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不治災難なく一年が迎えられることほど嬉しいことはない。
退屈だと愚痴り傍若無人に走り、足るたることの有り難さを若輩の頃には分からなかった。
歳を重ねてくると、平安とささやかな開運で十二分になる。保守的と言われようとも厄除けを願うばかりで、自他ともに事なきことこそ幸福の証であることが分かるには月日がかかる。
これも欲しい、あれもしたいと欲の皮を突っ張れば必ず転ぶことを知る。そして、厄を除けることに唯ひたすら歩むことに不思議はない。
千年の都には、厄除けを祈願する神社仏閣が数多あり、国家国民の安寧を願い悠久の時が流れている。また、日本人のその信仰は篤く、宗教なき国家と呼ばれようとも、観光寺院、テーマパークと化そうとも、神社仏閣の精神は朽ちることなく、今日も参詣者は後を絶たない。
脆さを背負う人間が存する限り、いかに科学文明が進化しようとも、厄除けの願いは不滅なのである。
特に、節分の厄除祈願は、邪気の根源となる鬼が登場するから賑やかである。
この年は西陣の街中を歩き、達磨におかめに閻魔さんなど様々な庶民信仰の節分を目にし、綿々と続く厄除の願いを感じ取ってきた。
朝10時、円町に近い達磨寺こと法輪寺での「だるま説法」を聞くことから始まった。
衆聖堂や達磨堂に行くと、諸願成就した8000体といわれる様々な達磨さんが、説法を聞いて澄ん心に宿った元気と勇気を、更に力強いものにしてくれる。
節分に境内に置かれる大達磨には、今年一年の無事平安を祈願するお札が、参詣者の手で次々と貼られていく。流石の大達磨も、直ぐに目が塞がれお札だらけである。
大達磨は八方塞がりとなっても転ばないで立っていた。蹴飛ばされても、手足がないというのに起き上がる。何回倒されても起き上がる。
その姿をみているだけで、問わず語りのように、説法が伝わってきた。
節分会般若大祈祷された達磨の授与を受け、臨済宗妙心寺派別格地達磨寺を後に、向かうは北野天満宮である。紙屋川沿いに、下立売通から中立売通を過ぎ今出川通までの街歩きとなる。家並にはまだまだ昭和初期の風情が残るところである。
天神さんは午後1時より節分祭の追儺式が始まるから、昼食と境内散策に時間の余裕がある。
お決まりのように鳥居前の「とようけ屋」で生湯葉丼を頂き、出迎えの牛の待つ参道を歩いた。三の鳥居を過ぎ、石段を上り楼門を潜ると、甘い香りが漂い花を擽った。この頃の北野の天神さんは早咲き梅が満開となり春の訪れを告げている。
正面の赤目の牛の像を、白い梅の花が包むように開いている。
石畳を進むと、脇に奉納されている石灯籠に紅や白の花が咲き、梅の宮だなと教えてくれる。あちこちの摂社の祠に花開かせる風情も堪らなく良い。本殿前南西から出ると、囲い塀沿いに黄色の花をつけた蝋梅が満開になっていた。
立春を迎えると、まもなく南高梅、枝垂呉服梅など中咲き梅が開花しだし、梅苑も公開されて、50種の梅が順次見ごろを迎え、2月25日の天神さんの梅花祭を待つこととなる。
節分頃から一ヶ月間にわたり、梅見を楽しませて貰える天神さんの梅の木は二千本にもおよび、祭神菅原道真公の梅好みが偲ばれる。
そうこうと思い散策していると、境内東にある神楽殿では茂山千五郎社中により摂社福部社(ふくべしゃ)の祭神である福の神が鬼を払う「北野追儺狂言(きたのついなきょうげん)」が始まった。神楽殿前は黒山の人盛りである。
辛うじて、その黒山に紛れ込んだ。
