毎年、干支に縁のある神社へ詣でるのを一箇所で済ますなら下鴨神社であることはよく知られている。本殿の前に十二支ごとに七つの祠が建てられているからである。
お参りする方の干支に応じた神様が祀られているが、その祭神は大国主命で、祠ごとに変名を使われているようである。
ところが、年毎に干支に因んだ神社などに詣でたいとなると、そう簡単には見つからない。
その年の強い守り神と称して、干支に因んだ神社に詣でるようになって数年経つが、来年は卯年である。どこに詣でれば良いだろうか。
卯年に縁のある神様で思い浮かぶのは、神話「因幡の白兎(稻羽之素菟/古事記)」に登場する大国主命(大黒天)である。
大国主命の子が阿遅鋤高日子根(あじすきたかひこね)つまり加茂大神とされるから(記紀)、上賀茂神社、下鴨神社は外せない様だが、八咫鳥(やたがらす)の印象が強い。
それと比べると、大国主命を主祭神に祀り、縁結びで知られる地主神社は分かりよい。大国主命の傍にお供する白兎が立ち上がり、御幣を持つ像が建っている。その姿を目にするのは明るい新年のスタートには相応しいし、そればかりか米俵に乗る大黒さんもあちこちにいらして賑わしい限りだ。
正月三が日は、えんむすび初大国祭が執り行われ、石笛でご利益の強い神霊をお招きしてくれるらしいので、尚更にめでたい。
大黒さんで探してみると、都七福神に挙げられる松ヶ崎大黒天で通称される日蓮宗妙円寺も挙げられる。大黒堂の大黒さんは最澄作と伝わるもので、打ち出の小槌を持ちふくよかな笑みを浮かべる姿から、財福の神様、商売繁盛の守り神として信仰が篤い。妙法の送り火の麓にあり、その緑に包まれた高台の境内で過ごすのは清々しく、新年にお似合いかも知れない。
あるいは、その年の干支の方角に詣でるのはどうだろうか。
「洛陽十二支妙見巡り」は、御所の紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られている霊験あらたかな妙見大菩薩を巡るもので、江戸時代中期より寿福、開運、厄除けを願う庶民の間で信仰されてきたものである。
卯の方位は東であるから、椿の名所で知られる鹿ケ谷の臨済宗尼寺門跡霊鑑寺(れいがんじ)となる。既に12月に「十二支妙見宝剣引継大祭」が行われ、寅から卯へ守護の宝剣がバトンタッチされ準備万端のようである。
小生が初詣に是非加えたいのは、阿吽の狛卯(こまうさぎ)が鎮座しているところである。
子年なら大豊神社、丑年なら北野天満宮、吉祥院天満宮、寅年なら鞍馬寺という風に参詣してきた。十二支全てを回ってみたいと願っているのだが、未だ干支全部は揃わないようだ。
卯年を前に朗報を目にしたのは平成22年10月19日である。
「ブログ京都得々旅行情報」さんの記事「岡崎神社に狛兎が登場(2010.10.16)」が第一報で、翌朝の京都新聞のネット記事が第二報であった。
『ウサギを神の使いとしてまつる岡崎神社(京都市左京区岡崎東天王町)に、「狛兎(こまうさぎ)」の石像2体がお目見えした。すでにあった狛犬に加え、来年の干支(えと)にちなんで狛兎が据え付けられ、愛らしい姿が参拝者の人気を集めている。
狛兎は白御影石を彫り上げた高さ約45センチの像。本殿前の参道脇で雄雌一対になって台座にちょこんと座り、雄が口を「あ」と開け、雌が「うん」とつぐむデザインになっている。今月1日に設置され、早くも若い女性や修学旅行中の女子高生が「かわいい」と像の頭をなでる人気ぶりという。・・・・・(中略)・・・
本田芳道宮司(77)は「境内の中に多くのウサギを配置し、楽しく参拝者を迎え入れたい。狛兎には、神社のマスコット的存在になってほしい」と期待している。』
と、京都新聞には報じられていた。
阿吽の狛兎が揃ったと聞いて大喜びしたのは当然である。
早速写真に収めるべく丸太町通を一路東へ東天王町に向かった。
真新しい白い御影石が眩しく思え、赤い目が印象的だ。
狛兎は見る角度で様々な表情を見せ、飽きさせることのない可愛さがあった。
しげしげと見つめている間に、台座に刻まれた文字「平成23年卯歳一月吉日 宮司 本田芳道」に目が留まる。
岡崎神社は元来兎に縁のある神社として知られていたところであるが、来年より正式に別名「うさぎ神社」を名乗っても良さそうである。
丸太町通から鳥居を潜るとすぐに、神社の玄関を見守っている古くからある二頭の狛犬が鎮座している。その台座には跳ね兎が、 拝殿下に鎮座する狛犬の台座には波兎と、杵と臼の脇で月を臨む月兎の姿が浮き彫りに刻まれ、いずれの台座もうさぎ神社の名に相応しい文様を示していた。
そして、手水舎の手水鉢に鎮座する「子授け兎」は夙に知られるところで、柄杓で水を掛けてお腹を撫でてやると子宝に恵まれると伝えられるものである。
神社の栞には、
