ひらかたパーク開園100周年を記念して、「ひらパー」菊人形展が復活開催されている。
秋といえば、幼少の頃に、ひらかたパークの「ひらかた大菊人形」に連れて行かれた記憶が今も鮮烈に残っている。小学校の遠足でも行った筈だ。
惜しまれながらも、明治43年(1910年)から始まった96年の歴史に幕を下ろすニュースを耳にしたのが、7年前(平成17年)である。
菊師や人形菊の栽培者などの高齢化と後継者不足が理由だったが、平成22年には限定開催に漕ぎつけ、平成24年10月、菊人形イベント『ひらかたの秋菊人形祭‐時代を変えた男平清盛と源頼朝‐』と題して、復活が果たされたのである。
ひらかた大菊人形が見られなくなってからどうにも寂しくて、調べた挙句、福井県越前市の「たけふ菊人形」へ出かけたことがある。
引き込まれそうな菊の匂いと時代絵巻に、忘れかけていた感動を持ち帰らせて貰った。
その時に思った。
菊人形と大菊花展が、二条城か京都御苑で、どうして行わないのかと不思議でならなかった。しかし、「たけふ菊人形」でも、菊師など後継者不足に陥っていると聞いた。
京都で行うにも菊師の養成から始めなければならないとすると、中長期10年以上の計画案がなければ無理だと知った。
京都での菊人形を見たい夢は変わらないが、ひとまず、ひらかたの菊人形の復活で胸を撫で下ろし、出かける予定にしている。
京都での菊花展の第一声は、西本願寺の献菊展で、10月の中旬に始まる。
本堂の前庭白州に丹精込められた約400鉢が展示され、早朝から自由に無料鑑賞することができるので、銀杏の黄葉具合の下見を兼ねて、毎年鑑賞させて貰っている。
小生の秋の行楽の始まりかもしれない。
同じ頃、泉涌寺に拝観する予定があるなら、230鉢が並べられる献菊展を見ることができる。清楚かつ華やかな姿に目を和ませて貰えるらしいが、小生は紅葉の庭を求めて拝観するので、未だ見たことがない。
一度は訪れないといけないと思っているが、叶いそうにない。
10月中旬を迎えると、時代祭に前後して、二条城お城まつりでの菊花展と京都府立植物園の菊花展や、醍醐寺三宝院の大菊花展が始まる。
平成19年10月、半世紀ぶりに二条城お城まつりで復活した菊花展は、今年も京都菊花連合会のメンバーが育てた約470鉢が展示され、本丸御殿を伴って絵になっている。更に、菊人形も置かれ、城内の至るところに鉢が並ぶことを願っている。
植物園は流石に品種が豊富で、大菊、小菊、洋菊、古典菊、盆栽や福助花壇、縣崖仕立てなど約400鉢1000本が大芝生地特設会場に展示され、即売もある。
おまけに入園料は一般200円で、60歳以上は無料である。
三宝院は大玄関門前(拝観料が必要)に大菊、小菊の250鉢が並べられ、三宝院拝観と霊宝館秋期特別展鑑賞とを合わせて出かけられると良いだろう。
鉢数を比べると、やはり、一万鉢菊花展示に菊人形やイベントのある「たけふ菊人形」には到底適わないが、京都には「嵯峨菊」や「貴船菊」という名の付けられたルーツの菊が今も伝わる。
「貴船菊」とは雅称で、本州・四国・九州の山野に自生する「秋明菊」の別名だが、貴船の群生地の赤紫色の原種が名高い故にそう呼ばれている。
もっとも、漢字で「秋明菊」と書くように、秋真っ盛りの時期に開花する名前通りの花であって、菊のように見えるが、学名は「Anemonehupehensisvar.japonica」とつき、キンポウゲ科のアネモネの仲間で、菊ではないのである。
更に、菊に似た八重咲きの花は花弁ではなく、多数の赤紫色の花弁状の萼片なのである。
昨今では、交配によって一重の花や、白色など様々な色合いの花を咲かせるようになったので、どう呼んで良いのか分からないことがある。
それでも、秋の風情をそっと漂わせる花に変わりない。
一方、「嵯峨菊」は、嵯峨天皇がこよなく愛された菊として嵯峨御所に植えられたものが始まりで、古典菊といわれる嵯峨菊・伊勢菊・肥後菊・江戸菊の中で、最も古い歴史をもつ菊である。
そもそも、その嵯峨菊は大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を、王朝の気品を持たせるようにと、永年にわたり改良洗練された菊だったのである。
糸のように細い花弁は、まず乱れ咲きに平たく開き、次に花びらがよじれて立ち上がり茶筅を立てたようで、全て立ちあがって満開となる。
