京の人の日々の暮らしや文化をコラムと写真で紹介します。

妖怪ってなんだろ?

はよ帰らんと鎌イタチに切られるで

妖怪の起源について考えたことがおありだろうか?
そんなことを考えるのはよほどの妖怪バカか?
いや、そうではないのだ。
妖怪バカというのはまずどんな妖怪が何をするとか、何処にでるとかそういう妖怪の詳細を沢山知っているのが、妖怪バカである。
おまけに妖怪御三家?(笑) の方々が言ってることを美化したり、その言葉を疑いもしないで鵜呑みにしている。それが妖怪バカだ。
いや、ただのバカかもしれないし、そんな方々を相手にする気はない。


私は妖怪オタクでも妖怪バカでもない。
なぜなら妖怪の起源を考えたからだ。
そして独自の解釈で妖怪の起源を解明している。
それは100パーセント正しいとは言えないが
まともに考えて常識をもって判断している。

妖怪を研究している学者連中もバカかもしれない。
なぜなら河童の起源に水子説や人形説があるが、可能性ゼロの説を取り上げるのには「?」である。
そういう人達は妖怪という存在を何処かに居て欲しいと思うロマンチストかも知れない。
こんなことを言うと妖怪の存在を否定している様におもわれるが、私が思うに
個体としては存在しない。エネルギーとしては存在すると思っている。

また井上円了という人が「幽霊は人に出て、妖怪は場所に出る」と言っている。確かにその時代にはその説は画期的だったかもしれないが、現代人にはインターネットというものがあって圧倒的なデータの量があるのだから、もっと現代的な考え方ができないものかと思う。
100年も前の説をそのまま継承するのは能がない話だ。

ここで例をひとつ挙げるとしよう

鎌イタチという妖怪は、つむじ風が真空状態を生み出して人の皮膚を傷つけるというのが現在言われている分析である。
だが、私にいわせると それならイタチという動物がモチーフとして使われている意味が理解出来ない。ならば、鎌イヌでも鎌熊でもよかっただろう。
私が言いたいのは、そこにイタチがつかわれる意味を考えろ!ということ。

イタチは夜行性なので夕方になると出て来る。もうすぐ陽が暮れるという合図。
私が子どもの頃には夕暮れ時に家から家の隙間によくイタチが走る光景を見たものだ。
時計も携帯も無い時代に帰宅時間を指し示すものとしてイタチが用いられたのではないか?

シナリオはこうだ。

ある日、陽が暮れても子供が家に帰ってこない。親は心配だ。
陽が暮れると恐い狼や人攫いなどに子供が襲われていないか心配なのだ。
そこにやっと子供が帰ってくる。
見れば脚に薄っすらと傷がある。それは夢中になって遊んでいて木の枝か葉っぱで切ったのであろう。子供は気づいていない。
でも親はそれを見て「鎌イタチに切られたんだ」と言うのである。
それを聞いた子供は次の日、夕暮れ時にイタチが走るのを見て
「ぼちぼち帰らないと鎌イタチや恐いモノが出てくる」と思い、帰宅したのである。
子供の安全を考えて、帰宅時間を指し示すために親が創造した妖怪と言えよう。

こんな具合に妖怪の起源や発祥を考えよう。
そうすれば、もっと妖怪を身近に感じられるハズだし、
妖怪が何か解ってくる筈である。