続いて上七軒の綺麗どころによる舞の奉納となり、観衆は釘付けにされ、膨らむ人垣に身動きが取れない。
否、このあとの豆撒きを待ち構えている所為なのだろうか。
スーパーマーケットで炒り豆を手に入れるのと、節分詣で福豆を授かるのとは訳が違うところが、受け継がれてきた信仰の為せる技なのであろう。
一年の無病息災、招福を願う思いは社頭に足を向かわせ、災難厄除けのお札やお守り、あるいは銀幣を授かることになる。
合格祈願の参詣者が最も多い学問の神様北野天満宮が、節分の「四方詣」の一社に挙げられている。それは道真公の怨霊を鎮め、悪鬼の棲家、鬼の出口といわれる乾の隅、都の西北を鎮護すべく天暦元年(947年)に創建された由緒に基づき、災難除・厄除の社としてその篤い信仰が生き続けているものである。
このあと境内の「長五郎餅」で北野名物を買い求めて、千本釈迦堂に向かう。
3時から行われる「おかめ福節分祭」の「古式厄除行事鬼追いの儀」の場所取りである。
千本釈迦堂といえばおかめ塚に阿亀桜、おかめの面や人形が集められるなど、おかめ尽くしのお寺さんである。節分祭も勿論主役はおかめさんだろうと期待が膨らむ。
京都最古の木造建築で国宝である千本釈迦堂の本堂、その大きな本堂を舞台にして繰り広げられる鬼追いは実に滑稽で、おかめに諭される場面での赤鬼青鬼の道化な仕草に境内には笑いがこぼれ、「おかめ踊り」をおかめと一緒になって踊りだす陽気さに和みを覚えた。
豆撒きで鬼を追払うのではなく、おかめの福徳で鬼を改心させ邪悪を追払うのである。
その後、改心した鬼と一緒になって福豆が撒かれるという仕立てである。
鬼追いの儀に奉仕の茂山千作社中といい、木遣音頭の奉納でいなせな響きを聞かせてくれた番匠保存会といい、堂上舞台に相応しい芸を堪能させてもらえた。
おかめ福節分祭のあとも帰宅はしない。西陣歩きはあと二箇所へと続く。
五辻通を千本通へと出て、石像寺の「釘抜き地蔵の節分会」と千本ゑんま堂の「厄除け起上りこんにゃく煮き 節分会」である。
東京巣鴨が「とげ抜き地蔵」で有名なら、京都は石像寺の釘抜き地蔵さんが有名である。
千本通から奥まった境内に風変わりな絵馬が多数掛けられている。
その大きな絵馬には釘と釘抜きがついているのだ。
体の痛みを治してもらう為、昼夜通して願をかけて、痛みが取れた人達がお礼に奉納したものだと聞く。
町家がひしめきあう手狭な境内には崇敬者が溢れ、暖を取る為に燃される火を囲み挨拶が交わされていた。昔ながらの西陣の空気がのこる場所だと思った。
次々と参詣者が絶えないところを見ると、知る人ぞ知るご利益があることが伝わってくる。
陽が落ち始めてきた。急いでゑんま堂へ足を向けた。「厄除けこんにゃく煮き」を頂くためである。
閻魔大王の好物がこんにゃくだそうである。
その好物のこんにゃくを頂くと、こんにゃくは困厄(こんやく)に通じ、困りごと、厄除けに力を仰げると伝えられる。
ゑんま堂の大きな閻魔大王の目前で、「困厄(こんにゃく)ゑんま」の厄除け祈祷を受け、一日を終えた。節分これ好日である。
時間がある方は、節分の夜に奉納される大念仏狂言を鑑賞されるが良い。
釘抜地蔵とゑんま堂の途中に京漬物の「近為」がある。「大安」や「西利」の漬物しかご存知でない方は、散策の合間に是非「近為」の漬物をご賞味いただきたい。
漬物の試食をしているとほうじ茶を出してくれた。街歩きの冷えた体が奥の方から暖まってくる。店先でお茶漬けも頂ける具合である。
節分の西陣街歩きは、素朴な人々の優しさに触れあうことができる一日であった。
