京の人の日々の暮らしや文化をコラムと写真で紹介します。

山伏、盗賊、百鬼夜行の東山

超有名な神社仏閣が立ち並ぶメジャー京都。その中にもたくさん存在する東山の魔界を順次紹介していこう。
さて、前回、清水寺や産寧坂の由来をお話ししたわけだが、ここから北へ向かっていこう。

京都府京都市東山区清水2丁目

産寧坂 (東山区清水2丁目)
産寧坂の石段を下りると道の南に石橋の痕跡がある。これは、轟川がここを流れていたことを示している。
かつて、この川を登り鬼退治をした伝説がある。つまり一寸法師の物語の伝承の地である。
今だに清水あたりで一寸法師の絵馬をみかけるのはこれである。
狂言なんかにでも、清水に鬼が出る話があるが、その鬼を退治しに行ったのであろう。
地方から出てきた背丈の小さい男は、清水参峰の際 近所の女将に声をかけられる。
仕事を紹介してもらったのだが、背が小さいので 「松葉を拾って焼く」ただそれだけの仕事をやっていた。
ある日 参拝する女性に一目惚れし恋文を送り 会おうということになって会ってみると、その小ささで断られる。
それでもめげず 男は最終的に妻にしてしまうという物語であるが、これに鬼退治が取り込まれ 一寸法師ができたのであろう。

毛朱一竹塚 (もしゅいっちくつか)
産寧坂の途中に近年までこの塚が存在していたときく。これは妖怪「鵺」を葬った塚である。がしかしその鵺とは、毛が朱色、竹の筒に死骸を入れた。
その小ささからトラツグミという鳥か、ネズミのおおきいものとの説がある。鵺については近世でもいろんな人たちが説をたてているがどれも納得いかない。
みなさんの夢を壊すようではあるが、わたしは鵺とは「猫」のことであるという説をたてている。
天皇の眠りを サカリの付いた猫の声が妨げたのであろう。

八坂の塔 (東山区清水八坂上町388)
臨済宗建仁寺派法観寺。産寧坂を北上し大きく左カーブを通り過ぎると大きな塔が見えてくる。これが八坂の塔である。
聖徳太子が建てたことになっている。
111229_4176a2b2平安時代に有名な、修験道である浄蔵貴所にまつわるエピソードがあるので紹介しておく。
平安時代の初め、この八坂の塔が西へ傾くということがあった。人々は凶事として恐れた。
時の天皇は修験道の浄蔵を呼びつけ元通りにするのを命じた。
平安時代の修験道とは、すなわち超能力者を指していうのである。
当時は陰陽師・安倍晴明よりも有名であったことを付け加えておく。
090310_higasiyama_hanatoro_yasakanotou当時、浄蔵は八坂の塔のとなりの庚申堂に住んでいた。この時代の僧侶は結婚は許されていなかったが、天皇がその法力が絶えるのをおそれ、浄蔵に対して結婚させて二男をもうけたということだ。64歳になっていた浄蔵は自分の法力をしばらく使っていなかったために、二人の子供を膝に乗せ、手始めとして鴨川の水を祈祷によって逆流させたとある。
そして自分の法力が衰えていないことを知ると、八坂の塔に向かって祈りはじめた。
天空にわかにくもり、一陣の風が吹いたかと思うと塔はゆらゆらと揺れ、元の形におさまったという。なんと不思議な話である。

しかしながら、庚申堂も秦氏関連の寺である。秦氏の建設技術がそれを可能にしたのか。
だとすれば浄蔵は秦氏と朝廷をつなぐ商社マンのような存在であったのか?
このエピソードは、実は祇園祭りで山の物語として再現したのが、「山伏山」であるが、なにしろ浄蔵が一番有名なのは自身の父、三善清行公を橋の上で法力により甦らせ、ゆえにその橋を「戻り橋」と呼ぶようになった伝説の人物である。

もう一つ浄蔵のエピソードを紹介しよう。
浄蔵が八坂の塔に寝ていた時、朝方に数名の盗賊が忍びよってきた。
浄蔵は、呪文をとなえ盗賊の自由を奪った。
これが「金縛りの術」である。
陽が上るまで、フリーズ状態にされていた盗賊たちは 術が解かれると慌てて逃げ帰ったという。
我々が「金縛りに遇う」というのは、この話がルーツになっている。

圓徳院 (京都市東山区高台寺下河原町530)
庚申堂に突き当たっている道を北へ進む。視界が開けて東を見ると高台寺である。東に進むと北へ向かう石畳の道が、ねねの道である。
ねねの道を北へ進むと左に石塀小路がある。そのまま北へ進むと西側に、北政所の終焉の地・圓徳院である。
昨年の夏、圓徳院と高台寺さんにて一か月あまり「百鬼夜行展・葛城トオルの世界」を開催させていただきました。
お庭の素晴らしさ、建物・調度品はもとより、それに関わる人々の優しさに長い会期にもかかわらずいい展示をさせていただきました。
圓徳院と高台寺さんは、そのシーズンごとに季節を感じられる工夫をしておられます。年に何回も訪れたい場所。みなさんも是非。
長谷川等伯の絵や、夏場には幽霊・河童や雷神の絵なども見られますよ。

