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桜の開花情報に食い入り、満開見頃を追っかける桜フリークの三月下旬がやってきた。陽光に恵まれず曇天の日であろうと東奔西走の日々の幕開けである。
晴天の陽射しの日と分かれば、その朝は一段と早起きし家を出る。
陽を浴び華やかに光る花びらの桜を見つけるや、「春だ!日本だ!」、と叫びたくなる。
日本人にとっての一番心地よい季節である。
儚く散る花だからこそ、その命の時間を共に過ごし、最高に愛でていたくなるのである。世俗での諸般の事情を排しても、小生はこの時を大切にしている。
小学校の入学式の祝辞など覚えていないが、目映い光の差す桜の木の下での記念撮影のことは覚えている。母が余所行きの着物を着ていたことも。
高校時代に、この勉強が何のためになるのだろうかと思い悩み、窓の外に見える運動場の桜並木を呆然と眺めていたことも今は懐かしい。
青春時代には、鴨川の堤に腰を下ろし、ギターを弾きながら眺めていた光景。あの菜の花の黄色と桜の薄紅色が若葉とのコントラストとなって目に焼きついている。
おどけて、靴のまま川の水にはしゃいだこともあった。
時がゆるりと流れていたのだろうか。
社会人となって、長い間そんなことを置き去りにしてきた。
今、桜を追っかけて、忘れ去っていたものを取り戻そうとしているのかもしれない。
さて、桜を求めてどこへ繰り出そうか。
マスメディアで調べても答えはない。観光ガイドでは悠久の時は得られない。
頼りになるのはブログである。地域の今日のことがオンタイムで得られるからである。おまけにコメントなどで情報交換すれば双方向のパーソナルメディアとなる。
Aさんの近所の某神社では枝垂れが二分咲きで、Bさんの出かけた某寺院は寒桜が満開見頃であるなど、画像つきで分かりやすい。コメントを繰り返しているうちに、顔も知らないのに旧知の信頼できる親友のようになる。
電波や紙媒体の役割が一時代の終焉を告げているのに間違いない。
ブログフレンドの情報から、京都で先駆ける桜の散策プランを練って、自転車のペダルを漕ぐことにした。今年の早咲きは月半ばに満開を迎えているものもあり、年々開花が早い時期になっている。
お隣の六角堂の御幸桜がスタート地点になるがチラホラ咲きである。桃色の枝垂れ傘を眺めるには一週間ほどかかるだろう。
御池通を東に岡崎に向かう。川端二条を東へ進み、疎水手前の信号を左に冷泉通を北上すると、紅枝垂れの濃い紅色の蕾が開きだしていた。平安荘跡地の空き地が養生塀で囲われているところである。見事な樹幹に枝垂れる枝は、しなやかな女性の髪のように揺れている。
建物は壊されたが、空き地に残された紅枝垂れ桜の精は生き残り、次なる主を今か今かと待ちわびているようである。
岡崎公園内の枝垂桜は勿論、疎水縁の山桜やソメイヨシノの並木の蕾はまだ固い。四月になれば行楽客が訪れ、十石船から仰ぎ見られることだろう。
その疎水に架かる橋を渡ると、北側に伸びるのが桜馬場通である。冷泉通から丸太町通までの僅か三百メートル程の道路である。
通りに面して東側は石垣の土手が続く。中は旧武徳殿であった京都武道センターである。
武徳殿の甍の黒を背景に大きな枝垂桜が威風堂々と天に伸びているのが見える。通り名から察するに、この枝垂桜は桜馬場の往時の名残に違いない。既に八分程度に咲き誇り目映さを感じる。
手押しの自転車は、通用門をくぐり武徳殿の敷地内へと案内するかのように小生を足早にさせる。
軒にかかる紅枝垂れも蕾を緩めていた。武徳殿の中から竹刀のあたる音が聞こえ、見守る剣士の姿も見えた。桜がお似合いの場所なのか、桜にお似合いの道場なのか、答えのない愚問を繰り返し、東隣に目をやると、そこは紅枝垂れ桜の森となる平安神宮の南神苑である。
この風情を一人占めにできる京の桜馬場の剣士や弓士を、羨ましく思わざるを得なかった。
