんぬ)の姿をしているが、忿怒の相は我が子を見つめる父親としての慈しみであって、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うという姿である。
外面は厳しくても内心で慈しむ父性愛を表し、大日如来の化身と空海は説いている。

力ずくでも救うという自信のメッセージが、本殿の舞台造を通して発せられていたのだろうか、その引力にその後も狸谷山に足を向けさせられている。

もう一つの忘れられない記憶は、毎年7月28日の夜に行われる「火渡り祭」の熱気である。

250段の石段を登り詰めると視界が広がる。本殿下の広場には斎場が設けられている。
結界を示す青笹を四隅に、御幣束をつけた荒縄が張られ、その中央に紫灯護摩供(さいとうごまく)の護摩壇が据えられていた。

午後7時、森の中はすっかり闇の帳が降り、50名ほどの修験者が居並ぶ空間に緊張感が漂った。
揺れる行燈の灯りに法螺貝が光っている。灯りのある場所は奉行である。
奉行の声があがった。導師は立ち本殿に向かい祭事の祈祷を行い始める。
かがり火が風に揺らぐと、闇に落ちる導師の影も揺れる。
厳かな静寂は更に引き締まっていく。

祭典を司る奉行が狸谷山不動院貫主を指名する声が聞こえた。
金色の兜巾(ときん)に橙色の篠懸(すずかけ)を羽織った貫主が護摩壇に修法をなし、続いて指名された修験者が弓矢を持ち、呪文らしきものを唱え弓矢を四隅に順次放ってゆき、五本目の矢を護摩壇目がけて放った。
更に続いて、鉞(まさかり)を捧げもつ修験者が天空を打ち切った。

行っているそれぞれの術が、修験道におけるどのような修法の意味をもっているかは知らぬが、邪悪なものが全て清められていることは参詣者の誰にも伝わってきている筈だ。
そこへ、松明に照らしだされた願文が奏上された。その高らかな声は斎場から瓜生山の峰に届くかのように響き渡る。とても清々しい気持ちになってきた。

紫灯護摩壇に点火されようとしている。息を凝らし、青々とした生杉が被せられた護摩壇に観衆の目は釘付けとなる。隣の人の高鳴る鼓動が僅かに感じられる。

一気に火が吹いた。天空目がけて火柱が立つ。
火の粉は舞い上がり、舞台造の本殿が真っ赤に浮かび上がる。
闇に隠れていた観衆の顔や姿までもが見えてきた。
頬が紅潮しているのは、暴れ狂う炎の所為ばかりではない。
感激の奇声が聞こえる。斎場内は興奮の渦が巻いていた。

その護摩壇が燃え落ちだすと、燃え殻や炭火が絨毯のように広げられ出した。
これからが、主行事の火渡り祭なのである。

貫主が真紅の夏越の幣(なごしのぬさ)に祈祷を始めると、修験者達は素足になり始めた。
風に煽られて炭火が炎をあげている。あの上を裸足で歩こうというのか。
未だ、紫の炎、赤い炎が入り乱れて風に揺らいでいる。
そこには、闇に見え隠れする修験者達の姿があった。
それは火の海をたじろぎもせず、整然と歩く影で、時折白布が光る。

一般参加者が募られた。子供でも良いと言っている。
心頭滅却などできよう筈がないと、怖気(おじけ)づいてしまった。
小生が火渡りするなど、まるで真夏の夜の夢の出来事でしかない。

この日一日参詣して、千日の参詣のご利益をいただくだけで十分である。
そして、この信仰の霊山に再び訪れようと思う。