「往時背後の紫雲山を始め栗ヶ原一体が野兎の生息地であったことから、兎は氏神さまのお使いと伝えられ、境内の狛犬の台座、本殿燈篭、斎館の欄間などに兎の彫刻がある。特に手水屋形には、戦前より青銅の兎像が据えられていたが、戦時中に供出させられていた。
平成十一年卯年に、氏子の奉納により漸く黒御影石にて兎の彫像を復元。
「子授け厄除けうさぎ」として、参詣者の人気を集めている。」とある。
兎の姿はそればかりではない。まさか社紋ではあるまいが、吊るされた提灯にも兎の姿が見られる。
本殿の内部にも兎がいるようである。本殿横に回ると、殿内を照らす釣り灯籠に透かし彫りされた、実に愛らしい跳ね兎が覗き見できた。
更に、拝殿に奉納された菰冠(こもかむり)の酒樽の脇に、手招きしている様子の招き兎が待ち受けている。
お参りを済ませ境内を見て歩くと、ぴょんぴょん兎の模様や置物があちこちに見られる。
勿論、うさぎ絵馬やうさぎみくじもあり、人気の「飛躍守(ぴょんまもり)」、狛兎の飾りもの、子授け兎の置物などの品々も取り揃えられている。
バックスバニーやピーターラビットが日本人を元気にさせたような兎キャラクターをも、更に更に産み出していってほしいと願う。
岡崎神社は御所から見て東、つまり卯の方向にあったため、兎が氏子を守る守護獣として地域で深く愛されて信仰を集め、現在に到っている神社だったのである。
加えて、祭神は「蘇民将来の子孫也」の人形があったことから、スサノオウノミコト(牛頭天王)であることもわかり力強い。
兎の姿を探しながらじっくり神社境内を見て回るのは実に楽しかった。
名実共に、来年の初詣は「うさぎのパワースポット」で力を授かり、飛躍の年としたいものである。
初大黒 地主神社
http://www.jishujinja.or.jp/jishu/kamisama/index.html
松ヶ崎大黒天/日本最古都七福神まいり
http://miyako7.jp/p_daikokuten/
霊鑑寺/洛陽十二支妙見巡り
http://www.eonet.ne.jp/~jyunisimyouken/1contents/index_4.html
岡崎神社 /京都十六社巡り
http://www.kyoto-16sha.jp/j_okazaki.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
お参りする方の干支に応じた神様が祀られているが、その祭神は大国主命で、祠ごとに変名を使われているようである。
ところが、年毎に干支に因んだ神社などに詣でたいとなると、そう簡単には見つからない。
その年の強い守り神と称して、干支に因んだ神社に詣でるようになって数年経つが、来年は卯年である。どこに詣でれば良いだろうか。
卯年に縁のある神様で思い浮かぶのは、神話「因幡の白兎(稻羽之素菟/古事記)」に登場する大国主命(大黒天)である。
大国主命の子が阿遅鋤高日子根(あじすきたかひこね)つまり加茂大神とされるから(記紀)、上賀茂神社、下鴨神社は外せない様だが、八咫鳥(やたがらす)の印象が強い。
それと比べると、大国主命を主祭神に祀り、縁結びで知られる地主神社は分かりよい。大国主命の傍にお供する白兎が立ち上がり、御幣を持つ像が建っている。その姿を目にするのは明るい新年のスタートには相応しいし、そればかりか米俵に乗る大黒さんもあちこちにいらして賑わしい限りだ。
正月三が日は、えんむすび初大国祭が執り行われ、石笛でご利益の強い神霊をお招きしてくれるらしいので、尚更にめでたい。
大黒さんで探してみると、都七福神に挙げられる松ヶ崎大黒天で通称される日蓮宗妙円寺も挙げられる。大黒堂の大黒さんは最澄作と伝わるもので、打ち出の小槌を持ちふくよかな笑みを浮かべる姿から、財福の神様、商売繁盛の守り神として信仰が篤い。妙法の送り火の麓にあり、その緑に包まれた高台の境内で過ごすのは清々しく、新年にお似合いかも知れない。
あるいは、その年の干支の方角に詣でるのはどうだろうか。
「洛陽十二支妙見巡り」は、御所の紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られている霊験あらたかな妙見大菩薩を巡るもので、江戸時代中期より寿福、開運、厄除けを願う庶民の間で信仰されてきたものである。
卯の方位は東であるから、椿の名所で知られる鹿ケ谷の臨済宗尼寺門跡霊鑑寺(れいがんじ)となる。既に12月に「十二支妙見宝剣引継大祭」が行われ、寅から卯へ守護の宝剣がバトンタッチされ準備万端のようである。
小生が初詣に是非加えたいのは、阿吽の狛卯(こまうさぎ)が鎮座しているところである。
子年なら大豊神社、丑年なら北野天満宮、吉祥院天満宮、寅年なら鞍馬寺という風に参詣してきた。十二支全てを回ってみたいと願っているのだが、未だ干支全部は揃わないようだ。
