紅葉が色づきはじめると、錦繍の秋という時候の句を使いたくなる。
また、錦繍の秋という語句からは「西陣織」の織文様が思い浮かぶ。
京織物の歴史は古く、平安期前まで遡ることとなるが、「西陣織」がブランドとして確立されたのは、足利室町期天文17年(1548)である。
「西陣」の呼称は元来地名にはなく、応仁の乱(1467~1477)における東西両軍の本陣である「東陣・西陣」を指すものであった。そして戦後、その両陣のあった地に、京織物を再興すべく、織物職人達は疎開より帰り戻った。 西陣に秦氏ゆかりの綾織物職人達が、東陣に「白雲村」の練貫職人達が各々に集まり、京織物の営業権を手中に入れるべく争っていた。
ところが、戦国期の足利将軍末期1548年に、西陣の職人が足利家の官に任命されたことから、京織物での圧倒的優勢を勝ち取ったのである。
以来日本の織物の最高峰として世界に知れ渡っている。
さて、京の都を11年にも及び焦土と化した応仁の乱は、そもそも義政将軍の気紛れによる所為であると言える。
将軍職の跡目を、義政が先に禅譲した弟義視か、後に正室富子との間に生まれた義尚か。
いずれにするかが発端となった。更に、側近の進言により下した義政将軍の過ち、すなわち三管領斯波(しば)家の家督の移転継承の争いが加わり、またしても騒動の種を蒔いた。
東山文化を生んだ8代将軍義政は政治には関心が薄く、幕政はもっぱら「三管四職」に任せっきりで、とりわけ管領(かんれい/役職や領地を管理・支配する)の細川勝元、四職(ししょく/京都の軍事・刑事を司る侍所の長)家の山名宗全、正室の日野富子らが影響力を持ち支配していた。
そこへ、幕府権力の実権を狙った守護大名達の策謀が政争に輪を掛け、長びいた政変の歳月は旧来勢力の没落と新勢力の台頭を促す結果をもたらしたといえる。
室町初期に記された「コノ頃都ニハヤル物 夜討 強盗 ・・・下剋上する成出者 ・・・」で知られる「二条河原の落書(らくしょ)」(建武記)にある風潮が時の政権にまで及ぶこととなったわけだ。
まさに戦国時代突入の兆しであったに違いない。
下剋上の風潮に通じる時代の大きな変革の波は、他にも見受けられる。
土地の所有権とも言える奈良時代よりの「荘園制度」は、室町初期より守護大名による「守護請」により年貢が徴収されていたが、この荘園支配にも陰りが見え始めた。 民衆の団結・自立の傾向が強まり、自治力を発揮する「惣村」が生まれ、奈良時代に始まった中央貴族の支配する「荘園」も解体の一途を走り出した。
「土一揆」が頻発し、1485年には「山城国一揆(やましろのくにいっき)」が起こり、
同じ身分階層の者で、権利行使のために立ち上がること秩序とする思想が、そこに定着していたことが伺える。
更には、新興宗教によって組織された武士、農民、商工業者などによる「一向一揆」なども生まれ、公家、武家などの旧体制に属さない新勢力が、歴史の舞台に登場し始める時代となった。
このように見てみると、足利室町幕府の成立と応仁の乱は、現代社会の日本の礎となる芽の多くを息づかせたのである。
これらは、雅やかな王朝文化の京都という側面とは対極の、もうひとつの京都の顔を浮き彫りにしていると思う。
上御霊神社鳥居前には、「応仁の乱勃発地」(上京区御霊前通烏丸東入)の石碑が、今も立っている。
西陣WEB (西陣織工業組合)
http://www.nishijin.or.jp/
応仁の乱を歩く1 (平安京探偵団)
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki39.html
日本史用語の基礎知識 上御霊神社 (持田新右ヱ門)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/tishiki/ks00273.htm
御霊神社
http://goryou.area-kyoto.net/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
また、錦繍の秋という語句からは「西陣織」の織文様が思い浮かぶ。
京織物の歴史は古く、平安期前まで遡ることとなるが、「西陣織」がブランドとして確立されたのは、足利室町期天文17年(1548)である。
「西陣」の呼称は元来地名にはなく、応仁の乱(1467~1477)における東西両軍の本陣である「東陣・西陣」を指すものであった。そして戦後、その両陣のあった地に、京織物を再興すべく、織物職人達は疎開より帰り戻った。 西陣に秦氏ゆかりの綾織物職人達が、東陣に「白雲村」の練貫職人達が各々に集まり、京織物の営業権を手中に入れるべく争っていた。
ところが、戦国期の足利将軍末期1548年に、西陣の職人が足利家の官に任命されたことから、京織物での圧倒的優勢を勝ち取ったのである。
以来日本の織物の最高峰として世界に知れ渡っている。
さて、京の都を11年にも及び焦土と化した応仁の乱は、そもそも義政将軍の気紛れによる所為であると言える。
将軍職の跡目を、義政が先に禅譲した弟義視か、後に正室富子との間に生まれた義尚か。
いずれにするかが発端となった。更に、側近の進言により下した義政将軍の過ち、すなわち三管領斯波(しば)家の家督の移転継承の争いが加わり、またしても騒動の種を蒔いた。
東山文化を生んだ8代将軍義政は政治には関心が薄く、幕政はもっぱら「三管四職」に任せっきりで、とりわけ管領(かんれい/役職や領地を管理・支配する)の細川勝元、四職(ししょく/京都の軍事・刑事を司る侍所の長)家の山名宗全、正室の日野富子らが影響力を持ち支配していた。
そこへ、幕府権力の実権を狙った守護大名達の策謀が政争に輪を掛け、長びいた政変の歳月は旧来勢力の没落と新勢力の台頭を促す結果をもたらしたといえる。
室町初期に記された「コノ頃都ニハヤル物 夜討 強盗 ・・・下剋上する成出者 ・・・」で知られる「二条河原の落書(らくしょ)」(建武記)にある風潮が時の政権にまで及ぶこととなったわけだ。
まさに戦国時代突入の兆しであったに違いない。
下剋上の風潮に通じる時代の大きな変革の波は、他にも見受けられる。
土地の所有権とも言える奈良時代よりの「荘園制度」は、室町初期より守護大名による「守護請」により年貢が徴収されていたが、この荘園支配にも陰りが見え始めた。 民衆の団結・自立の傾向が強まり、自治力を発揮する「惣村」が生まれ、奈良時代に始まった中央貴族の支配する「荘園」も解体の一途を走り出した。
「土一揆」が頻発し、1485年には「山城国一揆(やましろのくにいっき)」が起こり、
同じ身分階層の者で、権利行使のために立ち上がること秩序とする思想が、そこに定着していたことが伺える。
更には、新興宗教によって組織された武士、農民、商工業者などによる「一向一揆」なども生まれ、公家、武家などの旧体制に属さない新勢力が、歴史の舞台に登場し始める時代となった。
このように見てみると、足利室町幕府の成立と応仁の乱は、現代社会の日本の礎となる芽の多くを息づかせたのである。
これらは、雅やかな王朝文化の京都という側面とは対極の、もうひとつの京都の顔を浮き彫りにしていると思う。
上御霊神社鳥居前には、「応仁の乱勃発地」(上京区御霊前通烏丸東入)の石碑が、今も立っている。
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【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5054-061107-秋
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三管四職
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荘園制度
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山城国一揆(やましろのくにいっき)
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