【言っておきたい古都がある】

中世トリビア(その3)

~世の中も、神も仏も甘くない~

 今回も『沙石集』(岩波の日本古典文学大系)に基づくエピソードを紹介するが、この『沙石集』という本自体が中々ユニークである。前2回を読まれた方はもうお分かりと思うが、下風(げふう=おなら)の話題も平然と載せて僧侶を笑い飛ばしているし、仏教説話と言われながら仏教界批判(決して仏教批判ではない)も随所に見られる。
 しかも開巻直後、冒頭を飾るエピソードと言うのが、天照大神(アマテラスオオミカミ)が日本にやって来た仏様を第六天の魔王から守る話なのである。
 こんな「美談」とは別に、もっと身も蓋もない話も収録されている。
 巻第1ノ6。

延暦寺:法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうどう)

延暦寺:法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうどう)

 延暦寺東塔の北谷に貧しい僧が住んでいた。日吉神社に百日参詣して「この身の上を何とかしてください」と頼んだら、夢のお告げで

「相計らうべし」

と言ってもらえた。
 つまり「よっしゃ、わかった」ということだろうか。
 この僧は大喜びしたのだが、どんな良い事があるかと思っていたら、良い事は何もなく、それどころか長年住み慣れていた坊を追い出されてしまった。
 行く所もなく、仕方なしに西塔の南谷にある坊に身を寄せて、いずれ何か良い事があると期待していたら、良い事は何もなくてこちらの坊も追い出されてしまった。
 これはあんまりだと、また参籠して祈ると再びお告げがあり、

「お前の前世の悪行が酷すぎたのでこの世での良い巡り合わせといったものはない。せめて北谷は寒いから暖かい南谷に移してやったのだ。これ以外は私の力の及ぶところではない」

と、あっさり見放されてしまった。
 これって、神様の開き直りかしらん。
 確かに、ご利益宗教にはこのような面がある。

「あの人はあんなに真面目で良い人なのに、どうしてあんなに貧乏で苦労しているのですか」
「あの人の前世での悪行が大きかったからだ」

「あの人はあんなに悪い人なのに、どうしてあんなに幸せなのですか」
「あの人の前世での善行が大きかったからだ」

「あの人はこの宗教を信じているのにどうしてあんなに貧乏なのですか」
「この宗教を信じていなければもっと貧乏になっていたのだ」

「あの人はこの宗教を信じていないのにどうしてあんなにお金持ちなのですか」
「この宗教を信じれば、もっとお金持ちになれるのだ」

とまあ、こんな具合である。
 これらが詭弁か方便かは知らない。しかしまあ、こんなもんである。

 しかしこの東塔の坊さんも、「苦しいときの神頼み」だったのだな。仏様にはすがらなかった。だってそうだろう。仏門にいる自分自身が不遇なのだから、もう仏様にお願いしても仕方なかったに違いない。
 普通の人は切羽詰ったら仏様にすがるかもしれないが、坊さんが切羽詰ったら、すでに仏様にはすがっているのだから、もう神様しかすがる相手がいないということになるのだろう。

「苦しいときの神頼み」

 これはお坊さんの方にこそ切実な問題だったかもしれない。
 でも、神様にだってどうしようもない事はある。
 世の中、そんなに甘くはないのだ。
(来週に続く)

【言っておきたい古都がある・134】