池泉回遊式庭園で花菖蒲を愛でられるのは、平安神宮や梅宮大社だけではない。
梅宮大社からなら新丸太町通を目指し、蓮の寺として知られる法金剛院を訪れるのが良い。
関西花の寺十三番札所を冠する寺院で、夏の観蓮会には苑池の蓮を見逃すわけにはいかないと大方でかけているが、6月で記憶しているのは、やはり花菖蒲と紫陽花の競演する光景である。
バス停の程近くに表門と石標が見える。
表門をくぐり中門に向かうと境内略図が建ち、その背後に沙羅双樹があり、おそらく白い花を苔の上に数輪落としているだろう。
中門から礼堂に向かう参道がある。参道両脇には季節の花々の鉢植えが置かれている。
時計草の花をじっくりと眺め、覚えたのがこの寺院であった。
庫裏の玄関前に、早速見事に開いた花菖蒲の鉢が出迎えてくれている。
紫陽花の鉢もあり、鉢を見なければ地植えの株と区別がつかないほどに勢いよく葉をつけているはずだ。
参道右手には苑池が広がり、蓮の葉が開いているのが、花菖蒲や紫陽花の間から覗える。観蓮会の頃なら、苑池の蓮は背丈以上に茎を伸ばし、覗わずとも見える。
またその頃は、参道沿いに並ぶ鉢も蓮の鉢にすっかり置き換えられている。
この庭園は待賢門院(たいけんもんいん)が極楽浄土を具象化して造園させたといわれる浄土式庭園と呼ばれている。
平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘され、復元を見て現在にあるのである。
待賢門院といえば、白河院の養女として寵愛を受け育てられ、鳥羽天皇中宮となり、崇徳天皇、後白河天皇の実母となった女性である。
最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六(じょうろく)阿弥陀堂、待賢門院の御所などが建ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない。
偲べるものといえば、礼堂背後にある仏殿に安置された像高2.2メートルを超える阿弥陀如来座像で、丈六阿弥陀堂の本尊と推定されている。
そして、待賢門院の発願により、林賢と静意とで作庭されたと伝わる特別名勝「青女の滝(せいじょのたき」)で、遺構は日本最古の人工の滝とされる。
苑池を回るように庭園を歩かれると良い。
苑池の中は、蓮の葉が今か今かと今年の花を咲かす準備中である。その回りの湿地などには、花菖蒲が自然を生かし植栽されている。
どことなく、一層優しげに見えるのは待賢門院のせいだろうか。
庭園北から北東にかけての辺りがお薦めである。
北東では待賢門院の詠んだ、
「ながからむ心もしらず黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ」
の歌碑に出あう。
池の畔を散策しながら、あるいは岸辺でゆっくりとするなら、西の山科は勧修寺(かじゅうじ)である。色とりどりに季節の花が揃い、野鳥が多く生息する氷室池の杜若や睡蓮、蓮、花菖蒲は、池泉庭園にとてもよく似合い調和している。
漆喰壁の真白い塀沿いに歩き表門を潜ると、正面に車寄せを見、左手の中門に入る。右手に宸殿を見ながら庭園を歩き氷室池を目指す。
古くからの宮門跡寺院の風格を感じていると、寺院の説明ガイドが境内に流れる。
昌泰3年(900年)に創建され、醍醐天皇の生母・藤原胤子(たねこ・いんし/宇多天皇の妃)の外祖父である宮道弥益(みやじのいやます)の邸宅を寺に改めたことが起こりで、のちに醍醐天皇の勅願寺となり、鎌倉時代に後伏見天皇の第七皇子寛胤法親皇(かんいんほうしんのう/1309−1376)が十六世として入寺され門跡寺院となり、代々法親王の入寺があったという。
胤子の両親である藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と宮道列子(みやじのたまこ・れっし・つらこ)が、この地で運命的な出会いをして恋に落ちたという「今昔物語集」のエピソートや、徳川家綱・綱吉の帰依を受け、現在の伽藍の整備が進められた話など、丁寧にガイドされている。
書院南の平庭で、樹齢750年と伝える地を這う偃柏槙(ハイビシャクシン)、その中に水戸光圀公寄進勧修寺型灯篭、江戸時代に京都御所から移植された臥龍の老梅などを経て、右の奥まった林の中に本堂、前方には観音堂が見え、開けている。
紅色桃色のサツキと薄青色の紫陽花に仕切られた観音堂に向かう小道を出ると、森に囲まれたように氷室池が広がっている。
杜若と睡蓮の池として広く知られるが、なになに、これは見事に花菖蒲の池である。
青紫に紅紫、青色に薄水色、青色の濃淡と色彩がこれほどまでにあるのかと思いきや、ほんのりとした薄桃に白も見える。
いかに高貴で華麗かを競うかのように、それぞれの株が背比べして見せてくれている。