退屈だと愚痴り傍若無人に走り、足るたることの有り難さを若輩の頃には分からなかった。
歳を重ねてくると、平安とささやかな開運で十二分になる。保守的と言われようとも厄除けを願うばかりで、自他ともに事なきことこそ幸福の証であることが分かるには月日がかかる。
これも欲しい、あれもしたいと欲の皮を突っ張れば必ず転ぶことを知る。そして、厄を除けることに唯ひたすら歩むことに不思議はない。
千年の都には、厄除けを祈願する神社仏閣が数多あり、国家国民の安寧を願い悠久の時が流れている。また、日本人のその信仰は篤く、宗教なき国家と呼ばれようとも、観光寺院、テーマパークと化そうとも、神社仏閣の精神は朽ちることなく、今日も参詣者は後を絶たない。
脆さを背負う人間が存する限り、いかに科学文明が進化しようとも、厄除けの願いは不滅なのである。
特に、節分の厄除祈願は、邪気の根源となる鬼が登場するから賑やかである。
この年は西陣の街中を歩き、達磨におかめに閻魔さんなど様々な庶民信仰の節分を目にし、綿々と続く厄除の願いを感じ取ってきた。
朝10時、円町に近い達磨寺こと法輪寺での「だるま説法」を聞くことから始まった。
衆聖堂や達磨堂に行くと、諸願成就した8000体といわれる様々な達磨さんが、説法を聞いて澄ん心に宿った元気と勇気を、更に力強いものにしてくれる。
節分に境内に置かれる大達磨には、今年一年の無事平安を祈願するお札が、参詣者の手で次々と貼られていく。流石の大達磨も、直ぐに目が塞がれお札だらけである。
大達磨は八方塞がりとなっても転ばないで立っていた。蹴飛ばされても、手足がないというのに起き上がる。何回倒されても起き上がる。
その姿をみているだけで、問わず語りのように、説法が伝わってきた。
節分会般若大祈祷された達磨の授与を受け、臨済宗妙心寺派別格地達磨寺を後に、向かうは北野天満宮である。紙屋川沿いに、下立売通から中立売通を過ぎ今出川通までの街歩きとなる。家並にはまだまだ昭和初期の風情が残るところである。
天神さんは午後1時より節分祭の追儺式が始まるから、昼食と境内散策に時間の余裕がある。
お決まりのように鳥居前の「とようけ屋」で生湯葉丼を頂き、出迎えの牛の待つ参道を歩いた。三の鳥居を過ぎ、石段を上り楼門を潜ると、甘い香りが漂い花を擽った。この頃の北野の天神さんは早咲き梅が満開となり春の訪れを告げている。
正面の赤目の牛の像を、白い梅の花が包むように開いている。
石畳を進むと、脇に奉納されている石灯籠に紅や白の花が咲き、梅の宮だなと教えてくれる。あちこちの摂社の祠に花開かせる風情も堪らなく良い。本殿前南西から出ると、囲い塀沿いに黄色の花をつけた蝋梅が満開になっていた。
立春を迎えると、まもなく南高梅、枝垂呉服梅など中咲き梅が開花しだし、梅苑も公開されて、50種の梅が順次見ごろを迎え、2月25日の天神さんの梅花祭を待つこととなる。
節分頃から一ヶ月間にわたり、梅見を楽しませて貰える天神さんの梅の木は二千本にもおよび、祭神菅原道真公の梅好みが偲ばれる。
そうこうと思い散策していると、境内東にある神楽殿では茂山千五郎社中により摂社福部社(ふくべしゃ)の祭神である福の神が鬼を払う「北野追儺狂言(きたのついなきょうげん)」が始まった。神楽殿前は黒山の人盛りである。
辛うじて、その黒山に紛れ込んだ。
続いて上七軒の綺麗どころによる舞の奉納となり、観衆は釘付けにされ、膨らむ人垣に身動きが取れない。
否、このあとの豆撒きを待ち構えている所為なのだろうか。