桜馬場通丸太町に出るとハンドクラフトセンターがある。西へ熊野神社前から東大路通を百万遍まで京大の学舎などを左右に見て、風を切る。
百万遍の交差点北側を右東に行くと、すぐに今出川通に面した大本山百萬遍知恩寺の山門に出くわす。
知恩寺の境内が広がる。参道正面に総欅造の大きな御影堂が座る。鐘楼を探す。
その傍にフジ桜が満開見頃との情報が某氏のブログにあった。閉鎖されている旧園舎の園庭にも満開のボケ・オカメ桜があると補足してあった。
本堂左手の方に桃色が見えた。足早になる。境内には小生一人である。自転車に跨った。
これがフジ桜か。桃色の花弁が艶やかに開いている。その花芯あたりは星型に色濃い紅色である。
見慣れないフジ桜の満開を独り占めにしている心地良さを堪能させてもらった。
年に一回か二回しか訪れない寺院である。地蔵盆の大念珠繰り法要と毎月15日に行われているフリーマーケット手づくり市に一度ぐらいである。枝木や葉は見ていたが、桜の種類までは分からずにいたのである。
「賀茂の河原屋」をお開きになった法然上人に手を合わせるべく御影堂に向い一礼し、知恩寺をあとにした。
ここから向かうのは出町柳の長徳寺である。今出川通を西へ川端通に出て北に向けばすぐのところである。京阪出町柳駅の南にあたり、常林寺と正定寺に並ぶ砂川の三軒寺と呼ばれるひとつである。
門前に咲き乱れるおかめ桜の鮮やかな濃桃色が、毎年、京に春一番を告げている。
八重咲きのおかめ桜は緋寒桜とフジ桜(豆桜)の交配種で、やや下向き加減に花開いているが、ふさふさと数多くの花をつけているため、遠目からも華やかな春を感じさせてくれる。既に見頃から散り始めを迎えているも溌剌としているから嬉しくなる。
このあと午後は、今出川通を京都御苑と向い、近衛邸跡の糸桜を愛で、平野神社の桃桜を見たあと帰宅。
明くる日は、南へ九条の東寺の河津桜に、七条の渉成園の大寒桜、養源院の山桜と、先駆けの早咲き桜を巡った。
そして今日(平成22年3月22日)は西へ、法輪寺、車折神社、安倍晴明嵯峨墓所に訪れたが、散り桜となっているところもあった。
後半の説明は次の機会に譲り筆を休め、湯船で足を休ませて貰うことにしたい。
晴天の陽射しの日と分かれば、その朝は一段と早起きし家を出る。
陽を浴び華やかに光る花びらの桜を見つけるや、「春だ!日本だ!」、と叫びたくなる。
日本人にとっての一番心地よい季節である。
儚く散る花だからこそ、その命の時間を共に過ごし、最高に愛でていたくなるのである。世俗での諸般の事情を排しても、小生はこの時を大切にしている。
小学校の入学式の祝辞など覚えていないが、目映い光の差す桜の木の下での記念撮影のことは覚えている。母が余所行きの着物を着ていたことも。
高校時代に、この勉強が何のためになるのだろうかと思い悩み、窓の外に見える運動場の桜並木を呆然と眺めていたことも今は懐かしい。
青春時代には、鴨川の堤に腰を下ろし、ギターを弾きながら眺めていた光景。あの菜の花の黄色と桜の薄紅色が若葉とのコントラストとなって目に焼きついている。
おどけて、靴のまま川の水にはしゃいだこともあった。
時がゆるりと流れていたのだろうか。
社会人となって、長い間そんなことを置き去りにしてきた。
今、桜を追っかけて、忘れ去っていたものを取り戻そうとしているのかもしれない。
さて、桜を求めてどこへ繰り出そうか。
マスメディアで調べても答えはない。観光ガイドでは悠久の時は得られない。
頼りになるのはブログである。地域の今日のことがオンタイムで得られるからである。おまけにコメントなどで情報交換すれば双方向のパーソナルメディアとなる。
Aさんの近所の某神社では枝垂れが二分咲きで、Bさんの出かけた某寺院は寒桜が満開見頃であるなど、画像つきで分かりやすい。コメントを繰り返しているうちに、顔も知らないのに旧知の信頼できる親友のようになる。
電波や紙媒体の役割が一時代の終焉を告げているのに間違いない。
ブログフレンドの情報から、京都で先駆ける桜の散策プランを練って、自転車のペダルを漕ぐことにした。今年の早咲きは月半ばに満開を迎えているものもあり、年々開花が早い時期になっている。
