平安な時代を変革せり舞と歌で

今様歌合せの白拍子 by 五所光一郎

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♪ 遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ♪

平成23年NHK大河ドラマ平清盛」の主題歌を思い、あのメロディにのせてつい口ずさんでしまう。それほどに毎週一度繰り返し耳にしていたものだ。

確かにメロディはこの番組のために新たに作られたものであるが、歌は800年以上も昔に後白河法皇が編者となった「梁塵秘抄(りょうじんひしょう/平安時代末期西暦1180年頃に編まれた歌謡集)」に収められた今様265首の一首である。
今様に合わせて舞う白拍子の姿は、白く揺らぐ水干の袖の動きと長袴の紅の鮮やかさに包まれて、艶めかしさを覚えたものだ。

今様」とは、平安時代中頃に成立し、室町、鎌倉時代初期にかけて宮廷で流行した歌謡、いわばポピュラーソング(流行歌/はやりうた)のことで、当世風、現代風との意味である。
それまでの宮廷歌謡には、神楽歌(かぐらうた)・催馬楽(さいばら)・風俗歌(ふぞくうた)などがあったようで、貴族たちの遊宴の場で歌われるスタンダードだったのである。詠む和歌がクラッシックとすれば、韻をふみ節を付けて風俗が歌われる歌謡がいわばスタンダードで、更に、今までの形式に囚われない様々な歌詞をつけ、新鮮な当世風のポピュラーと持て囃されたのが今様だったのである。

それは1コーラスを7・5・7・5・7・5・7・5の七語調四句の歌われ方が多く、清少納言は、歌が長くて、高低の節回しがあると特記している。


「歌は、風俗(ふぞく)。中には杉立てる門。神楽歌も、おかし。
今様歌は、長うて曲(くせ)ついたり。」 (枕草子261段)


枕草子や紫式部日記の寛弘5年(1008年)8月の条でも今様の文字が見えることから、一条天皇(在位986‐1011)の頃にはすでに行われていたこと、さらに「吉野吉水院楽書(よしのきつすいいんがくしよ)」には「今様ノ殊ニハヤルコトハ後朱雀院(在位1036‐1045)ノ御トキヨリナリ」とあり,後白河院の「梁塵秘抄」が編纂され鎌倉時代初期まで、古様に比べ新奇であった今様が200年に及び歌い継がれていたのである。


後白河院が、宮廷で盛んとなっていた今様には幼少の頃から強い関心を示し、支持者となり、権力を手にしてからも今様狂いと呼ばれるほどに執心し、「梁塵秘抄」を著しその第一人者となったのも事実である。
しかし、単なる今様好きだったのだろうか。


承安4年(1174年)9月、後白河院法住寺殿で15夜に亘り「今様合」を開催した。この「今様合」は、 朝廷貴族30人が左右15人づつに分かれて一晩 一組づつの対戦である。対戦の番組表にある今様合の方人(参加者)から窺えるのは、明らかに粋狂な集まりではない。院政治そのものと言う外ないのである。


更には、疲弊した公家社会から武家社会への権力構造の変化を察知して、王建の影響力を温存せんがための文治システムではなかったのだろうか。


その法住寺殿跡地にある法住寺阿弥陀堂にて、毎秋10月に開かれる恒例の「今様歌合せの会」に出掛けることにした。
東山七条を西に三十三間堂の手前を左に南大門に向かって、三十三間堂の塀沿いに歩くと、左手に養源院、後白河天皇法住寺陵と見えてくる。

その南隣である。「身代不動尊」の大きな幟旗が目印だ。
院政期にはこの寺院を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれていた一帯である。

今様合の会」と墨書された立看板が法住寺石標の傍に立っていた。

その力強い筆の運びからご住職の直筆だと誰にも分かるであろう。
山門脇に公家装束で出迎えておられるのは、日本今様謌舞楽会の歌人の方であろうか。
受付を済ませ、本堂の身代り不動明王に参拝し、阿弥陀堂で営まれる法要を待つ。

定刻15時の法要は読経の響く堂内に歌人、白拍子の焼香が続く。縁に腰を下ろし窺う堂内の正面右には、仏師江里康慧師の造顕による御前立後白河法皇御木造が開帳されていた。背後の御陵と相まって時空を越えた空間に感じられた。


法要のあと、仏前に左方4人右方4人と、住職を交えた8名の平安公家装束の歌人が座し、回廊には総勢の白拍子が「万劫年経(まんごうねんきょう/梁塵秘抄)」を舞い、いよいよ、堂内での今様歌合せ白拍子舞の始まりである。

燭台の蝋燭に火が点されると、お香、硯、筆などが白拍子から歌人へと運ばれる小儀式があり、色紙が配られるとお題が伝えられた。
歌人は即興で今様歌を詠み筆を走らせると、白拍子が集めた今様歌は謡い上げられ披露される。
歌舞楽を演じる今様歌が選ばれると、その今様歌を舞う白拍子は歌人のもとへと進み、詠まれた今様の確認を行っている。これまた即興で舞うため歌の意味を理解し、当意即妙の振り表現を考えているのであろう。

白拍子は舞った。朗々と謡われる今様歌に合せ、いとも優雅に舞っている。

下げ髪に立烏帽子を被り、白小袖、緋の単と長袴に白水干を着け、その腰下には白鞘巻の刀を帯び、扇を手に男舞であった。

この新奇な色香が殿上人を惑わし、今様に詠まれた歌が世相を目覚めさせ、時代を変革していたとは言えまいか。
貴賎上下の隔てなく今様は謡われ、遊宴の場を介し舞った白拍子の心に、時代はどう映っていたのであろうか。

法住寺を出た時は、もう夕暮れを迎えていた。

5513-131024-10月

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