【言っておきたい古都がある】

五郎兵衛さんの京都(その3)

~仏教が暮らしに根付いていた~

 さて、落語の元祖と言われている人は京都の露の五郎兵衛、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門だが、それぞれ『軽口露がはなし』、『軽口御前男』、『鹿の巻筆』という本を残している。ただ、ご本人が本当に自分で書いたのは『鹿の巻筆』だけで、あとの二つは『露がはなし』が周りの人が五郎兵衛さんの許可を取って聞き書きしたものを刊行したもので、『御前男』も口述筆記らしい。
 幸いにもこれらは全て岩波書店の日本古典文学大系『江戸笑話集』で読むことが出来る。タイトルだけを見ると江戸の話を集めたのかと勘違いしそうだが、「江戸時代」という意味なのだな。
 ところでこの『江戸笑話集』だが、日本古典文学大系全100巻の100巻目である。

 

おお、3人とも真打だったのだ!

 と、思ったのだが。。。。だいたい、こういう全集本は通巻番号の通りに刊行されるわけではない。配本順というのがある。それで、その配本を見てみると、第二期34巻のうち第27回配本であった。ちょっと中途半端なポジションかな。
 しかしこうなると、全100巻の100巻目ということは、

 

序列の一番下か!!

 オチがついてしまった。。。

 そこで本論である『軽口露がはなし』に移ろう。
 巻一第四では仏教を題材にした話しが出てくる。

 本国寺(当時、六条堀河にあった日蓮宗のお寺のことだろう)の大門の南に松を植えることになった。北側には昔から法華八軸に見立てた大木が8本るので、南側には法華二十八品にあやかり28本の松を植えるという。
 いくらになるか植木屋に見積もりを出させたら

「法華経だから一分八貫文」(法華経は一部八巻)

と洒落で答えた。四分で一両、四貫文で一両だから、「一分八貫」は「二両一分」で、今のお金に換算すると18万円になる。
 寺の坊さんたちは「上手いこと言よるなあ」と飽きれたり感心したりしながら、「この値段で出すしかないか」と諦めていたら、小賢しい寺男が出てきてこの植木屋の宗旨を尋ねた。
 植木屋が「浄土」と答えると寺男が

「それなら金子三歩経にまけよ」(浄土三部経)

と言って三分の一の6万円に負けさせたと。

 仏典が洒落のネタになっているわけだが、これで笑えたということは、江戸時代には仏教というものが生活の中に根付いていたのだと分かる。五郎兵衛さんの実演では、

「法華経でっか。ほな、一分八貫でんな」

と言っていたのだろう。そこに寺男が現れて

「おやっさんとこの宗旨は?」
「浄土や」
「それやったら、ちょうど三分経に負けてえな」

という会話になったわけである。
 これは長閑な話しだが、元禄期の京都にも偽坊主がいたようで、巻一第十にはそれを示唆する話が載っている。

 最近になって出家したという坊主が「六波羅の勧進」と言いながら各家を回って寄付金を集めていた。
 ところが六波羅蜜寺では工事をしている様子も無く、「さてはこいつは偽坊主に違いない」というので、数人でこの坊主を問い詰めると、

「愚僧の庵室は六波羅の片原町にある。そこは六波羅蜜寺の傍ら(片はら)で、片腹とはこの脇腹のこと。その片腹(傍ら)にある六波羅とは」

と衣の前をはだけて腹を丸出しにし、

「この腹(原)よ」

と開き直った。
 多分、勧進(肝心)のお金は酒と食い物でその腹に収まったのだろう。

 こういう偽坊主は平成の現代にもいて、京都ではそんな奴はめったに無いだろうが、大阪には結構いるみたいである。
 以前、私が聞いたのは、その大阪の偽坊主、「曹洞宗の衣を着て浄土真宗の袈裟を掛けていた」のだと。偽者でもコーディネートぐらいはちゃんとしてほしい。
 そういえば随分昔、我が家に来た托鉢の坊さんは「明暗」と書いた袋を下げたのスタイルに団扇太鼓を持ち、ラミネート加工した笠(恐らくどこかの本山の土産物屋で買ったのだろう)をかぶり、足にはスニーカーを履いていた。私は「どうぞお通りやす」と、作法どおりお断りしたのだが、去り際、相手は私を横目で睨んでいたのでいた。偽者だろうな。
 
 こういう偽者は室町時代からいて、室町期は山伏の格好をしていた。法螺貝を吹いて家々を回るわけだが、その偽者がかなり沢山いたので、今でも「嘘をつく」ことを「ホラを吹く」と言う。

 良い意味でも悪い意味でも、仏教というのは日本人の生活に溶け込んでいたのだ。
(つづく)

【言っておきたい古都がある・151】