家庭で「やかん」を使っている光景が見れなくなっている。
若い人の所帯では「急須」がないところも増えている。
茶の葉が家庭で使われなく成りだしているのだ。ペットボトル茶かティーバックか、粉末茶に様変わりしているのだろうか。
総務省家計調査によると、茶葉の所帯当り年間消費量は1970年に2097グラムが、2003年には1139グラムへと、半減近くになっている。ところが、緑茶(リーフ)の減少と茶飲料の大幅増加で、ついに月間支出額で茶葉と茶飲料が同額になった。至れり尽くせりのペットボトルの利便性の結末だろうか。
茶飲料で喉の潤いは得られても、心の潤いまで満足させてくれるのだろうか。
ところが、茶飲料にブランドイメージを求め、欲している気質も伺える。
これは手っ取り早さという現代病かもしれない。
ここに、ブームにあるペットボトルのアンケート結果がある。
ペットボトル緑茶を買うときの選んだ理由を見てみると、
(1)テレビCMが良かったから
(2)コンビニなどで目につくとこにあったから
(3)商品のイメージタレントが好きだから
となっている。
笑えない。率直なアンケート結果だ。
まさに広告販促費用を買っていると言っても過言ではない。
例えば、京都福寿園という響きと映像で、宇治茶の全てを手にしたという錯覚に陥っているのだ。「伊右衛門さん」と、実に巧妙で秀逸なコマーシャルだと讃美し評価できる。
ところで、宇治茶がどうして銘茶なのか、理解されているのだろうか。
世界文化遺産に登録されている「栂尾山 高山寺(右京区梅が畑)」には日本最
古の茶園が残っている。鎌倉期に臨在宗栄西禅師が中国宋から持ち帰った茶種
を開祖(1206年)・明恵上人が栂野の畑に植えたという。
茶種は遣隋使により持ち帰られ、煎じて飲まれてはいるが半発酵茶(ウーロン茶など)であったようだ。
栄西は抹茶の製法や喫茶の習慣を持ち帰り広めた、「抹茶道」のルーツとなる
僧侶である。
その茶の効能を広めるべく宇治に1360年頃移植された茶は、その後室町時代には、将軍足利義満により、「宇治七茗園」と呼ばれる茶園となった。更に、時の幕府の喫茶の奨励は、「宇治茶」の名を全国に轟かせる結果となった。
室町時代に茶を飲む習慣が普及し出すと、大名達の催す「大茶会」や、町人衆には、飲んだ茶の銘柄を当てる賭け事の「闘茶」が流行した。
そして、安土桃山時代には精神交流の場といわれる「茶の湯」において、わびさび茶を千利休が完成させた。
江戸に入ると、庄屋、商人の習い事として、また武士の教養として作法が強調されるようになっていった。
これに対し気軽に楽しめる茶を求めた町衆達は、嗜好品として愛飲していたお茶を、「煎茶道」として受け入れ、文人達により完成されたのである。
この歴史の流れの中で、常に茶葉を提供し続けてきたのは、宇治に茶園を持つ「茶農家」であり、製法を操る「茶師」であった。抹茶道を支えてきた碾茶(てんちゃ)製法は800年にも及び、「覆下(おおいした)栽培」は現在も継承されている。
加工仕上げを為す「茶商」を今様にいうとブレンドメーカーである。
「お詰(おつめ)は一保堂です。」と、茶席問答に常連の「一保堂」も勿論京都府茶協同組合の「茶商」である。
宇治小倉で「玉露」が製造(1834年)されたのも「覆下栽培」に拠るもので、宇治田原で煎茶製法が確立(1738年)された100年も後のことである。煎茶(緑茶)は元来「露天栽培」で、ほうじ茶、玄米茶、番茶も同様である。
煎茶の「宇治流手もみ製法」は現在無形文化財に指定されているが、1738年永
谷宗円が編み出して以来、全国に広まった煎茶(緑茶)の原点であるのだ。
このようにルーツのあるところ、長い歴史に揉まれつづけながら技術が醸成、
熟成しているところ、常に時の勢力に最高級の本物を届けているところ、これ
が宇治茶ブランドのコアである。
国内産と比して、半額で仕入れられる荒茶原価と低賃金を求めて、茶飲料の工場が中国に建設されていると聞く。進出するのは宇治や静岡の地場の製茶工場ではない。何故なら彼らは茶葉や茶飲料を提供しているのではなく、茶文化の一端を担っている自負があるからと信じて止まない。
緑茶に迫る茶飲料への家計支出額
(静岡経済研究所)
http://www.seri.or.jp/column_uf/column_no0138.html
お茶の歴史探訪 高山寺 (歴史探訪)
http://okhome.fc2web.com/inves/kyo/tya/tyaen.html
宇治茶の歴史 (バルーンネット株式会社)
http://www.balloon.ne.jp/ippuku/rekisi.html
一保堂のこと (一保堂茶舗)
http://www.ippodo-tea.co.jp/about/
宇治茶手もみ製法・研修会 (小島製茶)
http://www.kojimaseicha.com/temomikensyukai.htm
煎茶道の流れ (財団法人松月流)
http://www.sala.or.jp/~matu/mihon4.htm
煎茶道へようこそ (全日本煎茶道連盟)
http://www.senchado.com/
黄檗山萬福寺
http://www.obakusan.or.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
若い人の所帯では「急須」がないところも増えている。
