ROSSO×ROSSO KYOTO 2

フェラーリでの仕事は、
たくさんの扉を開けてくれた!——サンタンジェロさん

 さて、このコラムの最初のページでは、昨年末の12月14日から16日の間に京都国立博物館で開催された「ROSSO×ROSSO KYOTO」の様子を紹介したが、2回目はその最終日の夜、博物館の向かいにあるハイアット・リージェンシー京都での『ドリームナイト』で提供された数々の料理をプロデュースした、スクーデリア・フェラーリF1チームの帯同シェフであるVincenzo Santangelo(ヴィンセンツォ・サンタンジェロ)さんのインタヴューを。
13歳にして料理人を目指し、なぜ今のポジションにたどり着いたのか? なかなか興味深い内容に…。
ちなみに通訳は、「ROSSO×ROSSO」事務局のメンバーでもあるCimone Jan Franco(シモーネ・ジャン・フランコ)さんにお願いしました。

末次 今夜はお疲れのところを、お時間いただいてありがとうございます。まずは料理人になられたきっかけから伺わせてください。

Vincenzo Santangelo(ヴィンセンツォ・サンタンジェロ)

Vincenzo Santangelo
(ヴィンセンツォ・サンタンジェロ)

サンタンジェロさん
私はイタリアの北部にある“ラヴェンナ”という小さな街で生まれ育ったのですが、13歳の時にはもう料理人になろうと決め、海に近いレストランで働くことにし、魚料理などを学びました。

末次 13歳でご自身の将来を決めるなんて、すごく早いですね!

サンタンジェロさん
はい。でももう決めていました(笑)。そこでいろいろと学び、16歳の時にブリジゲラにある2つ星レストランで働き、18歳の時に今度はピエモンテのレストランに移りました。

末次 トリノやミラノがあるところですね。

サンタンジェロさん
そうです。そこでまたしばらく、そうですね、2年間ほど働いて、次は20歳の時にパリの「」(※1)で働く機会を得ました。

末次 「トゥール・ジャルダン」! パリの上流階級の社交場とも言われる、超有名レストランですね!

サンタンジェロさん
はい(微笑)。でも半としてそこは辞めて、アメリカへ行くことにしたのです。

末次 アメリカへ…? イタリアやフランスで料理を学ばれた後に、あまり料理界ではメジャーとは思えないアメリカへ渡られたのは何故ですか?

サンタンジェロさん
アメリカへは、料理学校でイタリアンを教えるために行きました。また、アメリカでは有名なシェフたちからも、いろいろと教えていただく機会にも恵まれました。アメリカでの料理のサーヴィスは、見せることに主眼を置くことが多いのです。そこが、イタリアやフランスでのサーヴィスのやり方の大きな違いでした。そのノウハウを学ぶために、アメリカ行きを決めたのです。

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末次 はぁ…、なるほどねぇ…。料理そのものではなく、表現というかサーヴィスを学ぶ機会になったワケなんですね!

サンタンジェロさん
そういうことです。アメリカでは半年ほど働き、またイタリアに戻って、地元のラヴェンナで初めての自分の店をオープンしました!

末次 二十歳そこそこでご自身のお店。それも早いと言えば早いのですが、何しろ13歳で既に料理人になると決めて修業されていたワケですから、もう経験は十分だったのでしょうね。

サンタンジェロさん
(ニッコリと頷く)

末次 初めてのご自身のお店は、いかがでしたか?

サンタンジェロさん
すぐに人気店になり、指揮者のリッカルド・ムーティー氏や歌手など芸能関係の人や、有名人が来てくれるようになりました。とても忙しかったです!(笑)

末次 そんなに繁盛したお店は、今はどうなっているのでしょうか?

サンタンジェロさん
(きっぱりと)閉めてしまいました。

末次 ええ~っ! もったいない!

サンタンジェロさん
でも、自分の目が届かないお店を、営業しておくワケにはいきませんから!

