【言っておきたい古都がある】

仏の迷い道(その13)

~なりふり構わず生きる~

 江戸時代の笑話集『きのふはけふの物語』を読みながらその当時の社会の様子を垣間見ると言いながら、見ているのは坊さんの不品行ばかりのようになってしまった。
 そこで今回は建前の「社会の様子」も見てみよう。
 「下の31」であるが、ここに出てくる「順礼」(じゅんれい』と「鉢開」(はちひらき)というのは両方とも僧侶の格好をした乞食だと思ってくださればよい。

京都のあるお寺の縁の下で順礼と鉢開が話しこんでいた。
 順礼「どうしてこんな生活をしなければならないのかな。せめて天下を3日治めたい。そうすれば辻堂の床を高くして縁の下をゆったりとさせるのだが」
 鉢開「お前はそんなことを言っているからダメなのだ。俺なら京の都を1日でいいから治めたい」
 順礼「どうしてか」
 鉢開「町中の犬を皆殺しにして気楽に鉢を開きたい」

「大燈国師」 串本応挙芦雪館蔵

「大燈国師」 串本応挙芦雪館蔵

 何とまあ、侘しい話なのである。
 江戸時代の乞食はお坊さんの格好をしていた。そのほうがお金や物をもらい易かったのだろう。もちろん、町の人たちも本物の坊さんではないと分かっているからそう簡単には恵んでくれなかったと思う。
 現代でも偽坊主がいて、以前にも曹洞宗の衣を着て浄土真宗の袈裟を掛けた奴がいたと、この連載でも紹介したことがある。仏教を利用して一般の人たちからお金を取るというのは、昔も今も変わらず、意外と「伝統的」なのである。

 そういった僧形の乞食たちはお堂の縁の下をねぐらにしていた。今のホームレスが橋の下をねぐらにしているのと同じことだろう。
 縁の下は狭苦しいので、自分が天下を取ったらお堂の床を高くして縁の下をもっと広い快適なスペースにする、という順礼に対して鉢開は「犬に吠え付かれることなく鉢開がしたい」と言う。
 一方は1日が終った後の安息を望み、他方は生きる糧を得るに際しての安全を望む。
 望みは様々だが2人とも物乞いの生活が続くことを大前提にしている。
 つまり、どう足掻いても今の境遇から這い上がることは出来ないのである。
 これが天下泰平といわれる江戸時代の負の部分だろう。

 次は「下の35」である。

 若衆と念者が入水を決意した。
 川まで行って最初は2人一緒に飛び込むつもりだったのだが、ここで念者が若衆に

「君が飛び込んで死ぬのを見届けてから僕もあとを追うよ」

と言ったので若衆も

「それじゃ六道の辻で待ってるよ」

と言って飛び込んだのである。
 念者は念仏を唱えて

南無という声のうちより身を投げて阿弥陀は水の底にこそあれ

という辞世の歌を作ったのだが、落ち着いて考えてみると

「別に死ななくとも、生き残って死んだ若衆の菩提を弔うことこそが本当の心がけというものだろう」

と思い直し、飛び込まなかったのである。
 ところが若衆のほうも飛び込んだものの苦しくて死に切れずに水から上がり、戻ってきてしまった。
 でもって2人が鉢合わせし、念者は若衆の幽霊が出たと思って驚き、

「おのれ亡霊、ちゃんと弔ってやるからこの俺に祟るな!」

と怒鳴りつけて逃げ去ったのだとさ。

 生きるのは大変だが死ぬのも大変なのだ。
 縁の下の乞食も衆道に耽る若者も、生きててなんぼ、の世界である。
 石にかじりついても生きていたい。
 ごく普通の人間の感情だろう。

 それにしても乞食が坊さんの格好をしていたということは、世間の人はお坊さんになら気安く何かを恵んでくれるという認識があったからだし、入水自殺にさいして「六道の辻で待っている」と言ったり阿弥陀如来を短歌に詠んだりするのも「死んだら成仏」という考えが浸透していたからである。
 やはり仏教というのはわが国では一種独特の存在感を持っているのである。
 ゆめゆめ迷うことの無いよう僧侶の皆さんにはお願いしたい。

(来週に続く)
 

【言っておきたい古都がある・173】

きのふはけふの物語
付録
『きのふはけふの物語』
下の31
 さる寺にて、順禮と鉢開と寝物語するをきゝければ、順禮申やう、「さてさて、いかなる因果にて、我らはかやうにあさましき事や。せめて天下を三日しりたひ。さあらば、國々の辻堂の板敷をたかだかと作らせ、縁の下にて、其方たちとゆるゆると話したひ」といふ。
鉢開が聞きて、「貴所はそれほど鈍なゆへに、諸國をめぐる事ぢや。その身に應じたる願ひをしたがよひ。たゞ我らは、京の國を一日なりともしりたひ」「なぜに」「町中の犬どもをみなうち殺させて、ゆるゆると鉢を聞きたい」といふた。

下の35
 「御若衆さま、弓矢八幡命がつれなふて、かやうに物を思ひ候。露ばかり御情」と、いろいろに言葉をつくし申ければ、若衆聞し召し、「我も岩木ならねば、御心中思ひやり候へども、とかく念者がきつうて心にまかせず候。さ程に思し召し候はゞ、永き契りとなり申べし。いざや一所に身を投げて、同じ蓮の縁となるべき」よし仰せければ、「さてさてかたじけない事かな。さらば御供申さう」とて、川のほとりへゆきて若衆仰せけるは、「いざ手をとりくみて、死出三途をも越さん」と仰せければ、「我らが事は何と果て候てもくるしからず候。まづまづ御急ぎ候へ。御成候やうを見とゞけ参らせて、やがて追つき申べし」と、ふかく契約申せば、「其儀ならば、六道の辻にて待ち申さん」とて、いたはしや、いまだ二八ばかりと見え給ひけるが、花のやうなる御姿を、浪の藻屑となし給ふ。さて、念者心静かに十念して、一首かくつらねし。
南無といふ聲のうちより身を投げて阿彌陀は水のこそあれ とはよみたれ共、「思へばいらぬ事ぢや。たゞ生残りて、後世を弔ひ申てこそ、眞實の心ざしにてあれ」とて、我と我身に意見して、一文字にかけもどる。
かの若衆も、何とかしてやがてあがり、さきにて行きあひ、幽靈かと思ひ肝をけし、剃刀をぬいて八双に構へ、「いかに亡霊、たしかに聞け。あとを弔ひてとらする。其がしを恨みて不覺するな」といひ捨て、あとも見ず逃げた。