【言っておきたい古都がある】

中世トリビア(その7)

~仏様でもどうにもならない事がある~

 前回では坊さんにだって恥を知らない奴とか悪いことをする奴がいるというエピソードを紹介した。今も昔も大して変わっていないということで、嘆く人もあれば安心する人もいるだろう。
 むしろ安心なのではないか。
 「今の伝統宗教がだらしない」のなら、それは鎌倉時代からずーっとだらしなかったことになる。もう800年ぐらい「坊主がこんなことをするようでは世も末だ」と言われる状態が続いてきて、それで日本は滅びてはいない。
 「苦しいときの神頼み」で、いざとなればすがり付くのは神様であって、仏様ではないのだな。
 でも、「神仏習合」だったから、この「神頼み」の「神」には仏様も含まれているかもしれない。が、その仏様でもどうしようもない事がある、という話を例によって『沙石集』から拾ってみよう。
 まずは巻第4ノ3から。

釋雲照律師は、生涯木綿の衣と袈裟を着し、非時食戒を守り午後は食事を摂らなかった。

釋雲照律師は、生涯木綿の衣と袈裟を着し、非時食戒を守り午後は食事を摂らなかった。


 ある山寺の僧には弟子がたくさんいた。この僧が中風(今で言うと脳梗塞か脳出血などの疾患)で倒れ、体は不自由になったが命は助かって何年かが過ぎた。
 やがて弟子たちは看病に疲れて一人減り、二人減りして、とうとう誰もいなくなってしまった。
 すると一人の女性が現れ、この僧の面倒をみるようになったと。
 あまりに尽くしてくれるので僧は感激して「貴方は一体どういうお方なのか」と訪ねると、その女性は

「私は昔、貴方様と関係を持った女の娘です。貴方様のお立場上、親子の名乗りは上げられなくても、貴方様を父とお慕い申しておりましたが、弟子の方々が看病に疲れ誰もいなくなり、さぞやご不自由かと思いましたので、親孝行として最期まで看取ろうとここに参ったのでございます」

と涙ながらに告白。僧のほうも涙を流して娘との対面を喜び、看病をしてもらって心安く臨終を迎えたという。
 この坊さん、若い頃は不良をしていたのだな。女に子供産ませるなんて、戒律犯しまくり。
 でも、最晩年はその「若気の至り」でつくった子供のおかげで助かったと。
 これがもし真面目一徹の坊さんで、若い頃に産ませた子供なんていなかったら、弟子に見捨てられて野垂れ死にだっただろう。
 そこで(ここが『沙石集』の凄いところだが)そういった「真面目な坊さん」の話が巻第4ノ4にある。

プライベートジェット、ベンツ22台、愛人に隠し子… タイ破戒僧の僧籍剥奪

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 真面目一方だった僧が中風になったが、身の回りの世話をしてくれる人もおらず、小さな庵を結んで物乞いをして命を繋いでいた。
 道行く若い僧を呼び止めて「女はいないのか」と尋ね、相手が「女などいない」と答えると、

「私は若い頃から戒律を守り色欲から離れていた。かつては弟子も多かったが、このような不自由な体になるとみんな去っていき、生活にも困っている。さすがに自ら命を絶つこともできず、このような姿を晒して物乞いをし、生きながらえているのだ。妻や子があればこんな苦労もせずに済んだ。だから若いうちに女をつくれ。私のような病人になることを他人事だと思うな」

と教え諭した由。
 前回でも少し触れたが、生き物が生きて行くのは他の生き物の犠牲の上にしか成り立たない。故に不殺生戒なんて真面目に守っていたら飢え死にするしかない。
 同じように不女犯戒も真面目に守っていると、晩年になって病気になったとき大変なようである。
 戒律なんて、守らないほうが良いのか?
 少なくとも、ここでは戒律を無視して子供をつくっていた不良坊主のほうが幸せな最期を迎えている。
 何が良いのやら悪いのやら。
 
 ただ、それでは坊さんでも奥さんを貰ったほうがいいのかとなると、これまた反対のエピソードを提供してくれるのが『沙石集』である。
 巻第4ノ5の話。

 ある坊さんが気の合った女性と同棲して妻にしていた。この坊さん、病を得て余命いくばくもないと悟ったとき達観して、臨終のとき西を向いて念仏し、大往生を遂げようとしたら、何と奥さんが

「あなた~、死なないで~!」

と首にすがり付いてきた。坊さんは

「頼むから安らかに逝かしてくれ!」

と懇願するものの、奥さんは委細構わず端座合掌している坊さんを引き倒し、「死なないで~!」と抱きつく。
 声を大きくして念仏する坊さんと引き伏せる奥さんとで取っ組み合いになり、とうとうその状態で臨終してしまったと。

 ま、愛情も行き過ぎるとろくな事がないようで。。。
 仏様でも、こういった事態は救いようがないのかな。
(来週に続く)
 

【言っておきたい古都がある・138】