【言っておきたい古都がある】

悪霊だらけ(完結編)

~悪霊の正体は人間である~

さて、悪霊と怨霊の話は意外と長くなってしまった。テレビドラマなみだ。
そろそろ締めくくらなければならない。

前回の崇徳天皇という人はどこまでも不遇である。明治になって白峯神宮に祀られたのは良いとして、ご多分に漏れずというか、菅原道真の天満宮が怨霊鎮めから学問の神社になったように、白峯神宮もサッカーの神社になってしまった。私も修学旅行の仕事もやっていた頃、サッカー少年たちをここに連れて来たことがある。
しかし何故サッカーなのか。

白峯神宮があるのは蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷跡だからである。

崇徳天皇と関係ない!!!

天満宮はまだ「菅原道真は学問に秀でていたから」という関連性があるけど、白峯神宮では崇徳天皇はパスされてしまっている。
ここまで不遇だと現代でも崇徳天皇の怨霊が暴れてもよさそうなものだが、そんな話は聞かないな。

上田秋成の『雨月物語』の中に「白峯」という話があり、これは西行法師が崇徳天皇の怨霊と対決する話である。
その中で怨霊は平治の乱を起こしたのも自分だと自慢するものの、平清盛と重盛はまだまだ死なない。化鳥から12年待てと言われて待つしかないのだから軟弱な怨霊である。

本当に怨霊の力で災いが起きているなら恨む相手をさっさと滅ぼせばよいではないか。
その災いは間違いなく怨霊の仕業なのか?

「白峯」は文学作品だから崇徳天皇は「自分がやった」と豪語するが、現実には菅原道真であろうが平将門であろうか崇徳天皇であろうが、災害を起こしたときに天の上から「俺がやった!」と大声で呼ばわって「犯行声明」を出すなんて、やってないのである。
「道真の仕業だ」とか「将門の仕業だ」とか「崇徳院の仕業だ」とか言っているのは人間である。しかも怨霊に対して責任があると目されている人たち。
北野天満宮の縁起では藤原時平が道真の怨霊に「生きてるときは私より下位だったではないか」と言い返しているが、これも文学作品である。

本当は怨霊なんて何もしていないのである。

自然災害や農業の不作、失政などで民衆の不満が膨らんだとき、政治家も役人も責任は取りたくない。そこですでに死んだ人に責任を押し付ける。
「これは崇徳院の怨霊の仕業です」とか。
そして「怨霊が出たのは私どもの不徳のいたすところであります」と神社を作ったり位を与えて名誉回復したり、せっせと励むのである。「これで大丈夫です」と民衆を鎮める。

そう、これは前にも書いたかもしれないけど何度でも書くが、当時の支配階級にとって、本当に鎮めなければならなかったのは怨霊ではなく民衆の不満であった。
責任転嫁された「怨霊」こそ良い迷惑である。死してなお冤罪を受けるのだから。

「怨霊」を作ったのは人間である。生きてるうちに嬲った相手が死んでからも「災いの原因」にしてしまう。
これほどの悪意があるか。
人間こそ悪霊なのである。

一般庶民は幽霊にはなれても怨霊にはなれない。怨霊というのはだいたい有名人がなっているから。まあ、「あいつの仕業だ」と責任を負わせるのだから、誰もが知っている人物でないと社会の共通認識にはならない。このあたりも人間の知恵だろう。
さて、現代では怨霊の役割は終ったのだろうか。ひょっとしたら、選挙で落ちたり足を引っ張られて辞めた議員さんが怨霊になる日が来るのかもしれない。
悪霊だけは、今でもいっぱいいるみたいだから。

「悪霊だらけ」(完)

【言っておきたい古都がある・114】