温かいアスパラガスのペコリーノチーズ載せは、バルサミコ酢でアクセントが付けられていた。

温かいアスパラガスのペコリーノチーズ載せは、バルサミコ酢でアクセントが付けられていた。

末次 確かに…。ところで、レストランを経営しながら、何がきっかけでフェラーリF1チームの帯同シェフになることになったのでしょう?

サンタンジェロさん
はい、有名人の多くにも来てもらうお店だったのですが、当時仕事をしていたケータリング会社からフェラーリ社のルカ・モンテゼモーロ社長宅とフェラーリ家宅への仕事もしていました。その際にルカ・モンテゼモーロ社長の結婚パーティーでも料理を作りました。

末次 モンテゼモーロ家の結婚パーティー! 彼は、お店に何度かいらっしゃってたのでしょうか?

サンタンジェロさん
いえ、あちこちで噂を聞きつけて、連絡をしてきてくれたみたいです。

末次 へぇ~! でも、それだけ評判の高いお店だったということですよね。それで、そこからお付き合いがはじまったというワケですか?

サンタンジェロさん
 その頃に当時のフェラーリチームのシェフをしていた友人からブリヂストンでの仕事を紹介されました。ブリヂストン時代にはHONDAやジョーダンの担当もしていました。そしてその後、フェラーリへ移ることになったんです。

末次 そういうことだったのですね!
 でも大変な人気を集めていたお店を閉めて、世界中を飛び回る仕事を選ぶなんて、勇気が必要だったのではありませんか?

サンタンジェロさん
いえ、そうでもなかったです(笑)。なぜなら、フェラーリの仕事をするようになってから、たくさんのいろんな扉がひらいたのです!

柔らかな仔牛肉にツナソースという、オールドスタイルのメニューも美味。

柔らかな仔牛肉にツナソースという、オールドスタイルのメニューも美味。

末次 いろいろな扉?

サンタンジェロさん
ええ。やはり“フェラーリ”という存在は特別なものですから、いろんな人たちに出逢うことができますし、自分のオリジナル・オリーブオイルなどもプロデュースすることができました!

末次 ほぉ~! 料理人としてだけではなく、サンタンジェロさんはこれから、料理にまつわるいろいろなものをプロデュースしていかれるのですね?

サンタンジェロさん
はい、そう考えています。

末次 それにしても、フェラーリと言えども、ドライバーをはじめチームのスタッフは多国籍でしょうから、メニューで苦労されることはありませんか?

サンタンジェロさん
ほとんどありませんね。ただ、イタリアではハムと言うとパルマ産などを使うことが多かったのですが、チームのドライバーにスペイン人のフェルナンド・アロンソ選手がいる関係で、「」(※2)を用意するようになりました(笑)。

グリーンペースが入ったタリアテッレのボローニャソースは、パルミジャーノ・レッジャーノの上に載せ、余熱で柔らかくしてからこそぐようにしてサーヴィス。

グリーンペースが入ったタリアテッレのボローニャソースは、パルミジャーノ・レッジャーノの上に載せ、余熱で柔らかくしてからこそぐようにしてサーヴィス。

末次 サンタンジェロさんの国のものではなく、スペイン産ですね(笑)!

サンタンジェロさん
はい。ハモンセラーノは美味しいですから(ニッコリ)!

末次 やはり、美味しいものには国境はないのですね! 厨房のスタッフはいかがですか?

サンタンジェロさん
スタッフはイタリア人が8人、イギリス人が1人ですね。朝食はイギリス式を採用しているので…。

末次 朝食はイギリス式なんだ…。それはまたなぜ?

サンタンジェロさん
メカニックなどは多国籍でイギリス人も大勢いますし、現在のチーム・スポンサーには日本企業も多くて、彼らのことを考えるとイギリス式がいいのです。

末次 そうか! 日本人も大勢関わってるんですね! タイヤとかいろいろと…(笑)。
食材の調達で困ったりすることはありませんか? その場合は、本国から送ってもらったりするのですか?