高台寺 (京都市東山区高台寺下河原町526)
ねねの道に出て、東側に石畳の坂がある。台所坂という。ここを上がっていくと高台寺である。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA敷地は広大でいろんな建物があり、やはり四季折々楽しめる。
庭園もやはり季節ごとに工夫が凝らしてあり。飽きさせない。文字で書くより、実際に見てほしい。
夏の百鬼夜行展の時には円山応挙・幽霊画、土佐派・百鬼夜行絵巻、河鍋暁斎・百鬼夜行など、
妖怪好きにはたまらないものが展示される。
もちろん一般の方でも、それが描かれた意味などを考察しながら楽しんで欲しいと思う。
ただ怖いだけではなく、先人たちの知恵によって
創られたものに、無駄なものはないということを、ぜひ学んでいただきたい。
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文の助茶屋跡
場所は明かせないが、文の助茶屋は昔、このあたりにあった。こちらのご子息に聞いた話だが、その塀に幽霊が浮かびあがるということが昔 ウワサになっていたということである。どういう経緯かは知らないが、過去には心霊スポットとして有名だったということである。
現時点でこのお話を知っている方は少ないだろう。

安井金毘羅宮 (東山区東大路松原上る下弁天町70 )
さて、少し東大路にもどって西をみると交番の南に鳥居が見える。である。参道を行くとホテルが乱立している光景が目に入る。
元カレ・元カノの縁を切り、ここで新しい恋愛をしろといわんばかりである。
この有名な縁切り神社は、日本三大怨霊の一人 崇徳上皇を祀っている。お札が山ほど貼られた石のトンネルを祈願しながら潜ると成就するとの信仰。
安井金毘羅宮
ただこれは向きを間違えるとダメなので用心したいところだ。
崇徳上皇だけが有名ではあるが、先ほどお話しした鵺を退治した人物 源頼政公も祀られている。

崇徳天皇御廟 (東山区祇園甲部歌舞練場敷地内東)
金毘羅宮本殿を北にとり境内を出て、100Mほど行くと崇徳天皇御廟がある。これは元々祇園歌舞練場の敷地内にあったものだ。
崇徳上皇の遺髪が祀られているということなので、結局こちらが、安井金毘羅宮の本体ということになる。
四国へ流されてた崇徳は血判で書状を書いたがそれさえも受け入れられず、後代の天皇を呪って憤死するという壮絶な死に方だ。
これにあやかって「縁切の神様」という信仰に結びついていったわけだ。
東の細い道を東大路にぬけると、八坂神社は目の前だ。

八坂神社 (東山区祇園町北側625番地)

12345678_75fddfa7全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社。日本三大祭りの祇園祭(祇園会)で知られるが、この素戔嗚尊は牛頭天王と習合。
門を潜って正面に、疫神社がある。この牛頭天皇こそが疫病の神様である。そのビジュアルといえば頭が牛、身体は人間という姿である。
さてこの姿、ギリシャ神話に出てくるミノタウロスそっくりではないか?
ミノタウロスがもし疫病の偶像として造られたならば、ラビリンスの迷宮奥深くに幽閉された意図を考えてみれば、
それが牛頭天王として祀られて不思議はないだろう。
それにこの牛頭天王の木像は秘宝中の秘宝。写真さえも公表されていない。これはまさに疫病なのでオモテに出せないという観点からも合致するではないか。
おまけにこの牛頭天王はバール神ではないか。ユダヤ人はバアル神を敵視して自らヤーウェ神と契約したと考えられている。
ヤーウェはイヤサカ。つまり八坂。牛頭天王の妻は、頗梨采女(はりさいにょ)というからファリサイ人か。

23070199_265583_134682643284540_100002284159003_247124_7093530_oさてこの祇園祭のルーツとは古代ユダヤのZION祭である。
これは冗談ではない。なぜなら4年ほど前にテレビで「祇園祭というのは起源と経過と結果が古代イスラエルのシオン祭と全く同じである。」
と当時の祇園祭鉾町連合会の会長さんである深田茂さんが言われた言葉である。
古代イスラエルのソロモン王の時代に疫病が流行り、それを鎮めるための祭がシオン祭である。当時聖地エルサレムをシオンと呼んでいたからだ。
シオンのスペルは、ZIONでありジオンとも読める。そう考えてみると共通点があり、謎が解けたりもする。
社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる。
伊利之使主もおもしろい名前だ。イリシスとも読めるが、これはアイシスのことで イシス神という神様はエジプト神話にでてくる。

次回はここからさらに北へ行ってみよう!

さてどうでした?

現地へ行けない方は、Googleのストリートビューアーなんか見ながら読むのもいいかも?
ほんとはここだけではなく「魔界」はどこにでも存在するものです。人間が居るならね。
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