その色も嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などとの呼び習わしがあり、色とりどりである。風情のある淡い右近橘は、黄色に橙色が混ざり合わせる色あいを見せ、小倉錦の朱は花先と基部が白くなってくるなど、実に時々に楽しみが多い。
そんな嵯峨菊だけで600鉢も勢ぞろいするのは、勿論、旧嵯峨御所の大覚寺門跡で、例年、11月1日から30日間、「嵯峨菊展」として一般公開されている。
同時期には「秋の名宝展」などが行われているので、拝観には絶好の機会となる。
平成24年は、NHK大河ドラマ「平清盛」の放映に合わせ、後白河法皇の第七皇子であり、また箏の名手「小督」との悲恋で知られる「高倉天皇」の御影などの寺宝のほか、白拍子祇王ら哀切な女性たちの姿が、特別名宝展嵯峨御所大覚寺の名宝「大覚寺と源平時代2」と題して、紹介されている。
赤々と燃えるように紅葉した境内を歩き、鬼瓦を配した切妻造りの表門を潜ると、式台玄関に向かってV字型に並べられた色とりどりの嵯峨菊が迎えてくれる。
背筋を伸ばし姿勢を正したかのように背高く伸びた茎に、上下三箇所に天・地・人と花を着けている。先端に三輪、中程に五輪、下に七輪と「七、五、三」に仕立てていると聞く。
先端の花は見上げる程であるから、背丈二メートルはあるだろう。
派手さは微塵もなく、気品高く洗練されていて、凛としていた。
松の間の御輿を横目に回廊を進むと宸殿へと続く。
回廊沿いに、前庭に、嵯峨菊は立ち並び、高潔な姿を見せている。
これぞ、どこも真似のできない、唯一の京の菊だと思い知らされた。
ひらかた大菊人形絵巻
http://www.hirakatapark.co.jp/100th/kikuningyou/
本願寺献菊展
http://www.hongwanji.or.jp/news/other/57.html
元離宮二条城
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
大覚寺
http://www.daikakuji.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
秋といえば、幼少の頃に、ひらかたパークの「ひらかた大菊人形」に連れて行かれた記憶が今も鮮烈に残っている。小学校の遠足でも行った筈だ。
惜しまれながらも、明治43年(1910年)から始まった96年の歴史に幕を下ろすニュースを耳にしたのが、7年前(平成17年)である。
菊師や人形菊の栽培者などの高齢化と後継者不足が理由だったが、平成22年には限定開催に漕ぎつけ、平成24年10月、菊人形イベント『ひらかたの秋菊人形祭‐時代を変えた男平清盛と源頼朝‐』と題して、復活が果たされたのである。
ひらかた大菊人形が見られなくなってからどうにも寂しくて、調べた挙句、福井県越前市の「たけふ菊人形」へ出かけたことがある。
引き込まれそうな菊の匂いと時代絵巻に、忘れかけていた感動を持ち帰らせて貰った。
その時に思った。
菊人形と大菊花展が、二条城か京都御苑で、どうして行わないのかと不思議でならなかった。しかし、「たけふ菊人形」でも、菊師など後継者不足に陥っていると聞いた。
京都で行うにも菊師の養成から始めなければならないとすると、中長期10年以上の計画案がなければ無理だと知った。
京都での菊人形を見たい夢は変わらないが、ひとまず、ひらかたの菊人形の復活で胸を撫で下ろし、出かける予定にしている。
京都での菊花展の第一声は、西本願寺の献菊展で、10月の中旬に始まる。
本堂の前庭白州に丹精込められた約400鉢が展示され、早朝から自由に無料鑑賞することができるので、銀杏の黄葉具合の下見を兼ねて、毎年鑑賞させて貰っている。
小生の秋の行楽の始まりかもしれない。
同じ頃、泉涌寺に拝観する予定があるなら、230鉢が並べられる献菊展を見ることができる。清楚かつ華やかな姿に目を和ませて貰えるらしいが、小生は紅葉の庭を求めて拝観するので、未だ見たことがない。
一度は訪れないといけないと思っているが、叶いそうにない。
10月中旬を迎えると、時代祭に前後して、二条城お城まつりでの菊花展と京都府立植物園の菊花展や、醍醐寺三宝院の大菊花展が始まる。
平成19年10月、半世紀ぶりに二条城お城まつりで復活した菊花展は、今年も京都菊花連合会のメンバーが育てた約470鉢が展示され、本丸御殿を伴って絵になっている。更に、菊人形も置かれ、城内の至るところに鉢が並ぶことを願っている。
