恥ずかしながら、小生も「源氏物語」を読み通したことがない。
日本が誇る世界最古の54帖にも及ぶ長編小説であり、平安王朝文化形成の重要なファクターが詰まった、日本人の普遍的価値のソースがあると言われる、我々が誇るべき作品である。
英訳をはじめとして20言語に翻訳され出版されており、親日家や日本を知ろうとする外国人の入門書のように読まれていると聞く。
彼らは日本人以上に日本人の心や美学を分析理解しているようである。
長編を読み通せず、第一帖「桐壺の巻」で投げ出す読者が多く、長続きしない
ことを「隠公左伝桐壺源氏(いんこうさでんきりつぼげんじ)」と例える言葉まである。
さらば、桐壺源氏となる挫折に懲りず、今更とも言わず、早々に現代語訳とマンガ本で一気征覇を為さざるを得ない。
2008年11月1日は源氏物語千年紀である。今からなら通読は十分に可能であろう。
自国に誇りが持てず、その文化やルーツさえ語れない日本人の如く、京都人の京都知らずとならぬよう心がけねばなるまい。
時同じくして、小社の発行する京都CF!誌が通巻300号を迎える。
単なる羅列情報誌に飽き足らず、常に温故知新に時代の視点を捉え、風流に文化の息吹を求め、粋をスタンダードに京の町場を綴ってきた。
王朝文化の綴られた源氏物語と並べて語るものではないことは承知の上で、京の綴り手としての気構えだけは「紫式部」にも負けたくはない思いだ。
千年紀と通巻300号双方の記念日が同日なのを、何かの因縁と考え、これ等の節目の機会を生かした記念催事を是非企画したい。
それらが京都より発せられ、時代の泡沫を見、表してきた原点となる視点を知らしめ、次世代へと引き継いでいかなくてはならないと思う。
さて、源氏物語に触れるにあたって、その背景の現代との違いについて予備知識を持っておく必要がある。これなしに理解をしようとすると意味不明になったり、その心情の機微が捉えられないというものだ。
まず一夫一妻制の夫婦が理想と思われていたが「一夫多妻制」で、夫が妻の宅を訪れる「通い婚」であったこと。子供に恵まれても、男性は子育てをすることはなく、子供は各々の妻の実家で育てられていたこと。
男性は結婚するまで、貴族女性の顔姿を見ることができず、牛車の簾(すだれ)や、邸内においては御簾(みす)や衝立(ついたて)を隔ててでないと話せなかったこと。
しかし、顔も見知らぬ異性と、まずは歌を詠み合い、その教養や人となりを計り、双方が気に入り恋仲となると、婚姻前にも、侍女の計らいで寝屋にて情交を持つことは道徳的にも咎(とが)められるものではなかったこと。
まだまだあるこれらの前提を知ると、物語りの展開が面白く読めるというものだ。
明治以降の「貞操」教育、昭和以降の「純潔」教育の洗礼を受けている小生世代は、平成の世を俯瞰するときも、平安の世の歴史を旅するときも、予備知識の前提を持たないと、戸惑うのは当然かもしれない。
「フリーダム・Love&Peace」の名の元に、多少の罪悪感を抱きつつ、その解放を掲げ青春時代を過ごしたが、「偕老同穴」の価値観は変わっていない。
長く豊かな黒髪と綺麗な衣装に身をまとい、豊かな感性と教養を持つ美女と、墓場まで伴にすることは今では夢の話なのだろうか。
源氏物語千年紀委員会
http://www.2008genji.jp/
源氏大学
http://www.genji-daigaku.com/
偕老同穴であることの困難 (文芸春秋)
http://www.bunshun.co.jp/pickup/kairodoketu/kairo01.htm
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
日本が誇る世界最古の54帖にも及ぶ長編小説であり、平安王朝文化形成の重要なファクターが詰まった、日本人の普遍的価値のソースがあると言われる、我々が誇るべき作品である。
英訳をはじめとして20言語に翻訳され出版されており、親日家や日本を知ろうとする外国人の入門書のように読まれていると聞く。
彼らは日本人以上に日本人の心や美学を分析理解しているようである。
長編を読み通せず、第一帖「桐壺の巻」で投げ出す読者が多く、長続きしない
ことを「隠公左伝桐壺源氏(いんこうさでんきりつぼげんじ)」と例える言葉まである。
さらば、桐壺源氏となる挫折に懲りず、今更とも言わず、早々に現代語訳とマンガ本で一気征覇を為さざるを得ない。
2008年11月1日は源氏物語千年紀である。今からなら通読は十分に可能であろう。
自国に誇りが持てず、その文化やルーツさえ語れない日本人の如く、京都人の京都知らずとならぬよう心がけねばなるまい。
時同じくして、小社の発行する京都CF!誌が通巻300号を迎える。
単なる羅列情報誌に飽き足らず、常に温故知新に時代の視点を捉え、風流に文化の息吹を求め、粋をスタンダードに京の町場を綴ってきた。
王朝文化の綴られた源氏物語と並べて語るものではないことは承知の上で、京の綴り手としての気構えだけは「紫式部」にも負けたくはない思いだ。
千年紀と通巻300号双方の記念日が同日なのを、何かの因縁と考え、これ等の節目の機会を生かした記念催事を是非企画したい。
それらが京都より発せられ、時代の泡沫を見、表してきた原点となる視点を知らしめ、次世代へと引き継いでいかなくてはならないと思う。
さて、源氏物語に触れるにあたって、その背景の現代との違いについて予備知識を持っておく必要がある。これなしに理解をしようとすると意味不明になったり、その心情の機微が捉えられないというものだ。
まず一夫一妻制の夫婦が理想と思われていたが「一夫多妻制」で、夫が妻の宅を訪れる「通い婚」であったこと。子供に恵まれても、男性は子育てをすることはなく、子供は各々の妻の実家で育てられていたこと。
男性は結婚するまで、貴族女性の顔姿を見ることができず、牛車の簾(すだれ)や、邸内においては御簾(みす)や衝立(ついたて)を隔ててでないと話せなかったこと。
しかし、顔も見知らぬ異性と、まずは歌を詠み合い、その教養や人となりを計り、双方が気に入り恋仲となると、婚姻前にも、侍女の計らいで寝屋にて情交を持つことは道徳的にも咎(とが)められるものではなかったこと。
まだまだあるこれらの前提を知ると、物語りの展開が面白く読めるというものだ。
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【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5116-080122-11/1
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