【言っておきたい古都がある】

お坊さんという職業がある(後編)

~お坊さんに「公私の別」はあるのか?~

 もう2、3年前になるだろうか、お坊さんが主宰するある集まりで

「僧侶としてのご自分と一市民としてのご自分の使い分けというか、区別を日常生活でしておられますか」

という質問をした人がいた。
 主宰者のS和尚は「しません。私はどんなときでも坊主です」と答えられ、私が

「和尚、アロハを着てビヤホールで一杯聞し召してはるときでも坊主ですか?」

と尋ねたら、

「そのときでも坊主です!」

とのことであった。
 初めの質問者がどういう意図でこのような質問をしたのかは良く分からないのだが、どうもどこかに自分の都合で「僧侶」と「個人」を使い分けた坊さんがいたらしい。
 そういう恣意的な使い分けは論外だが、次のような場合はどうだろうか。

国良寛会理事 高橋郁丸 www.geocities.jp/fumimalu/top.htm

国良寛会理事 高橋郁丸
www.geocities.jp/fumimalu/top.htm


 ここに年齢が30代ぐらいの坊さんがいるとする。その人が奥さんと子供を連れてディズニーランドに来た。さあ、今日は僧侶であることを忘れて家族で遊ぶぞと張り切って楽しんだ。

 これは別にかまわないだろうなと思う。
 しかし自分の勝手な都合で使い分けるのはアウトだろう。

 最近では若いお坊さんで積極的に市民と接している人が何人もいる。何冊も本を出しているようなタレント坊主ではなく、自分自身が市民社会に出て行っている坊さんたち。
 その中にはポロシャツにジーパンとかの「私服」で活動している人もいる。
 どんな出で立ちでも僧侶としての活動なら衣とか作務衣の姿にこだわる必要もないのだろうが、私としては「それらしい格好」をしてくれたほうが有難味があると思う。
 ある宗派の会合では、出席した坊さんが1人を除いて全員がスーツにネクタイだったという。
 つまり、葬式や法事という「仏事」ではないから私服ということなのだろうか。
 こうなると僧衣というのも単なる衣装になってしまうように感じるのだが。

 

平成22年11月9日 京都新聞朝刊www.freemonk.net/about/media/20101109kyoto

平成22年11月9日 京都新聞朝刊www.freemonk.net/about/media/20101109kyoto

お坊さんにとって「公」と「私」とは何なのかと思う。
 前回で記したように、お坊さんというのは生き方か、資格か、職業か?
 生き方である限り公私の区別はないだろう。それ以外は、個人の考え方次第か。

 職務権限のある役人などは「公私混同はいけない」と言われる。その通りである。
 翻って、お坊さんはどうだろう。
 公私混同したほうがいいのかな。常にお坊さんであるということだから。
 もっとも、普段から眦(まなじり)を決して「仏法とは」とか「往生とは」とか言われても困るけど。

 世の中にはお坊さんの世襲に疑問を持つ人もいる。
 確かに、本来の趣旨の通り「妻帯禁止」ならば世襲というのは有り得ないことになる。原理主義的に言ってしまえば世襲はアウトになるだろう。
 しかし今現在そんなことを言う人はいないと思う。
 とはいえ、子供が寺の跡を継ぐことによる「家業」化を疑問視する意見も読んだことがある。
 悩ましいところだな。

 改めて問う。

 お坊さんというのは生き方か、資格か、職業か?

 お坊さんに公私の区別はあるのか?

 答の出ない問題だろう。自分自身で解を見つけるしかない。


【言っておきたい古都がある・87】