サンタンジェロさん
食材で困ることはほとんどありません。世界中、まずどこでも必要な食材が手に入ります。ただ、UAE(アラブ首長国連邦)だけは手に入らない食材が少しありますが、困るほどではありません。

蛸のグリルに、ローストしたじゃがいもやトマトなどを混ぜたサラダもサッパリとした味。

蛸のグリルに、ローストしたじゃがいもやトマトなどを混ぜたサラダもサッパリとした味。

末次 なるほど! それなら安心ですね。 それでは最後に、サンタンジェロさんのこれからの夢はなにですか?

サンタンジェロさん
私の夢は、自分のオリジナルブランドの調味料など、たとえばオリーヴオイルやビネガーなどを作り、世界中で販売することです。そして、またいつか自分の店を持ちたいと思っています。

末次 オリジナルの調味料、それは愉しみですね! ご自身のお店は、何処で開かれるのか、もう考えていらっしゃいますか?

サンタンジェロさん
ええ、いくつか…(笑)。日本で開きたいですね。

末次 日本で! それは嬉しい! でもなぜ日本で?

サンタンジェロさん
妻が日本人ですから!(笑) 以前にも、六本木の「ラ・ピーニャ」という店のオープンを手伝いました。

末次 奥様を大切にされているのですね!(笑) いつかお店をオープンされたら、また今夜のように美味しい料理を食べに伺います。今日はお疲れのところを、本当にありがとうございました。世界中を回るのは大変でしょうが、どうぞお体を大切に。

サンタンジェロさん、 ありがとうございました。

(※1)トゥール・ジャルダン
1582年に、パリのセーヌ川の畔にオープンした、フランス料理のグラン・メゾン。
アンリ3世がその存在を知ってからは、上流階級の社交場として発展。『その歴史はフランス料理の歴史でもある』とまで言われた存在。
(※2)ハモンセラーノ
スペインで作られる生ハム。塩漬けにした改良種の白豚の後脚を長期間気温の低い乾いた場所に吊るして乾燥させる。薄く切ってそのまま、または生ハムメロンのように果物とともに前菜として食べる他、食材としても広く用いられる。

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 「ドリームナイト」では、パルメジャーノ・レッジャーノを贅沢に使ったリゾットやパスタも用意され、参加されたみなさんは笑顔で美味しそうに食事を愉しみながら、チャリティ・オークションの出品に入札する様子が見られた。
オークションには、世界的なレースカメラマンが撮影した、ドライバーの直筆サイン入りの写真パネルや、今は国内の「スーパーフォーミュラ(旧フォーミュラニッポン)で闘う中嶋一貴選手の直筆サイン入りヘルメットなどが出品され、来場していた落語家の桂米團治師匠が宮川町の舞妓さんと共に登壇。ユーモアで場を盛り上げるのに一役かっていらっしゃった。
サンタンジェロさんは、とてもシャイで控えめな印象ながら、仕事に対する真摯な姿勢は職人肌気質。短い時間だったけれど、とても心地の良いインタヴューだった。

blanco!?

blanco!?

本記事の写真撮影は末次正芳及びROSSO ROSSO 2012 KYOTO PHOTO STAFF。

La Tour d’argent
トゥール・ジャルダン(wikipedia)1582年に、パリのセーヌ川の畔にオープンした、フランス料理のグラン・メゾン。
アンリ3世がその存在を知ってからは、上流階級の社交場として発展。『その歴史はフランス料理の歴史でもある』とまで言われた存在。

Jamón Serrano
Butcher_shop_in_Valenciaスペインで作られる生ハム。塩漬けにした改良種の白豚の後脚を長期間気温の低い乾いた場所に吊るして乾燥させる。薄く切ってそのまま、または生ハムメロンのように果物とともに前菜として食べる他、食材としても広く用いられる。