植物園は流石に品種が豊富で、大菊、小菊、洋菊、古典菊、盆栽や福助花壇、縣崖仕立てなど約400鉢1000本が大芝生地特設会場に展示され、即売もある。
おまけに入園料は一般200円で、60歳以上は無料である。
三宝院は大玄関門前(拝観料が必要)に大菊、小菊の250鉢が並べられ、三宝院拝観と霊宝館秋期特別展鑑賞とを合わせて出かけられると良いだろう。
鉢数を比べると、やはり、一万鉢菊花展示に菊人形やイベントのある「たけふ菊人形」には到底適わないが、京都には「嵯峨菊」や「貴船菊」という名の付けられたルーツの菊が今も伝わる。
「貴船菊」とは雅称で、本州・四国・九州の山野に自生する「秋明菊」の別名だが、貴船の群生地の赤紫色の原種が名高い故にそう呼ばれている。
もっとも、漢字で「秋明菊」と書くように、秋真っ盛りの時期に開花する名前通りの花であって、菊のように見えるが、学名は「Anemonehupehensisvar.japonica」とつき、キンポウゲ科のアネモネの仲間で、菊ではないのである。
更に、菊に似た八重咲きの花は花弁ではなく、多数の赤紫色の花弁状の萼片なのである。
昨今では、交配によって一重の花や、白色など様々な色合いの花を咲かせるようになったので、どう呼んで良いのか分からないことがある。
それでも、秋の風情をそっと漂わせる花に変わりない。
一方、「嵯峨菊」は、嵯峨天皇がこよなく愛された菊として嵯峨御所に植えられたものが始まりで、古典菊といわれる嵯峨菊・伊勢菊・肥後菊・江戸菊の中で、最も古い歴史をもつ菊である。
そもそも、その嵯峨菊は大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を、王朝の気品を持たせるようにと、永年にわたり改良洗練された菊だったのである。
糸のように細い花弁は、まず乱れ咲きに平たく開き、次に花びらがよじれて立ち上がり茶筅を立てたようで、全て立ちあがって満開となる。
その色も嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などとの呼び習わしがあり、色とりどりである。風情のある淡い右近橘は、黄色に橙色が混ざり合わせる色あいを見せ、小倉錦の朱は花先と基部が白くなってくるなど、実に時々に楽しみが多い。
そんな嵯峨菊だけで600鉢も勢ぞろいするのは、勿論、旧嵯峨御所の大覚寺門跡で、例年、11月1日から30日間、「嵯峨菊展」として一般公開されている。
同時期には「秋の名宝展」などが行われているので、拝観には絶好の機会となる。
平成24年は、NHK大河ドラマ「平清盛」の放映に合わせ、後白河法皇の第七皇子であり、また箏の名手「小督」との悲恋で知られる「高倉天皇」の御影などの寺宝のほか、白拍子祇王ら哀切な女性たちの姿が、特別名宝展嵯峨御所大覚寺の名宝「大覚寺と源平時代2」と題して、紹介されている。
赤々と燃えるように紅葉した境内を歩き、鬼瓦を配した切妻造りの表門を潜ると、式台玄関に向かってV字型に並べられた色とりどりの嵯峨菊が迎えてくれる。
背筋を伸ばし姿勢を正したかのように背高く伸びた茎に、上下三箇所に天・地・人と花を着けている。先端に三輪、中程に五輪、下に七輪と「七、五、三」に仕立てていると聞く。
先端の花は見上げる程であるから、背丈二メートルはあるだろう。
派手さは微塵もなく、気品高く洗練されていて、凛としていた。
松の間の御輿を横目に回廊を進むと宸殿へと続く。
回廊沿いに、前庭に、嵯峨菊は立ち並び、高潔な姿を見せている。
これぞ、どこも真似のできない、唯一の京の菊だと思い知らされた。
ひらかた大菊人形絵巻
http://www.hirakatapark.co.jp/100th/kikuningyou/
本願寺献菊展
http://www.hongwanji.or.jp/news/other/57.html
元離宮二条城
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
大覚寺
http://www.daikakuji.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5486-121101-11月
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