池縁のベンチに腰掛け休んでいると、頭上の木の枝に巣をつくる青鷺にレンズを向け待ち受ける人、水面の花々にレンズを向ける人、などなど様々な関心空間が目にできる。
愛で方は違えども、1200年以上もの時を越えても変わらない氷室池の光景かと思い、ふと感激を覚える。
歴史を離れ、近場で花菖蒲を味わいたいなら、しょうざん光悦芸術村が挙げられる。
新緑の洛北鷹峯三山を借景にした広大な敷地35,000坪の日本庭園で、約3000本の白や紫の花菖蒲が、優雅にかつ涼やかに咲き誇っている。
日本庭園の門を潜り、周りの苔に吸い込まれるような静けさの中、北山杉の緑陰の林を歩く。順路に従い進むと、北庭園の峰玉亭の水辺に行き着く。
池に架かる石橋から眺める、雅な花菖蒲の出迎えにきっと溜息を漏らすことだろう。
峰玉亭のお座敷では聞香が用意され、園内での京料理の昼食予約も準備されていて、エグゼクティブなひと時を過ごさせていただける。
贅を尽くした峰玉亭はしょうざんの迎賓館と言われ通常非公開であるが、「華しょうぶの会」と称して、6月中旬頃の約一週間は一般に有料公開されている。
もっと気軽にチャリンコで出かけ愛でられないのかというなら、京都三弘法の一番札所である「上の弘法さん(神光院)」がいいだろう。
辺りは「賀茂なす」を栽培する農家のハウスが建っている。
石畳を真っ直ぐに進み山門を潜って左正面が本堂で、その手前に池があり、更に手前に手水舎があるが、花の様子はない。
池の淵を追いながら目を遣ると、右手の奥まったところに石橋が覗える。見落としそうだが、その先に・・・目を凝らすと花菖蒲が見える。
石積みされた中の島に建つ祠の方へと進むと、祠を取り囲むように、所狭しと花菖蒲が群生している。
神光院は、西賀茂の弘法さんとして知られる他、「きゅうり封じ」や大田垣蓮月ゆかりの寺院として知られ、時代劇のロケ地にもなる閑静なところである。
小生の一番のお気に入りは、南禅寺畔の花菖蒲だ。敷地面積7000坪の野村別邸壁雲荘である。
お屋敷通りに面した野村美術館の北西裏に隣接し、私邸の玄関庭ともなる処である。
マナーを怠っては二度と見れることがなくなるやもしれない。
石積みと数奇屋造の大玄関、それに連なる塀を取り囲むように、赤紫、青紫に混じり白の花菖蒲が一面に花開かせる。
松林越しに覗けるだけでも贅とは言えまいか。
梅宮大社からなら新丸太町通を目指し、蓮の寺として知られる法金剛院を訪れるのが良い。
関西花の寺十三番札所を冠する寺院で、夏の観蓮会には苑池の蓮を見逃すわけにはいかないと大方でかけているが、6月で記憶しているのは、やはり花菖蒲と紫陽花の競演する光景である。
バス停の程近くに表門と石標が見える。
表門をくぐり中門に向かうと境内略図が建ち、その背後に沙羅双樹があり、おそらく白い花を苔の上に数輪落としているだろう。
中門から礼堂に向かう参道がある。参道両脇には季節の花々の鉢植えが置かれている。
時計草の花をじっくりと眺め、覚えたのがこの寺院であった。
庫裏の玄関前に、早速見事に開いた花菖蒲の鉢が出迎えてくれている。
紫陽花の鉢もあり、鉢を見なければ地植えの株と区別がつかないほどに勢いよく葉をつけているはずだ。
参道右手には苑池が広がり、蓮の葉が開いているのが、花菖蒲や紫陽花の間から覗える。観蓮会の頃なら、苑池の蓮は背丈以上に茎を伸ばし、覗わずとも見える。
またその頃は、参道沿いに並ぶ鉢も蓮の鉢にすっかり置き換えられている。
この庭園は待賢門院(たいけんもんいん)が極楽浄土を具象化して造園させたといわれる浄土式庭園と呼ばれている。
平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘され、復元を見て現在にあるのである。
待賢門院といえば、白河院の養女として寵愛を受け育てられ、鳥羽天皇中宮となり、崇徳天皇、後白河天皇の実母となった女性である。
最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六(じょうろく)阿弥陀堂、待賢門院の御所などが建ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない。
偲べるものといえば、礼堂背後にある仏殿に安置された像高2.2メートルを超える阿弥陀如来座像で、丈六阿弥陀堂の本尊と推定されている。
そして、待賢門院の発願により、林賢と静意とで作庭されたと伝わる特別名勝「青女の滝(せいじょのたき」)で、遺構は日本最古の人工の滝とされる。
苑池を回るように庭園を歩かれると良い。
苑池の中は、蓮の葉が今か今かと今年の花を咲かす準備中である。その回りの湿地などには、花菖蒲が自然を生かし植栽されている。
どことなく、一層優しげに見えるのは待賢門院のせいだろうか。
