傍目八目:世の中、見方違えばこう変わる。

「建国記念の日」によせて

今日は建国記念の日。建国記念日ではなく「建国記念の日」である。佐藤内閣の時代からの呼称であるようであるが、明治時代からの紀元節のほうがロマンを感じられると思うのは私だけであろうか?

小さい頃、祖父が「日本の歴史年号は西暦に660年を足したらええのや。今年は神武天皇が即位されてから皇紀○○○○年や。」と言っていた。そしてそう信じていた私が、その後の高校時代の日本史の授業で大きな疑問をもったことを思い出した。

Emperor_Jimmuキッカケは、聖徳太子に関する授業で必ず登場してくる推古天皇、第26代天皇である。この女帝の即位はAD592である。神武天皇の即位から25の天皇が即位し、660年+592年=1252年が経過している。ということは1252年÷25≒50年、天皇の在位平均年数が50年!ということになるのである。こんなことがありうるだろうか?「平均」の数字であるから在位10年程度で崩御した天皇もいたことであろうことを考慮すれば90年在位した天皇もいたであろうことになる?現代の平均寿命に比べはるかに短かった当時の寿命の時代にである。そしておまけに、推古天皇以降になると、誰もが知っている天武天皇の即位までの81年間の間に14代の天皇が即位し、その在位平均年数は6年未満に突然、急激に減少している。極めて不自然な年数の変化である。もし、推古天皇即位まで、それ以降の14代と同様の在位年数であったと仮定すれば6年x25代=150年、592-150=442、換言すれば今年は2014-442=1572、皇紀1572年ということになってしまうのである。

調べてみると、の即位がBC660であったこと、2月11日を紀元節と決めたのは、なんと明治政府、大政奉還を成し遂げた長州などの下級武士が自分たちの箔付けのために明治天皇を神格化したことが背景にあることが窺える。であれば、あまり重箱の隅をほじくるようなことを言わずギリシア神話を世界中の人たちが楽しんでいるように、また海彦・山彦の童話を小さい頃、聞き楽しんだようにおおらかに日本のお伽噺であるとおおらかに受け取っておくべきかと・・・・