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七月の京都は祇園祭一色になる。その影になってしまい、ついつい等閑になり見落としてしまう歳時記も多い。
そのうちのひとつが七夕祭ではないだろうか。
現在も、幼稚園などでは笹飾りを作り、町を歩くと幼子のいるであろう家庭の軒先やバルコニーに、短冊のつけられた笹飾りを見掛ける。
その他、笹飾りが見受けられるのは商店街の七夕祭であろうか。
七夕祭というと、仙台の七夕が最も有名な都市イベントだと思うが、総じて、関東や東北の方が盛んなように思う。七夕祭の葉竹、笹飾りで、壮大なものは西日本に思い当たるところが少ない。
そもそも、商店街の売り出し企画で七夕祭りを盛大に行い、戦後、大きな笹飾りをはじめたのは仙台が始めで、その成功に肖ろうと全国の商店街に広がったと記されていた。
さて京都において、明治以前の京都に関わる文献や図録を探してみても、「市中繁栄七夕祭(名所江戸百景/歌川広重)」にあるような、短冊に願い事を書き葉竹に飾った絶景ともいえる見事なものは見当たらない。
それもその筈である。短冊などを笹に飾る風習は花の大江戸に始まったものであった。
それでは、京の都での七夕はどうしていたのだろうか。
元来、七夕は奈良時代に「乞巧奠(きこうでん)」として中国より伝来した節供と、日本の棚織津女(たなばたつめ)の伝説とが習合して生まれた祭事である。
平安朝ではそれに習い、御所清涼殿の前に祭壇を設け、食物などの供物を並べ、管絃や詩歌の宴が催された。その宴には、琴や琵琶などの管弦楽器、更に、五色の布や糸や針が並べられる。花瓶には秋の七草が生けられ、角盥(つのだらい)には梶の葉を浮かべた水を張り、星を映して眺められるように設えられていた。
そうして、織姫星に技芸上達を願うとともに、結婚して働かなくなった為、天帝に引き離された織姫と夏彦星の年に一度の逢う瀬のロマンに、雅な思いを寄せていたのである。
その宮廷の祭事に習い、公卿達も各々の家々で七夕の行事を催し楽しんでいた。
それらの平安王朝における七夕の様子や設えは、下京区新花屋町通堀川東の井筒南店の5階にある「風俗博物館」で再現されていて、一見に値する。
また、8月末には冷泉家(上京区) で、今に伝わる「乞巧奠」の行事を執り行っている。
その他、京都の神社で執り行われている七夕の神事、祭事では、新暦7月7日に、北野天満宮の「御手洗祭 七夕祭」、白峯神社の「精大明神祭」、地主神社の「七夕祭」が、8月7日(旧暦7月7日)には、北区紫野にある織姫神社の「七夕祭」が挙げられる。
この七夕祭は、五節句の中でも、雛祭り(3月3日)や端午の節句(5月5日)に並ぶ代表的な三節句のひとつであり、特に堅苦しいしきたりはなく、季節の移り変わりを感じ取り、各々の節句を楽しんできた日のようである。
しかも、七夕祭にまつわる伝説から見れば、他の二つの節句を祝うような子供の祭りではない。年に一度の男女の逢瀬をロマンチックに星空に託し描いたものであり、どの説話も怠け者を諭し、技芸上達を祈っているものである。つまり、古来より日本では、大事な愛の記念日なのである。
バレンタインデーも誠に結構であるが、日本にある七夕祭を置き去りにして行っているならば、節操のない唯の商戦であり、乗せられた唯の消費者である。
自らの出自を省みるなら、まず七夕祭に縁結びの祈願をし、更に、円満で安心した家庭づくりを祈願し、プレゼントを交換するとかがあって然るべきかと、小生は思う。
それがない限り、やはり軽薄な民族のそしりを他国より受けても、甘受しなければならないだろう。
商戦に向けたプロモーションを行う者の功罪もある。国家の綻びはこんなところから徐々に始まるのではないかと憂うのは小生だけであろうか。
自国へのプライドの持ち方、またそれを表す方法は国によって様々である。
近年、台湾では七夕祭に、男女がプレゼントを交換していると聞いた。
仙台七夕の歴史 (鳴海屋紙店)
http://www.tanabatank.co.jp/history.php
7月7日 七夕の節句 (平安武久)
http://www.bukyu.com/seck/s7.html
七夕 六条院四季の移ろい (風俗博物館)
http://www.iz2.or.jp/rokushiki/7.html
御手洗祭・七夕祭(北野天満宮)
http://www.kitanotenmangu.or.jp/news/10.html
七夕祭 小町をどり(白峯神宮)
http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/page011.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
