道真公の託宣は「右近馬場に祠を建てよ」

梅と松の北野さんと御霊信仰 by 五所光一郎

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通称「天神さん」は、本来「地神(くにつかみ)」に対する「天神(あまつかみ)」のことである。
すなわち、天から降り来る神である。天から降り来る神への信仰では各地域ごとの各祭神を天神様として祀られ、屋敷内や辻、田のそばには祖霊や農神が地主神(じぬしがみ)として祀られていた。つまり、天神は道真公だけではなかった。

しかし、菅原道真公が919年大宰府天満宮に祀られ、947年京都北野天満宮の創建となって以来、「道真公の霊を祀った天神」が、天神といえば「祭神道真公の天神さん」と混同されるようになり、固有化し、天神さんと親しみ呼ばれる信仰となっている。
北野の天神さんは、5歳で和歌を詠み10歳で漢詩を書くなど大学者であった道真公にあやかるべく、「学問の神」として「合格祈願」で年中賑わっている。

因みに、北野天満宮社殿の北奥には、北野の創建以前からの地主神が、境内でもっとも古い社として祀られている。


北野天満宮の創建は、「人が神として祀られる第一の条件はその人がこの世に恨みを抱いて死んで行った場合である。」(柳田国男人を神に祀る風習」)に符合する。

道真公の没後朝廷では数々の異変が起こっている。没後6年、道真公を失脚させた藤原時平の39歳での死去をはじめとして、時平一族の縁の者の変死、死去が相次いだ。
更に没後20年の年には、醍醐天皇の皇太子保明親王が21歳にして、その2年後、故保明親王の皇太子慶頼王が幼くして死去した。親子ともに母は藤原時平の妹と娘である。

皇太子の急逝・疫病の蔓延・政争・天候不順など追い討ちを掛けるかのように襲う異変に醍醐天皇も恐れをなしていた。そして、930年清涼殿への落雷は宮中に多数の死者を出すことになった。
この雷のショックで床に伏した醍醐天皇は3ヶ月後に逝去した。

道真公の死去直後、道真公の霊が比叡山の尊意の元に現れ、「帝釈天の許しを得たので、帝たちに復讐したい」と語ったとの伝承がある。

また、「日本紀略」には、「天下庶人悲泣せざるはなし。その声雷の如し。世を挙げて言う、菅帥の霊魂宿怨のなすところなり」との記事が残っている。

これらより、「怨霊のたたり」との噂が洛中洛外に広がっていたことは、いとも容易く想像できる。何故なら、この時期には「祖霊、御霊」の信仰の基本が培われ、確立していたからである。

そして、863年「神泉苑」で初の「御霊会(ごりょうえ)」が執り行われ、後に、「天神信仰」「祇園信仰」「八幡信仰」と結びつき民間信仰の形成が行われていったようである。

京都には怨霊を鎮めるための神社や祭が今もたくさんある。
夏の祇園祭が疫病封じの御霊会であることを知らない人はない。京都は御霊信仰を外しては語れないところなのである。「応仁の乱」発端の「上御霊神社」などは神社の名からして表されている。



さて、930年醍醐天皇ご逝去の後、947年北野天満宮が創建される過程はというと。

創建となる5年前、多治比文子の枕元に立った道真公の託宣は「右近馬場に祠を建てよ」であったという。文子にはどうにもならず敷地内に小さな祠を設けお祀りした。今の「文子天満宮」である。

その5年後、近江比良宮神太郎丸(みわ たろうまる)に「右近馬場に祠を建てよ」との託宣がまたもやあったという。
太郎丸の父神(みわ)良種は多治比文子を訪れ、共に北野朝日寺の最珍に神殿建立の協力を願い出た。託宣にあった「右近馬場」には一夜にして数千本の松が生えるという奇跡が起きたのだという。

この道真公の怨霊を鎮め祀ることにより災難を排したいとする思いは、藤原一族や朝廷にとっても祈願の域に達していたのであろう。また、平将門がいち早く祀っていた為、祀ることから守護されるとの思惑も育まれ、やっと朝廷の重い腰があがったと考えられる。

こうして道真公は京都の地に戻ることとなったのである。


当の道真公本人の怨念が北野天満宮創建を望んでいたか、失意の内に静かに眠りたかったか、誰も知ることはできない。
しかし、987年一条天皇の勅命で「北野祭」が行われた事は本望であったろう。

そして、御霊の神荒神から、学問をもって無私に朝廷に仕えた学問の神として今も生きている。



北野祭 (ずいき祭 北野天満宮)
http://www.kitanotenmangu.or.jp/news/12.html

御霊会の成立 (歴史都市講座 園田学園)
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/K25022/toshimin03.html

御霊信仰 (劇場国家にっぽん 岩井国臣)
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/goryou.html

託宣 (地球旅行研究所)
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L161L100.HTM


【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5170-050222-2月

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