卯年を前に朗報を目にしたのは平成22年10月19日である。
「ブログ京都得々旅行情報」さんの記事「岡崎神社に狛兎が登場(2010.10.16)」が第一報で、翌朝の京都新聞のネット記事が第二報であった。
『ウサギを神の使いとしてまつる岡崎神社(京都市左京区岡崎東天王町)に、「狛兎(こまうさぎ)」の石像2体がお目見えした。すでにあった狛犬に加え、来年の干支(えと)にちなんで狛兎が据え付けられ、愛らしい姿が参拝者の人気を集めている。
狛兎は白御影石を彫り上げた高さ約45センチの像。本殿前の参道脇で雄雌一対になって台座にちょこんと座り、雄が口を「あ」と開け、雌が「うん」とつぐむデザインになっている。今月1日に設置され、早くも若い女性や修学旅行中の女子高生が「かわいい」と像の頭をなでる人気ぶりという。・・・・・(中略)・・・
本田芳道宮司(77)は「境内の中に多くのウサギを配置し、楽しく参拝者を迎え入れたい。狛兎には、神社のマスコット的存在になってほしい」と期待している。』
と、京都新聞には報じられていた。
阿吽の狛兎が揃ったと聞いて大喜びしたのは当然である。
早速写真に収めるべく丸太町通を一路東へ東天王町に向かった。
真新しい白い御影石が眩しく思え、赤い目が印象的だ。
狛兎は見る角度で様々な表情を見せ、飽きさせることのない可愛さがあった。
しげしげと見つめている間に、台座に刻まれた文字「平成23年卯歳一月吉日 宮司 本田芳道」に目が留まる。
岡崎神社は元来兎に縁のある神社として知られていたところであるが、来年より正式に別名「うさぎ神社」を名乗っても良さそうである。
丸太町通から鳥居を潜るとすぐに、神社の玄関を見守っている古くからある二頭の狛犬が鎮座している。その台座には跳ね兎が、 拝殿下に鎮座する狛犬の台座には波兎と、杵と臼の脇で月を臨む月兎の姿が浮き彫りに刻まれ、いずれの台座もうさぎ神社の名に相応しい文様を示していた。
そして、手水舎の手水鉢に鎮座する「子授け兎」は夙に知られるところで、柄杓で水を掛けてお腹を撫でてやると子宝に恵まれると伝えられるものである。
神社の栞には、
「往時背後の紫雲山を始め栗ヶ原一体が野兎の生息地であったことから、兎は氏神さまのお使いと伝えられ、境内の狛犬の台座、本殿燈篭、斎館の欄間などに兎の彫刻がある。特に手水屋形には、戦前より青銅の兎像が据えられていたが、戦時中に供出させられていた。
平成十一年卯年に、氏子の奉納により漸く黒御影石にて兎の彫像を復元。
「子授け厄除けうさぎ」として、参詣者の人気を集めている。」とある。
兎の姿はそればかりではない。まさか社紋ではあるまいが、吊るされた提灯にも兎の姿が見られる。
本殿の内部にも兎がいるようである。本殿横に回ると、殿内を照らす釣り灯籠に透かし彫りされた、実に愛らしい跳ね兎が覗き見できた。
更に、拝殿に奉納された菰冠(こもかむり)の酒樽の脇に、手招きしている様子の招き兎が待ち受けている。
お参りを済ませ境内を見て歩くと、ぴょんぴょん兎の模様や置物があちこちに見られる。
勿論、うさぎ絵馬やうさぎみくじもあり、人気の「飛躍守(ぴょんまもり)」、狛兎の飾りもの、子授け兎の置物などの品々も取り揃えられている。
バックスバニーやピーターラビットが日本人を元気にさせたような兎キャラクターをも、更に更に産み出していってほしいと願う。
岡崎神社は御所から見て東、つまり卯の方向にあったため、兎が氏子を守る守護獣として地域で深く愛されて信仰を集め、現在に到っている神社だったのである。
加えて、祭神は「蘇民将来の子孫也」の人形があったことから、スサノオウノミコト(牛頭天王)であることもわかり力強い。
兎の姿を探しながらじっくり神社境内を見て回るのは実に楽しかった。
名実共に、来年の初詣は「うさぎのパワースポット」で力を授かり、飛躍の年としたいものである。
初大黒 地主神社
http://www.jishujinja.or.jp/jishu/kamisama/index.html
松ヶ崎大黒天/日本最古都七福神まいり
http://miyako7.jp/p_daikokuten/
霊鑑寺/洛陽十二支妙見巡り
http://www.eonet.ne.jp/~jyunisimyouken/1contents/index_4.html
岡崎神社 /京都十六社巡り
http://www.kyoto-16sha.jp/j_okazaki.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5349-101228-1月
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