庭園北から北東にかけての辺りがお薦めである。
北東では待賢門院の詠んだ、
「ながからむ心もしらず黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ」
の歌碑に出あう。
池の畔を散策しながら、あるいは岸辺でゆっくりとするなら、西の山科は勧修寺(かじゅうじ)である。色とりどりに季節の花が揃い、野鳥が多く生息する氷室池の杜若や睡蓮、蓮、花菖蒲は、池泉庭園にとてもよく似合い調和している。
漆喰壁の真白い塀沿いに歩き表門を潜ると、正面に車寄せを見、左手の中門に入る。右手に宸殿を見ながら庭園を歩き氷室池を目指す。
古くからの宮門跡寺院の風格を感じていると、寺院の説明ガイドが境内に流れる。
昌泰3年(900年)に創建され、醍醐天皇の生母・藤原胤子(たねこ・いんし/宇多天皇の妃)の外祖父である宮道弥益(みやじのいやます)の邸宅を寺に改めたことが起こりで、のちに醍醐天皇の勅願寺となり、鎌倉時代に後伏見天皇の第七皇子寛胤法親皇(かんいんほうしんのう/1309−1376)が十六世として入寺され門跡寺院となり、代々法親王の入寺があったという。
胤子の両親である藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と宮道列子(みやじのたまこ・れっし・つらこ)が、この地で運命的な出会いをして恋に落ちたという「今昔物語集」のエピソートや、徳川家綱・綱吉の帰依を受け、現在の伽藍の整備が進められた話など、丁寧にガイドされている。
書院南の平庭で、樹齢750年と伝える地を這う偃柏槙(ハイビシャクシン)、その中に水戸光圀公寄進勧修寺型灯篭、江戸時代に京都御所から移植された臥龍の老梅などを経て、右の奥まった林の中に本堂、前方には観音堂が見え、開けている。
紅色桃色のサツキと薄青色の紫陽花に仕切られた観音堂に向かう小道を出ると、森に囲まれたように氷室池が広がっている。
杜若と睡蓮の池として広く知られるが、なになに、これは見事に花菖蒲の池である。
青紫に紅紫、青色に薄水色、青色の濃淡と色彩がこれほどまでにあるのかと思いきや、ほんのりとした薄桃に白も見える。
いかに高貴で華麗かを競うかのように、それぞれの株が背比べして見せてくれている。
池縁のベンチに腰掛け休んでいると、頭上の木の枝に巣をつくる青鷺にレンズを向け待ち受ける人、水面の花々にレンズを向ける人、などなど様々な関心空間が目にできる。
愛で方は違えども、1200年以上もの時を越えても変わらない氷室池の光景かと思い、ふと感激を覚える。
歴史を離れ、近場で花菖蒲を味わいたいなら、しょうざん光悦芸術村が挙げられる。
新緑の洛北鷹峯三山を借景にした広大な敷地35,000坪の日本庭園で、約3000本の白や紫の花菖蒲が、優雅にかつ涼やかに咲き誇っている。
日本庭園の門を潜り、周りの苔に吸い込まれるような静けさの中、北山杉の緑陰の林を歩く。順路に従い進むと、北庭園の峰玉亭の水辺に行き着く。
池に架かる石橋から眺める、雅な花菖蒲の出迎えにきっと溜息を漏らすことだろう。
峰玉亭のお座敷では聞香が用意され、園内での京料理の昼食予約も準備されていて、エグゼクティブなひと時を過ごさせていただける。
贅を尽くした峰玉亭はしょうざんの迎賓館と言われ通常非公開であるが、「華しょうぶの会」と称して、6月中旬頃の約一週間は一般に有料公開されている。
もっと気軽にチャリンコで出かけ愛でられないのかというなら、京都三弘法の一番札所である「上の弘法さん(神光院)」がいいだろう。
辺りは「賀茂なす」を栽培する農家のハウスが建っている。
石畳を真っ直ぐに進み山門を潜って左正面が本堂で、その手前に池があり、更に手前に手水舎があるが、花の様子はない。
池の淵を追いながら目を遣ると、右手の奥まったところに石橋が覗える。見落としそうだが、その先に・・・目を凝らすと花菖蒲が見える。
石積みされた中の島に建つ祠の方へと進むと、祠を取り囲むように、所狭しと花菖蒲が群生している。
神光院は、西賀茂の弘法さんとして知られる他、「きゅうり封じ」や大田垣蓮月ゆかりの寺院として知られ、時代劇のロケ地にもなる閑静なところである。
小生の一番のお気に入りは、南禅寺畔の花菖蒲だ。敷地面積7000坪の野村別邸壁雲荘である。
お屋敷通りに面した野村美術館の北西裏に隣接し、私邸の玄関庭ともなる処である。
マナーを怠っては二度と見れることがなくなるやもしれない。
石積みと数奇屋造の大玄関、それに連なる塀を取り囲むように、赤紫、青紫に混じり白の花菖蒲が一面に花開かせる。
松林越しに覗けるだけでも贅とは言えまいか。
5453-120531-5月
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