数年前に鳥が落としていった種が、毎年花壇に芙蓉の花を咲かせている。
夏から初秋にかけての季節の変わり目に咲いている花である。
日毎に新しい花を開かせては落としていく一日花である。
朝開いた花を実家に届けることがある。
その日は茶室に釜がかかり茶会が開かれる。風炉に生けられる花がムクゲから芙蓉に変えられるときである。つまり、秋の知らせで、9月に入ってからのことである。
そろそろ電話がかかってきそうな気がする。
いよいよ実りの秋に入るが、我が家の芙蓉の花も旺盛に咲いている。
その芙蓉は一重のやさしい桃色をしていて、小生を穏やかにしてくれる花である。
我が家に初めて芙蓉が咲いた五年前、それが蓮の美称であることを知った。
水に咲く蓮を呼ぶときに「水芙蓉」と呼び、「木芙蓉」と呼び分けるとあった。
また、富士山のことを別名「芙蓉峰」と呼び、日本一美麗で高き山である賞賛をその別名に託していたこと、美女の形容に多用されていたことも、そのとき知った。
浅学非才を恥じることと、芙蓉に興味を抱いたことで調べてみることに。
芙蓉はハイビスカス属で、「日本のハイビスカス」と呼ばれていることが分かった。
そう言われると花弁の形などよく似ているが、情熱的なハイビスカスの仲間とは驚いた。
さりげなく、優しく包み込んでくれる花だと思っていたからだ。
いきおい、あちこちと芙蓉を探し回ることになった。
記憶に残る場所に、天龍寺三秀院・等持院・智恵光院・法輪禅寺(だるま寺)・妙蓮寺・相国寺・百萬遍知恩寺・白沙村荘・法住寺などが挙がる。
洛中では「芙蓉の寺」と呼ぶに相応しいのは、西陣の妙蓮寺(堀川通寺の内東入る)であった。
密集した京町家に囲まれるように伽藍がある。寺の内通の狭い小路は瓦の軒が連なり、突如その前だけが広まっている。
歩を進めると、「大本山妙蓮寺」と刻まれた石碑が目の前に聳え立ち、忽ち圧倒された。
格子の柵の間から見えるのは白い一重の芙蓉である。更に向かって左手の石碑の前は、芙蓉の葉が生い茂り石碑の文字が隠れていて読めない。創建者の日像上人の名が刻まれているようである。
その大きな石碑の間には石畳が奥に伸び、山門の間からは鐘楼が見え、その鐘楼を芙蓉の花が取り巻いている。
「大本山妙蓮寺」の石碑の前に真っ赤な花が一輪咲いていた。
ハイビスカスかと思った。妙だと思い、近づき眺めてみると、似てはいるが違う。
葉を見ると芙蓉の葉である。もう一度花芯などを見た。まさしく芙蓉である。
これまで真っ赤な芙蓉など見たことがなかった上に、ハイビスカス属なのであるから遠目に間違えても可笑しくはない。
芙蓉がハイビスカス属であることに疑問を持っていたが、このことで妙に合点がいった。
以来、他でまっ赤の芙蓉を見ることがないので、毎年一度見に行く。
境内は至る所に芙蓉の花が開き、白色、桃色、勿論、赤色も咲き競い合っている。
伽藍の建物との調和を楽しみながら散策するのは実に楽しいものだ。
蓮の花だけが浄土の花のように思い込んでいたが、境内を歩くと、芙蓉も極楽浄土に咲く花と思えてきた。
元来、芙蓉が蓮の別名であったというから、木芙蓉が浄土の花であっても何の不思議もない。もしなくば、小生は八重の芙蓉を浄土に持ち行き栽培したいと思う。
八重の芙蓉であれば、九条山を越えた山科日ノ岡に「酔芙蓉の寺」を冠する寺院がある。
法華宗大本山本能寺の末寺となる「大乗寺」という。
とはいえ、大伽藍を要する寺院などではない。
茫々と茂る草むらに覆われた草庵に等しい無住の荒れ寺を、檀信徒が殆ど無い中で、一人の僧侶によって今日まで復興された寺院である。
平成四年暮れ、一人の僧侶はツルハシを山肌に入れた。それが参道造りの始まりであったという。急勾配の土手に道を作るのは並大抵のものでなかったことは容易に想像がつく。現在は石段が積まれた参道があり、石積みされた台地の中腹に小さな山門とお堂が建つ。
山土手から境内作りへと、地道に整備する傍ら、酔芙蓉の挿し木が始められた。その挿し木は約1,300本を超え、参道脇や本堂を囲むよう植えられ、お堂の左手山側に「酔芙蓉の庭」がこさえられている。
酔芙蓉の庭には、人を包み込むような花の小道が手作りで作られている。小道を進むと、「供養塔」や「酔芙蓉観音」が寄進されている。用意された簡易な踏み台に立ち、背丈を越える酔芙蓉の花より顔を出すと、青い空、東山の峰も見える具合である。
お堂前に戻ると、蚊取り線香が焚かれ、団扇が用意され、毛氈を掛けた床机も用意されていた。それは、「自由にお使いください」と、なっている。
住職のお人柄が分かるかのような気がした。
その一人の僧侶の名は「岡澤妙宣」。
四十年近く奉職した大本山本能寺執事長の要職を辞して後進に譲り、無住の荒れ寺に移り住んだ男である。
陽光を浴びた酔芙蓉は、貴婦人が日光浴にしているようで、つい、こちらが日焼けを心配してしまう。
それ位に優しく可憐な花々なのである。朝に花を開き、日増しに色を変えてゆく。白から桃色に。恥ずかしげに徐々に染まっていくのである。そして紅となり、花を落とす。
法華宗大乗寺の酔芙蓉を拝見するのに 拝観料はいらない。
