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葵祭というと、十二単の斎王代と華やかな女人列に話題と目線が集中し、王朝風俗の優雅な伝統を偲ばれる方が多いが、本来、路頭の儀は勅使列が本列であり、斎王代・女人列は付帯しているものであると聞かされた。
また、勇壮な前儀の神事や社頭の儀に祭の本質があることも忘れてはならない。
路頭の儀の起源は、凶作の原因を封じ、民に安泰な暮らしをもたらした賀茂社の祭礼に、天皇の祝詞を読み上げお供えを届けるために、勅使が御所から賀茂社へ行列したものであるという。
ということは、天皇の祝詞とお供えを届ける巡行列がどんなものであったか。
まず、本列は四列からなる勅使列で構成されている。
第一列は、検非違使(けびいし)に山城使(やましろづかい)などで、巡行の警護にあたる人たちである。
御所を出て洛外の地を巡行することから、警察法務を扱う検非違使の警護のほかに、洛外の沿道を所管する山城使の警護が加わるという、幾重もの警護体制であることがわかる。
先頭集団は「乗尻(のりじり)」と呼ばれる、五日の競馬会(くらべうまえ)の左方(さかた)右方(うかた)の衣装を着分けた騎馬隊に始まり、藍色の竜模様の衣と袴をつけ、行列の先払いを行う江戸幕府派遣の警備役「素襖(すほう)」が続く。
この後に、検非違使、山城使、馬寮使(めりょうつかい)、舞人(まいうど)、陪従(ばいじゅう)、内蔵使(くらづかい)などで第四列まで続くが、途中、御幣櫃や宝物に気づき、牛車を見れば、何となく葵祭らしいと思えるだろうが、それ以外、パッと見は歩く人と騎馬が通っているだけである。
予習もそこそこに観に行き、「あれは誰ぞ」と慌ててパンフレットを見たとしても、行列の一部始終が書かれているわけではなく、読み解く頃には、はるか遠くに進んでしまっている。
葵祭を観るならば、仮装行列の見物ではないので、行列の登場人物がどういう役割であるかを、装束や持ち物に着目し、行列の意義を理解していくのが最も良いと思う。
それには、身分階級を見定める見方や、列毎の主従の単位ごとに憶えておくと良い。
まず、馬の違いは見分けられないので、馬につけられた房の量、豪華さの違いで地位の高さを判断し、注目観賞されるのはいかがだろう。
勅使列をどこから観はじめても、行列の最高位の近衛使の馬は歴然としている。
房はなくとも皮製の冠を装っているからである。
この馬にまたがる近衛使代は黒色の束帯で、他の武具などを見なくとも、勅使代であることがだれにでも分かるだろう。
検非違使列で騎乗しているのは、薄紅装束の看督長(かどのおさ/巡査)の直後に淡い藍色の装束の検非違使志(けびいしのさかん/警察司法の武官担当者)が火長(かちょう)、如木(にょぼく)、白丁(はくちょう)など下役を率い、続いて、その直属の上司で明るく黄みを帯びた橙色の装束の検非違使尉(けびいしのじょう/警備の最高責任者)である。
何れも弓矢を持つ調度掛(ちょうどがけ)に、鎖を持つ鉾持(ほこもち)を従え、武装している。
そして、緋色の装束の山城使(山城国司の次官/副知事)が、ぎっしりと詰まった真紅の房を揺らがせる馬で巡行する。
検非違使のまたがる馬の房は間隔を置いて(辻総/つじふさ)垂れているが、山城使の馬の首周りの房はぎっしり繋がり垂れているので、房の量から山城使の方が重鎮と推定できる。
山城使の従者や所用品に目を奪われていると、御幣櫃(ごへいびつ)に内蔵寮史生(くらりょうのししょう/御幣物管理の文官)が騎乗し、数々の豪奢な御幣物のあとに、走馬(そうめ)と馬寮使(めりょうつかい/走馬を司る武官)も騎乗して行列は続く。
何れの馬の房も同じように僅かしかなく、山城使より位階の低い役人である。
馬上の人様のどちらもが明るい薄青色(縹色 /はなだいろ)の束帯なので、同じ役職かと思ってしまう。
よくよく見比べると、文官、武官の違いに気づく。文官なら内蔵寮史生で、武官なら馬寮使である。その文官武官の判別は冠を見ると良い。
武官は巻櫻冠(けんえいのかんむり/冠の後ろに垂れているうすものが上に内巻している)で、両耳の辺りに、おいかけ(半月状の馬の尾の一端を編んで打ち開いた飾りもの)をかけており、文官は何れでもない。
これを知るだけで、牛車の後に騎馬して巡行してくる、橙色の舞装束をつけた六人の舞人(まいうど)は、歌舞の堪能な武官であると判る。
勅使近衛使代に後続する、随身(ずいしん/高官の警護)、牽馬(ひきうま/帰路の替え馬)、風流傘(ふうりゅうかさ)の後に、紫の柄入り装束で騎馬する七人の陪従(ばいじゅう)となる。賀茂両神社の社頭の儀で雅楽を奏する近衛府の帯剣した武官である。
仮に刀を差していなくても、両耳においかけをかけているから、雅楽を奏する武官だと考えれば良い。
本列の結びとなるのは、勅使近衛使代の神前で奏上する御祭文を預り持つ緋色装束の内蔵使である。おいかけもないので文官とばかり思っていたが、文武兼官の次官であるようだ。未だ文武兼官の判別の仕方は知らない。
内蔵使の馬は、馬寮使、内蔵寮史生、舞人、陪従の馬の房とは明らかに違い、首から胸にかけてぎっしりと飾られていた。山城使に迫るぐらいに豪華で、御祭文を預り持つ人の位階の高さがうかがえる。
