平城遷都1300年祭と平安遷都1200年祭

古都の双璧、未来をいかに見据えている

710年平城京遷都から数えて本年で1300年を迎えた。
平城京遷都1300年祭の記念事業が始まり、新たな魅力を備えた歴史探訪ツアーなど
関連連鎖イベントも盛りだくさんに奈良が賑わっている。

平成22年4月24日、その中核をなす平城宮跡地に、大極殿が復元完成し披露された。
堀川五条から一足飛びにとは、未だいかないが、一般道をノロノロと走り、城陽から一路京奈道路を木津川ICへ、奈良市西大寺の平城宮跡を目指した。

その前の週にも同じ道に車を走らせていた。
1300年祭記念事業の一つで、奈良東大寺大仏殿での襖絵の奉納式に出向いたのである。京都建仁寺の天井画「双流図」を描かれた小泉画伯の襖絵40面が、寺の本坊に納められるとのこと。これで、無地の襖だった本坊が、華厳宗に相応しい華やかな色彩に富んだ襖絵に入れ替わるのである。
おりしも、奈良国立博物館では「遣唐使展」が開催されていた。鹿を横目に小雨の奈良公園を大仏殿まで歩いていると、1300年祭に活気づいている町の空気を感じた。

今日は臨時駐車場車を止め、パーク&バスライドにした。西大寺に差し掛かると「平城宮跡地区・朱雀門」の看板が見える。
平城宮の朱雀門は五間三戸の二重門で、かつてと同じ場所に、平成9年(1997年)に等寸で復元されたものである。その門は広大な平城宮の正門にあたり、四神の南方を守護するとされる朱雀の名が冠されている。
朱雀門までは幅75メートルの朱雀大路が通り、朱雀門前の東西は二条通があり、門の中は平城宮の朝堂院、南門、前庭と続き、大極殿となる。
そこは、おおらかな空間が広がり、はるか先に霞んでいるのが大極殿である。

東西南北ともに視界を遮る建物は見当たらず、周辺の山々の峰が伺え、盆地であることがよく分かる。跡地も往時が偲べるほどの空間が広がっている。

目の当たりに大極殿を仰ぎ、その地に立てば、時は天平、場所は平城京、人は万葉人になれる。

もう余計な記念事業などいらぬと言ってよいほどに、遷都1300年祭の説得力を持っているではないか。

奈良県人が羨ましくなってきた。万葉人に縁のある人に憧れを抱いてしまう。大和国家を築いた民族の遺伝子に頭を垂れざるを得ない。

1300年祭の国家事業になさしめた平城京復原は、国民がその国の宝に触れ、その歴史を感じられることに繋がっている。それを実現させた奈良県人は誠に誉れ高い。

小生を含め、平安遷都1200年を迎えた時の京都人は、その記念事業にいささか力足らずであった。京都の先人に申し訳が立たないと強く思った。

平安遷都1100年記念祭では、現在京都国立近代美術館が建つ岡崎の地で、1895(明治28)年に第四回内国勧業博覧会が開かれ、同時に「平安遷都1100年記念祭」のシンボルに、伊東忠太が設計した平安京大極殿の再現として平安神宮が創建された。
近代京都はまさに岡崎の地から幕を開けた。
京都三大祭のひとつに挙げられる「時代祭」も、その時より始まっている。
その他祝祭の誉れ高き偉業をあげれば、枚挙に暇がない。

それに比して、平安遷都1200年記念祭に行われた事業を思い起こすと、多彩な連鎖イベントがあったが、シンボル事業に精彩を欠いていた。

都市の再生と発展のための「平安建都1200年記念事業」をコンセプトとした主な事業は、京都迎賓館の建設、地下鉄東西線の整備、古都京都の文化財の世界遺産登録、京都国際映画祭の開催、京都国際ハーフマラソンの開催などがある。

後世に残る事業として、「京都迎賓館の建設」や「地下鉄東西線の整備」などを挙げる人がいるが、都市機能として必要不可欠のものが完成したに過ぎず、それまでなかったことの方が可笑しいといえる。
驚くべき歴史的なことでもなく、京都市民の誇りになるものでもない。

遷都1200年(1994年)の時になって、京都御苑に建設が閣議決定された国立京都迎賓館にしても名ばかりとなり、完成はそれから11年後、完成して最初の宿泊はブッシュ米大統領にプレゼントされ小泉首相との首脳会談(2005/11/16)が持たれたが、その後現在までに記憶に残る賓客はない。
箱だけで魂が入っていないと言われても、返す言葉がない。

「平安時代史事典」「平安京提要」の二大記念出版は評価されているが、学会に知られても一般人には遠い存在のようである。

市民にとっては、全国祇園祭の結集となった「あとのまつり」が記憶に残るが、形に残っていない。
その祝祭の気迫が形として残っているものと言えば、今も身近で馴染み深い「平成女鉾の建造」で、祇園囃子とともに途絶えることなく巡行されているに過ぎない。

時代祭にヒントを得た「京都まつりパレード」にしても、学園祭の域を出ないイベントに終わり、無理して続ける価値が見出せない。

ならば平安遷都1200年記念祭で、羅城門や西寺、方広寺の大仏などの復元再興をなぜ行わなかったのか。
京都の南の地に、先端技術を核としモバイルソフトコンテンツを発信するキョウトバレー構想を、あるいは環境都市京都構想を描かなかったのか。
その種がないわけではなかったから、なお更に悔やまれる。

バブル崩壊後の経済的多難な時期ではあったが、平城遷都1300年の今年にあっては不況のどん底の時期ではあるまいか。

京都の行政人や経済人にあって、奈良の各人に見習うべき精神的支柱があることを認めざるを得ないことが明白となった。

来る平安遷都1300年祭には、この世に居たくても到底叶わない。
次世代の京都人に期待し、後世に伝える先人の残したものの復元と、後世に残すに値する現代の足跡を築いて貰いたい。

平城遷都1300年祭について
http://www.1300.jp/about/index.html