【言っておきたい古都がある】

中世トリビア(その4)

~いい加減が良い加減?~

 今回も岩波の日本古典文学大系版で『沙石集』のエピソードを紹介していこう。
 本日のお話は「いい加減なことを言っても、それが現実のものになれば、いい加減ではなくなる」ということ。
 『沙石集』巻第2ノ1より。

 世の中にはいい加減な坊主がいて、医学の知識もないのに色々な人たちから病の相談を受けていた。この坊主の答はいつも同じで

「藤のコブを煎じて飲め」

というもの。いい加減ったらありゃしない。
image514 ところが、言われたとおり藤のコブを煎じて飲んだある人の病気が治ったのである。
 これって、プラシーボ効果と言うやつか。
 まあ「鰯の頭も信心から」とも言うが、心の底から信じて飲めば偽薬でも利くのだろう。恐るべし、人間の心理。
 ところが、今度はその人の馬が行方不明になってしまった。
 そこでまたこの坊主に相談すると、

藤のコブを煎じて飲め」

とアドバイスしたと。
 この坊主、自分で分からない事は全てこう答えていたらしい。
 相談した人も「いくら何でもそんなことが。。。」と訝しがったものの、「きっと何か理由があるのだろう」と自分に言い聞かせ、藤のコブを採りに行ったのだが、今までにあまりに採り尽したため、近辺では見つからなかった。
 仕方ないので遠く離れた山の麓まで藤を探しに行くと、なんと谷のほとりに行方不明の馬がいた!
 信ずる者は救われる。。。

 こうなると、この坊さんはいい加減なのか有難いのか分からなくなるな。
 巻第2ノ8には

「智慧浅けれども、信心深ければ、利益むなしからず」

とある。
 やはり信ずる者は救われるのだ。
 しかし、このエピソードの場合、いい加減な坊さんの言葉を信じた在家の人もさることながら、ひょっとしたらこの坊さんも信心が深かったのかもしれない。だから馬鹿の一つ覚えで藤のコブを煎じて飲ませただけで病気が治ったし、いなくなった馬も見つかった。
 これぞ御仏の御加護か。

 ところで、信心が深くなくても願いがかなうことがある。
 たとえば、この人がご祈祷をすれば必ず雨が降るという「霊能者」がいたとしよう。
 その言葉に嘘はない。ご祈祷によって今まで100パーセント雨が降った。
 さて、どこにインチキがあるのか?

 簡単、簡単。
 そのような「霊能者」はご祈祷を始めたら、雨が降るまで3ヶ月でも4ヶ月でもご祈祷を続けるのである。
 そりゃ、いつかは降るわな。
 超能力とはこんなもんである。

 「信心が深ければ願いがかなう」のが事実であるとしても、

「願いがかなったのだから信心が深かった」

とは限らない。
 全てはご本人の努力の賜物かもしれないのだから。

「天は自ら助くる者のみを助く」
「奇跡はそんなものを期待しない人だけに起きる」

 信心も努力も、両方とも大切なようで。。。(続く)

【言っておきたい古都がある・135】

沙石集(しゃせきしゅう / させきしゅう)
沙石集岩波書店鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。
鎌倉時代の僧無住が、多方面に及ぶ好奇心と無類の博識により集めた仏教説話集。中世の庶民生活、修行僧の実態、地方の珍しい話が巧みな語り口で描かれている。『徒然草』、連歌、狂言、落語などに多大な影響を与えた。
その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。