そのうちのひとつが七夕祭ではないだろうか。
現在も、幼稚園などでは笹飾りを作り、町を歩くと幼子のいるであろう家庭の軒先やバルコニーに、短冊のつけられた笹飾りを見掛ける。
その他、笹飾りが見受けられるのは商店街の七夕祭であろうか。
七夕祭というと、仙台の七夕が最も有名な都市イベントだと思うが、総じて、関東や東北の方が盛んなように思う。七夕祭の葉竹、笹飾りで、壮大なものは西日本に思い当たるところが少ない。
そもそも、商店街の売り出し企画で七夕祭りを盛大に行い、戦後、大きな笹飾りをはじめたのは仙台が始めで、その成功に肖ろうと全国の商店街に広がったと記されていた。
さて京都において、明治以前の京都に関わる文献や図録を探してみても、「市中繁栄七夕祭(名所江戸百景/歌川広重)」にあるような、短冊に願い事を書き葉竹に飾った絶景ともいえる見事なものは見当たらない。
それもその筈である。短冊などを笹に飾る風習は花の大江戸に始まったものであった。
それでは、京の都での七夕はどうしていたのだろうか。
元来、七夕は奈良時代に「乞巧奠(きこうでん)」として中国より伝来した節供と、日本の棚織津女(たなばたつめ)の伝説とが習合して生まれた祭事である。
平安朝ではそれに習い、御所清涼殿の前に祭壇を設け、食物などの供物を並べ、管絃や詩歌の宴が催された。その宴には、琴や琵琶などの管弦楽器、更に、五色の布や糸や針が並べられる。花瓶には秋の七草が生けられ、角盥(つのだらい)には梶の葉を浮かべた水を張り、星を映して眺められるように設えられていた。
そうして、織姫星に技芸上達を願うとともに、結婚して働かなくなった為、天帝に引き離された織姫と夏彦星の年に一度の逢う瀬のロマンに、雅な思いを寄せていたのである。
その宮廷の祭事に習い、公卿達も各々の家々で七夕の行事を催し楽しんでいた。
それらの平安王朝における七夕の様子や設えは、下京区新花屋町通堀川東の井筒南店の5階にある「風俗博物館」で再現されていて、一見に値する。
また、8月末には冷泉家(上京区) で、今に伝わる「乞巧奠」の行事を執り行っている。
その他、京都の神社で執り行われている七夕の神事、祭事では、新暦7月7日に、北野天満宮の「御手洗祭 七夕祭」、白峯神社の「精大明神祭」、地主神社の「七夕祭」が、8月7日(旧暦7月7日)には、北区紫野にある織姫神社の「七夕祭」が挙げられる。
この七夕祭は、五節句の中でも、雛祭り(3月3日)や端午の節句(5月5日)に並ぶ代表的な三節句のひとつであり、特に堅苦しいしきたりはなく、季節の移り変わりを感じ取り、各々の節句を楽しんできた日のようである。
しかも、七夕祭にまつわる伝説から見れば、他の二つの節句を祝うような子供の祭りではない。年に一度の男女の逢瀬をロマンチックに星空に託し描いたものであり、どの説話も怠け者を諭し、技芸上達を祈っているものである。つまり、古来より日本では、大事な愛の記念日なのである。
バレンタインデーも誠に結構であるが、日本にある七夕祭を置き去りにして行っているならば、節操のない唯の商戦であり、乗せられた唯の消費者である。
自らの出自を省みるなら、まず七夕祭に縁結びの祈願をし、更に、円満で安心した家庭づくりを祈願し、プレゼントを交換するとかがあって然るべきかと、小生は思う。
それがない限り、やはり軽薄な民族のそしりを他国より受けても、甘受しなければならないだろう。
商戦に向けたプロモーションを行う者の功罪もある。国家の綻びはこんなところから徐々に始まるのではないかと憂うのは小生だけであろうか。
自国へのプライドの持ち方、またそれを表す方法は国によって様々である。
近年、台湾では七夕祭に、男女がプレゼントを交換していると聞いた。
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http://www.tanabatank.co.jp/history.php
7月7日 七夕の節句 (平安武久)
http://www.bukyu.com/seck/s7.html
七夕 六条院四季の移ろい (風俗博物館)
http://www.iz2.or.jp/rokushiki/7.html
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http://www.kitanotenmangu.or.jp/news/10.html
七夕祭 小町をどり(白峯神宮)
http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/page011.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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