茶の葉が家庭で使われなく成りだしているのだ。ペットボトル茶かティーバックか、粉末茶に様変わりしているのだろうか。
総務省家計調査によると、茶葉の所帯当り年間消費量は1970年に2097グラムが、2003年には1139グラムへと、半減近くになっている。ところが、緑茶(リーフ)の減少と茶飲料の大幅増加で、ついに月間支出額で茶葉と茶飲料が同額になった。至れり尽くせりのペットボトルの利便性の結末だろうか。
茶飲料で喉の潤いは得られても、心の潤いまで満足させてくれるのだろうか。
ところが、茶飲料にブランドイメージを求め、欲している気質も伺える。
これは手っ取り早さという現代病かもしれない。
ここに、ブームにあるペットボトルのアンケート結果がある。
ペットボトル緑茶を買うときの選んだ理由を見てみると、
(1)テレビCMが良かったから
(2)コンビニなどで目につくとこにあったから
(3)商品のイメージタレントが好きだから
となっている。
笑えない。率直なアンケート結果だ。
まさに広告販促費用を買っていると言っても過言ではない。
例えば、京都福寿園という響きと映像で、宇治茶の全てを手にしたという錯覚に陥っているのだ。「伊右衛門さん」と、実に巧妙で秀逸なコマーシャルだと讃美し評価できる。
ところで、宇治茶がどうして銘茶なのか、理解されているのだろうか。
世界文化遺産に登録されている「栂尾山 高山寺(右京区梅が畑)」には日本最
古の茶園が残っている。鎌倉期に臨在宗栄西禅師が中国宋から持ち帰った茶種
を開祖(1206年)・明恵上人が栂野の畑に植えたという。
茶種は遣隋使により持ち帰られ、煎じて飲まれてはいるが半発酵茶(ウーロン茶など)であったようだ。
栄西は抹茶の製法や喫茶の習慣を持ち帰り広めた、「抹茶道」のルーツとなる
僧侶である。
その茶の効能を広めるべく宇治に1360年頃移植された茶は、その後室町時代には、将軍足利義満により、「宇治七茗園」と呼ばれる茶園となった。更に、時の幕府の喫茶の奨励は、「宇治茶」の名を全国に轟かせる結果となった。
室町時代に茶を飲む習慣が普及し出すと、大名達の催す「大茶会」や、町人衆には、飲んだ茶の銘柄を当てる賭け事の「闘茶」が流行した。
そして、安土桃山時代には精神交流の場といわれる「茶の湯」において、わびさび茶を千利休が完成させた。
江戸に入ると、庄屋、商人の習い事として、また武士の教養として作法が強調されるようになっていった。
これに対し気軽に楽しめる茶を求めた町衆達は、嗜好品として愛飲していたお茶を、「煎茶道」として受け入れ、文人達により完成されたのである。
この歴史の流れの中で、常に茶葉を提供し続けてきたのは、宇治に茶園を持つ「茶農家」であり、製法を操る「茶師」であった。抹茶道を支えてきた碾茶(てんちゃ)製法は800年にも及び、「覆下(おおいした)栽培」は現在も継承されている。
加工仕上げを為す「茶商」を今様にいうとブレンドメーカーである。
「お詰(おつめ)は一保堂です。」と、茶席問答に常連の「一保堂」も勿論京都府茶協同組合の「茶商」である。
宇治小倉で「玉露」が製造(1834年)されたのも「覆下栽培」に拠るもので、宇治田原で煎茶製法が確立(1738年)された100年も後のことである。煎茶(緑茶)は元来「露天栽培」で、ほうじ茶、玄米茶、番茶も同様である。
煎茶の「宇治流手もみ製法」は現在無形文化財に指定されているが、1738年永
谷宗円が編み出して以来、全国に広まった煎茶(緑茶)の原点であるのだ。
このようにルーツのあるところ、長い歴史に揉まれつづけながら技術が醸成、
熟成しているところ、常に時の勢力に最高級の本物を届けているところ、これ
が宇治茶ブランドのコアである。
国内産と比して、半額で仕入れられる荒茶原価と低賃金を求めて、茶飲料の工場が中国に建設されていると聞く。進出するのは宇治や静岡の地場の製茶工場ではない。何故なら彼らは茶葉や茶飲料を提供しているのではなく、茶文化の一端を担っている自負があるからと信じて止まない。
緑茶に迫る茶飲料への家計支出額
(静岡経済研究所)
http://www.seri.or.jp/column_uf/column_no0138.html
お茶の歴史探訪 高山寺 (歴史探訪)
http://okhome.fc2web.com/inves/kyo/tya/tyaen.html
宇治茶の歴史 (バルーンネット株式会社)
http://www.balloon.ne.jp/ippuku/rekisi.html
一保堂のこと (一保堂茶舗)
http://www.ippodo-tea.co.jp/about/
宇治茶手もみ製法・研修会 (小島製茶)
http://www.kojimaseicha.com/temomikensyukai.htm
煎茶道の流れ (財団法人松月流)
http://www.sala.or.jp/~matu/mihon4.htm
煎茶道へようこそ (全日本煎茶道連盟)
http://www.senchado.com/
黄檗山萬福寺
http://www.obakusan.or.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5158-050510-5月
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