そして、斎王代列の花傘と勘違いしていたが、本列最後の風流傘である。
斎王代や女人列を綺麗な衣装だなぁ、と観ているうちは気楽で良かった。
しかし、本列を知るべく紐解いて観てゆくと、賀茂氏の氏神の祭礼が伊勢神宮の祭礼に次ぐ勅祭であったことが頷ける。
と同時に、ふり仮名無しに正しく読める名称の少ないことにも驚かされる。
ともあれ、葵祭の勅使列のキャスティングの見分け方は、馬は房。人は冠。それが極意。
また、勇壮な前儀の神事や社頭の儀に祭の本質があることも忘れてはならない。
路頭の儀の起源は、凶作の原因を封じ、民に安泰な暮らしをもたらした賀茂社の祭礼に、天皇の祝詞を読み上げお供えを届けるために、勅使が御所から賀茂社へ行列したものであるという。
ということは、天皇の祝詞とお供えを届ける巡行列がどんなものであったか。
まず、本列は四列からなる勅使列で構成されている。
第一列は、検非違使(けびいし)に山城使(やましろづかい)などで、巡行の警護にあたる人たちである。
御所を出て洛外の地を巡行することから、警察法務を扱う検非違使の警護のほかに、洛外の沿道を所管する山城使の警護が加わるという、幾重もの警護体制であることがわかる。
先頭集団は「乗尻(のりじり)」と呼ばれる、五日の競馬会(くらべうまえ)の左方(さかた)右方(うかた)の衣装を着分けた騎馬隊に始まり、藍色の竜模様の衣と袴をつけ、行列の先払いを行う江戸幕府派遣の警備役「素襖(すほう)」が続く。
この後に、検非違使、山城使、馬寮使(めりょうつかい)、舞人(まいうど)、陪従(ばいじゅう)、内蔵使(くらづかい)などで第四列まで続くが、途中、御幣櫃や宝物に気づき、牛車を見れば、何となく葵祭らしいと思えるだろうが、それ以外、パッと見は歩く人と騎馬が通っているだけである。
予習もそこそこに観に行き、「あれは誰ぞ」と慌ててパンフレットを見たとしても、行列の一部始終が書かれているわけではなく、読み解く頃には、はるか遠くに進んでしまっている。
葵祭を観るならば、仮装行列の見物ではないので、行列の登場人物がどういう役割であるかを、装束や持ち物に着目し、行列の意義を理解していくのが最も良いと思う。
それには、身分階級を見定める見方や、列毎の主従の単位ごとに憶えておくと良い。
まず、馬の違いは見分けられないので、馬につけられた房の量、豪華さの違いで地位の高さを判断し、注目観賞されるのはいかがだろう。
勅使列をどこから観はじめても、行列の最高位の近衛使の馬は歴然としている。
房はなくとも皮製の冠を装っているからである。
この馬にまたがる近衛使代は黒色の束帯で、他の武具などを見なくとも、勅使代であることがだれにでも分かるだろう。
検非違使列で騎乗しているのは、薄紅装束の看督長(かどのおさ/巡査)の直後に淡い藍色の装束の検非違使志(けびいしのさかん/警察司法の武官担当者)が火長(かちょう)、如木(にょぼく)、白丁(はくちょう)など下役を率い、続いて、その直属の上司で明るく黄みを帯びた橙色の装束の検非違使尉(けびいしのじょう/警備の最高責任者)である。
何れも弓矢を持つ調度掛(ちょうどがけ)に、鎖を持つ鉾持(ほこもち)を従え、武装している。
そして、緋色の装束の山城使(山城国司の次官/副知事)が、ぎっしりと詰まった真紅の房を揺らがせる馬で巡行する。
検非違使のまたがる馬の房は間隔を置いて(辻総/つじふさ)垂れているが、山城使の馬の首周りの房はぎっしり繋がり垂れているので、房の量から山城使の方が重鎮と推定できる。
山城使の従者や所用品に目を奪われていると、御幣櫃(ごへいびつ)に内蔵寮史生(くらりょうのししょう/御幣物管理の文官)が騎乗し、数々の豪奢な御幣物のあとに、走馬(そうめ)と馬寮使(めりょうつかい/走馬を司る武官)も騎乗して行列は続く。
何れの馬の房も同じように僅かしかなく、山城使より位階の低い役人である。
馬上の人様のどちらもが明るい薄青色(縹色 /はなだいろ)の束帯なので、同じ役職かと思ってしまう。
よくよく見比べると、文官、武官の違いに気づく。文官なら内蔵寮史生で、武官なら馬寮使である。その文官武官の判別は冠を見ると良い。
武官は巻櫻冠(けんえいのかんむり/冠の後ろに垂れているうすものが上に内巻している)で、両耳の辺りに、おいかけ(半月状の馬の尾の一端を編んで打ち開いた飾りもの)をかけており、文官は何れでもない。
これを知るだけで、牛車の後に騎馬して巡行してくる、橙色の舞装束をつけた六人の舞人(まいうど)は、歌舞の堪能な武官であると判る。
勅使近衛使代に後続する、随身(ずいしん/高官の警護)、牽馬(ひきうま/帰路の替え馬)、風流傘(ふうりゅうかさ)の後に、紫の柄入り装束で騎馬する七人の陪従(ばいじゅう)となる。賀茂両神社の社頭の儀で雅楽を奏する近衛府の帯剣した武官である。
仮に刀を差していなくても、両耳においかけをかけているから、雅楽を奏する武官だと考えれば良い。
本列の結びとなるのは、勅使近衛使代の神前で奏上する御祭文を預り持つ緋色装束の内蔵使である。おいかけもないので文官とばかり思っていたが、文武兼官の次官であるようだ。未だ文武兼官の判別の仕方は知らない。
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