スーパーマーケットで炒り豆を手に入れるのと、節分詣で福豆を授かるのとは訳が違うところが、受け継がれてきた信仰の為せる技なのであろう。
一年の無病息災、招福を願う思いは社頭に足を向かわせ、災難厄除けのお札やお守り、あるいは銀幣を授かることになる。
合格祈願の参詣者が最も多い学問の神様北野天満宮が、節分の「四方詣」の一社に挙げられている。それは道真公の怨霊を鎮め、悪鬼の棲家、鬼の出口といわれる乾の隅、都の西北を鎮護すべく天暦元年(947年)に創建された由緒に基づき、災難除・厄除の社としてその篤い信仰が生き続けているものである。
このあと境内の「長五郎餅」で北野名物を買い求めて、千本釈迦堂に向かう。
3時から行われる「おかめ福節分祭」の「古式厄除行事鬼追いの儀」の場所取りである。
千本釈迦堂といえばおかめ塚に阿亀桜、おかめの面や人形が集められるなど、おかめ尽くしのお寺さんである。節分祭も勿論主役はおかめさんだろうと期待が膨らむ。
京都最古の木造建築で国宝である千本釈迦堂の本堂、その大きな本堂を舞台にして繰り広げられる鬼追いは実に滑稽で、おかめに諭される場面での赤鬼青鬼の道化な仕草に境内には笑いがこぼれ、「おかめ踊り」をおかめと一緒になって踊りだす陽気さに和みを覚えた。
豆撒きで鬼を追払うのではなく、おかめの福徳で鬼を改心させ邪悪を追払うのである。
その後、改心した鬼と一緒になって福豆が撒かれるという仕立てである。
鬼追いの儀に奉仕の茂山千作社中といい、木遣音頭の奉納でいなせな響きを聞かせてくれた番匠保存会といい、堂上舞台に相応しい芸を堪能させてもらえた。
おかめ福節分祭のあとも帰宅はしない。西陣歩きはあと二箇所へと続く。
五辻通を千本通へと出て、石像寺の「釘抜き地蔵の節分会」と千本ゑんま堂の「厄除け起上りこんにゃく煮き 節分会」である。
東京巣鴨が「とげ抜き地蔵」で有名なら、京都は石像寺の釘抜き地蔵さんが有名である。
千本通から奥まった境内に風変わりな絵馬が多数掛けられている。
その大きな絵馬には釘と釘抜きがついているのだ。
体の痛みを治してもらう為、昼夜通して願をかけて、痛みが取れた人達がお礼に奉納したものだと聞く。
町家がひしめきあう手狭な境内には崇敬者が溢れ、暖を取る為に燃される火を囲み挨拶が交わされていた。昔ながらの西陣の空気がのこる場所だと思った。
次々と参詣者が絶えないところを見ると、知る人ぞ知るご利益があることが伝わってくる。
陽が落ち始めてきた。急いでゑんま堂へ足を向けた。「厄除けこんにゃく煮き」を頂くためである。
閻魔大王の好物がこんにゃくだそうである。
その好物のこんにゃくを頂くと、こんにゃくは困厄(こんやく)に通じ、困りごと、厄除けに力を仰げると伝えられる。
ゑんま堂の大きな閻魔大王の目前で、「困厄(こんにゃく)ゑんま」の厄除け祈祷を受け、一日を終えた。節分これ好日である。
時間がある方は、節分の夜に奉納される大念仏狂言を鑑賞されるが良い。
釘抜地蔵とゑんま堂の途中に京漬物の「近為」がある。「大安」や「西利」の漬物しかご存知でない方は、散策の合間に是非「近為」の漬物をご賞味いただきたい。
漬物の試食をしているとほうじ茶を出してくれた。街歩きの冷えた体が奥の方から暖まってくる。店先でお茶漬けも頂ける具合である。
節分の西陣街歩きは、素朴な人々の優しさに触れあうことができる一日であった。
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