朝のうちに作り、その日のうちに売り切ってしまうのが朝生菓子

門前近隣のおまん屋はん by 五所光一郎

小生のオフィス(烏丸六角東)の「堂の前町」の北西方面に、隣接して「饅頭屋町」という町名がある。現在は「おまん屋はん」に関わる人達が居住し、製造し、あるいは商いをしている様子は、勿論微塵もない。

日本初の饅頭は、1341年元から帰化した林浄因(りんじょういん)により、小麦粉の中に餡を丸めて作られたとある。
その子孫にあたる「塩瀬」北家が、烏丸通六角に饅頭屋の店を出したのが饅頭屋の日本の第一号だと、町内の老人に聞いたことがある。
饅頭に関わる「おまん屋はん」は烏丸三条あたりに集まり、市中に広まっていったようだ。町名の「饅頭屋町」は、その名残であるらしい。
応仁の乱後、塩瀬北家は大繁盛をなし、足利義政から「日本第一番本饅頭所」の看板を授っている。

元来中国では、三国時代に諸葛孔明が南蛮討伐の帰りに氾濫する川を鎮めるために、「饅の頭(まんのとう)」と呼ぶ小麦粉を丸めたものを、人柱がわりに使ったことは有名な話(三国志演義)だが、それ以来「小麦粉をまるめたもの」を「饅の頭(まんのとう)」「饅頭(まんとう/まんじゅう)」と呼称されたといわれている。饅頭が日本に伝わる1100年も昔の話である。


さて、饅頭も和菓子の部類なのだが、京都では和菓子屋さんを「おまん屋はん」と「お餅屋はん」と「お菓子屋はん」との三つに言い分けて、呼び習わされている。

和菓子の中で、生菓子も上生菓子と朝生菓子とがある。お坊さんや来客時の客人に出されるのが上生菓子で、普段に家で食べるのは朝生菓子というのが日常なのである。この朝生菓子(屋)を扱うところを「おまん屋はん」と言う。朝のうちに作り、その日のうちに売り切ってしまうのが朝生菓子である。

「おまん屋はん」の店の前に、沢山並んでいる朝生菓子には固有名詞など”銘”は付いていない。そのものずばりに「柏餅」とか「桜餅」と呼ぶのが大方である。銘名、ネーミングされていないが、それでも「旨いものは旨い」、という朝生菓子が確かに街角には並んでいる。

京都の伝統ブランドを創り上げてきた職人達も、普段に食べていたのは朝生菓子であって、客人用の上生菓子を毎日食べてはいなかったはずである。
茶道の影響を受けている上生菓子の様に、その姿は「小ぶりで上品な形」ではないことが多い。だからこそ、気取っていない品のところを、味で親しみやすく、かつ旨いと唸らせなければならないのである。

後に、朝生菓子で洗練されて上生菓子の京菓子になっていったものもある。ブランディングの成功と呼べるものである。

余談だが、“生菓子は水分含有40%以上で、干菓子は20%以下。その中間が半生菓子”とされている。

 さて、餅の日というのは聞くことがないが、庶民に愛されているおまん屋はんの「饅頭の日」は8月1日となっている。
現在「饅頭屋町」にお菓子屋はないが、門前街角のおまん屋はん、お餅屋はんを挙げておく。

おはぎ四天王
 松屋 (烏丸七条西南 東本願寺)/ 音羽屋 (東山 泉涌寺)
 八勘本店 (西陣大宮商店街)  / 今西軒 (楊梅通烏丸西)

焼餅ご三家
 葵餅 神馬堂 (上賀茂神社)
 焼よもぎ餅 葵屋やきもち総本舗 (上賀茂神社)
 矢来餅 ゑびす屋加兵衛 (下賀茂神社) 

あぶり餅 両横綱
 一和<一文字和助> (今宮神社) / かざりや (今宮神社)

桜餅 二品
 本家桜餅本舗<琴きき茶屋> (嵐山 渡月橋北)
 鶴屋寿 (嵐山 嵯峨天竜寺)

柏餅 三品
 三河屋 (妙心寺北門前)
 小松屋 (寺町御池 本能寺)
 畑野軒老舗 (錦市場 高倉)


5184-041109-8/1

関連歳時/文化

饅頭の日
饅の頭
関連施設/場所
松屋
音羽屋
八勘本店
今西軒
神馬堂
葵屋やきもち総本舗
ゑびす屋加兵衛
一和
かざりや
本家桜餅本舗
鶴屋寿
三河屋
小松屋
畑野軒老舗
塩瀬北家
関連人物/組織

林浄因
諸葛孔明
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