夏から初秋にかけての季節の変わり目に咲いている花である。
日毎に新しい花を開かせては落としていく一日花である。
朝開いた花を実家に届けることがある。
その日は茶室に釜がかかり茶会が開かれる。風炉に生けられる花がムクゲから芙蓉に変えられるときである。つまり、秋の知らせで、9月に入ってからのことである。
そろそろ電話がかかってきそうな気がする。
いよいよ実りの秋に入るが、我が家の芙蓉の花も旺盛に咲いている。
その芙蓉は一重のやさしい桃色をしていて、小生を穏やかにしてくれる花である。
我が家に初めて芙蓉が咲いた五年前、それが蓮の美称であることを知った。
水に咲く蓮を呼ぶときに「水芙蓉」と呼び、「木芙蓉」と呼び分けるとあった。
また、富士山のことを別名「芙蓉峰」と呼び、日本一美麗で高き山である賞賛をその別名に託していたこと、美女の形容に多用されていたことも、そのとき知った。
浅学非才を恥じることと、芙蓉に興味を抱いたことで調べてみることに。
芙蓉はハイビスカス属で、「日本のハイビスカス」と呼ばれていることが分かった。
そう言われると花弁の形などよく似ているが、情熱的なハイビスカスの仲間とは驚いた。
さりげなく、優しく包み込んでくれる花だと思っていたからだ。
いきおい、あちこちと芙蓉を探し回ることになった。
記憶に残る場所に、天龍寺三秀院・等持院・智恵光院・法輪禅寺(だるま寺)・妙蓮寺・相国寺・百萬遍知恩寺・白沙村荘・法住寺などが挙がる。
洛中では「芙蓉の寺」と呼ぶに相応しいのは、西陣の妙蓮寺(堀川通寺の内東入る)であった。
密集した京町家に囲まれるように伽藍がある。寺の内通の狭い小路は瓦の軒が連なり、突如その前だけが広まっている。
歩を進めると、「大本山妙蓮寺」と刻まれた石碑が目の前に聳え立ち、忽ち圧倒された。
格子の柵の間から見えるのは白い一重の芙蓉である。更に向かって左手の石碑の前は、芙蓉の葉が生い茂り石碑の文字が隠れていて読めない。創建者の日像上人の名が刻まれているようである。
その大きな石碑の間には石畳が奥に伸び、山門の間からは鐘楼が見え、その鐘楼を芙蓉の花が取り巻いている。
「大本山妙蓮寺」の石碑の前に真っ赤な花が一輪咲いていた。
ハイビスカスかと思った。妙だと思い、近づき眺めてみると、似てはいるが違う。
葉を見ると芙蓉の葉である。もう一度花芯などを見た。まさしく芙蓉である。
これまで真っ赤な芙蓉など見たことがなかった上に、ハイビスカス属なのであるから遠目に間違えても可笑しくはない。
芙蓉がハイビスカス属であることに疑問を持っていたが、このことで妙に合点がいった。
以来、他でまっ赤の芙蓉を見ることがないので、毎年一度見に行く。
境内は至る所に芙蓉の花が開き、白色、桃色、勿論、赤色も咲き競い合っている。
伽藍の建物との調和を楽しみながら散策するのは実に楽しいものだ。
蓮の花だけが浄土の花のように思い込んでいたが、境内を歩くと、芙蓉も極楽浄土に咲く花と思えてきた。
元来、芙蓉が蓮の別名であったというから、木芙蓉が浄土の花であっても何の不思議もない。もしなくば、小生は八重の芙蓉を浄土に持ち行き栽培したいと思う。
八重の芙蓉であれば、九条山を越えた山科日ノ岡に「酔芙蓉の寺」を冠する寺院がある。
法華宗大本山本能寺の末寺となる「大乗寺」という。
とはいえ、大伽藍を要する寺院などではない。
茫々と茂る草むらに覆われた草庵に等しい無住の荒れ寺を、檀信徒が殆ど無い中で、一人の僧侶によって今日まで復興された寺院である。
平成四年暮れ、一人の僧侶はツルハシを山肌に入れた。それが参道造りの始まりであったという。急勾配の土手に道を作るのは並大抵のものでなかったことは容易に想像がつく。現在は石段が積まれた参道があり、石積みされた台地の中腹に小さな山門とお堂が建つ。
山土手から境内作りへと、地道に整備する傍ら、酔芙蓉の挿し木が始められた。その挿し木は約1,300本を超え、参道脇や本堂を囲むよう植えられ、お堂の左手山側に「酔芙蓉の庭」がこさえられている。
酔芙蓉の庭には、人を包み込むような花の小道が手作りで作られている。小道を進むと、「供養塔」や「酔芙蓉観音」が寄進されている。用意された簡易な踏み台に立ち、背丈を越える酔芙蓉の花より顔を出すと、青い空、東山の峰も見える具合である。
お堂前に戻ると、蚊取り線香が焚かれ、団扇が用意され、毛氈を掛けた床机も用意されていた。それは、「自由にお使いください」と、なっている。
住職のお人柄が分かるかのような気がした。
その一人の僧侶の名は「岡澤妙宣」。
四十年近く奉職した大本山本能寺執事長の要職を辞して後進に譲り、無住の荒れ寺に移り住んだ男である。
陽光を浴びた酔芙蓉は、貴婦人が日光浴にしているようで、つい、こちらが日焼けを心配してしまう。
それ位に優しく可憐な花々なのである。朝に花を開き、日増しに色を変えてゆく。白から桃色に。恥ずかしげに徐々に染まっていくのである。そして紅となり、花を落とす。
法華宗大乗寺の酔芙蓉を拝見するのに 拝観料はいらない。
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