お隣の六角堂の御幸桜がスタート地点になるがチラホラ咲きである。桃色の枝垂れ傘を眺めるには一週間ほどかかるだろう。
御池通を東に岡崎に向かう。川端二条を東へ進み、疎水手前の信号を左に冷泉通を北上すると、紅枝垂れの濃い紅色の蕾が開きだしていた。平安荘跡地の空き地が養生塀で囲われているところである。見事な樹幹に枝垂れる枝は、しなやかな女性の髪のように揺れている。
建物は壊されたが、空き地に残された紅枝垂れ桜の精は生き残り、次なる主を今か今かと待ちわびているようである。
岡崎公園内の枝垂桜は勿論、疎水縁の山桜やソメイヨシノの並木の蕾はまだ固い。四月になれば行楽客が訪れ、十石船から仰ぎ見られることだろう。
その疎水に架かる橋を渡ると、北側に伸びるのが桜馬場通である。冷泉通から丸太町通までの僅か三百メートル程の道路である。
通りに面して東側は石垣の土手が続く。中は旧武徳殿であった京都武道センターである。
武徳殿の甍の黒を背景に大きな枝垂桜が威風堂々と天に伸びているのが見える。通り名から察するに、この枝垂桜は桜馬場の往時の名残に違いない。既に八分程度に咲き誇り目映さを感じる。
手押しの自転車は、通用門をくぐり武徳殿の敷地内へと案内するかのように小生を足早にさせる。
軒にかかる紅枝垂れも蕾を緩めていた。武徳殿の中から竹刀のあたる音が聞こえ、見守る剣士の姿も見えた。桜がお似合いの場所なのか、桜にお似合いの道場なのか、答えのない愚問を繰り返し、東隣に目をやると、そこは紅枝垂れ桜の森となる平安神宮の南神苑である。
この風情を一人占めにできる京の桜馬場の剣士や弓士を、羨ましく思わざるを得なかった。
桜馬場通丸太町に出るとハンドクラフトセンターがある。西へ熊野神社前から東大路通を百万遍まで京大の学舎などを左右に見て、風を切る。
百万遍の交差点北側を右東に行くと、すぐに今出川通に面した大本山百萬遍知恩寺の山門に出くわす。
知恩寺の境内が広がる。参道正面に総欅造の大きな御影堂が座る。鐘楼を探す。
その傍にフジ桜が満開見頃との情報が某氏のブログにあった。閉鎖されている旧園舎の園庭にも満開のボケ・オカメ桜があると補足してあった。
本堂左手の方に桃色が見えた。足早になる。境内には小生一人である。自転車に跨った。
これがフジ桜か。桃色の花弁が艶やかに開いている。その花芯あたりは星型に色濃い紅色である。
見慣れないフジ桜の満開を独り占めにしている心地良さを堪能させてもらった。
年に一回か二回しか訪れない寺院である。地蔵盆の大念珠繰り法要と毎月15日に行われているフリーマーケット手づくり市に一度ぐらいである。枝木や葉は見ていたが、桜の種類までは分からずにいたのである。
「賀茂の河原屋」をお開きになった法然上人に手を合わせるべく御影堂に向い一礼し、知恩寺をあとにした。
ここから向かうのは出町柳の長徳寺である。今出川通を西へ川端通に出て北に向けばすぐのところである。京阪出町柳駅の南にあたり、常林寺と正定寺に並ぶ砂川の三軒寺と呼ばれるひとつである。
門前に咲き乱れるおかめ桜の鮮やかな濃桃色が、毎年、京に春一番を告げている。
八重咲きのおかめ桜は緋寒桜とフジ桜(豆桜)の交配種で、やや下向き加減に花開いているが、ふさふさと数多くの花をつけているため、遠目からも華やかな春を感じさせてくれる。既に見頃から散り始めを迎えているも溌剌としているから嬉しくなる。
このあと午後は、今出川通を京都御苑と向い、近衛邸跡の糸桜を愛で、平野神社の桃桜を見たあと帰宅。
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そして今日(平成22年3月22日)は西へ、法輪寺、車折神社、安倍晴明嵯峨墓所に訪れたが、散り桜となっているところもあった。
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