えらく熱心に初ゑびすの参詣や歳時に足を運んだものである。
お蔭で、小生宅の神棚は例年よりも賑々しく、縁起物で溢れている。
不景気風を吹き飛ばしたい気分がそうさせたのだろう。
縁起物は、良い事があるようにと祝い祈るための品物のことであるが、見ていても手にしても、実に小生を晴れ晴れとした気分にしてくれる。
吉兆笹につける子宝に用意されているのは、大宝、福俵、千両箱、福輪、福鯛、大判小判、宝来、金蔵、駒札、福熊手、福箕、小槌に、宝船、福鈴である。
どれを見ても欲しくなるものばかり。あれこれ子宝をつけた吉兆笹とお賽銭で大二枚を、初ゑびすでのご利益投資とした。今年いかなものになるか。
勿論、吉兆笹に飾りつける子宝のみならず、笹そのものも縁起物である。
えびす信仰での福笹、吉兆笹と呼ばれるものは、京都ゑびす神社に始まり、その独自のお札の形態を倣ったものが広まったと社伝にある。笹は孟宗竹の葉で、新年芽出度き松竹梅の竹である。
笹は葉を絶やすことなく年中青々と繁り、その枝はどんな重みにもしなり、折れることがない。更にまた、節目正しく真直に伸び、成長してゆく性質がある。
その特徴に家運隆盛、商売繁盛に通じる縁起が、古くから担がれているのである。
えべっさんは吉兆笹の縁起を授かり、更に、自身が選んだ福の子宝をつけ、今年一年の福を招こうと祈願する信仰である。
つまり、囃子言葉にある「商売繁盛で 笹もってこい」の笹は、「福」のことである。
でなければ、ゑびす神社なら「商売繁盛だ、笹もっていけ」で、参詣者なら「商売繁盛に、笹もちかえる」と、こう囃さないと意味が通じない。
この吉兆笹は、境内で授かるものである。
他に、子宝の縁起物がセットされた福熊手、福箕、福籠などがあるが、参道の露天商でも買うことができる。但し、露天商のものには、「恵比寿大神の御札」はない。
神社で御札を授かり取り付けることを忘れないで貰いたい。そうでなければインテリア用品となってしまう。祈祷を受け、気をいれるのが肝要である。
どうして熊手、箕、籠なのかと思ったことがある。
いずれも、福の縁起とされる竹笹の幹である青竹からこさえられている。
熊手に、その櫛状の歯で幸運金運をかき寄せ、集めるとの意味が込められているなら、寄せ集めるだけでは、そのあと散り去ってしまうではないか。
一方、箕は塵取りではない。収穫物の採り入れや、運搬、選別などに使われるものであるが、熊手ほどに幸運金運をかき寄せ集める貪欲さを感じさせない。
籠ならば、選別された幸運金運を入れ、運び、飾り、保存することを連想させられる。
どの縁起物を求めるかと問われると迷ってしまうが、三種全部を揃えて飾れれば、鬼に金棒となり、抜かりがない。
元来、ゑびす神は漁業の神であったのだから、縁起物は竹の釣竿などと思ったが、これらは農作業具である。
縁起物の子宝を見ると、大漁から五穀豊穣・豊作、商売繁盛へと、時代に応じて望まれる福の形が変遷し、それに神も応えてきていることが良く分る。
縁日の露店商でしか販売していない縁起物もある。
境内に出店している縁起物「人気(ひとけ)よせ」が二店、縁起物「お足」が一店。
「人気よせ」は、千客万来を願う人寄せを願い、円形の竹枠の中に人を囲い込むように人形が吊るされ、赤布で巻かれてある。
「お足」は、鼻緒つきの桐のおこぼに,飾り縁起柄の竹笹や鶴が丁寧に描かれ、「お足(金)が入ってきますように、足の病がなおりますように」と、素朴な願いが込められたもの。
大和大路四条を下がり団栗橋通を超え、建仁寺西門からゑびす神社まで、じっくりと露店を見歩いたが、参道の縁起物露店商がすっかりと少なくなってしまった。
今年は、紙張り福だるま屋が一店、福熊手、福箕屋が一店、「人気よせ」が一店しか見当たらないのである。
それでも、京畳の戸田畳さん、桶師の京風おけ庄さん、和菓子屋の鍵善良房さん、紙鍋きんなべさん、割烹まとのさん、ちやんこ鍋天山さん、味工房ふくいさん、京漬物かみや商店さん、和楽の金善楽器店さん、くし、かんざしのべっ甲丹羽さんなどなど、京下町風情を残す地元のお店が、まだまだ健在に営業されていたので、一安心できた。
この一帯は、祇園と東山安井、宮川町に囲まれた建仁寺を中心に成り立つ地域である。その建仁寺が、土御門天皇の建仁2年(1202年)に栄西禅師により建立されたとき、守護神として創建されたのが京都ゑびす神社の起源である。
そして、えべっさんのゑびす信仰は広まり、ゑびす講なる市がたった。
縁日には、縁起物を授かる文化が発達していったのである。
人々の心に潤いを与えてくれる縁日、縁起物。
伝統的手工芸品の縁起物に命を吹き込めるのは、出かける者と信じる者。
そして、その縁起を担いだ者に、幸福は訪れると小生も信じている。
お蔭で、小生宅の神棚は例年よりも賑々しく、縁起物で溢れている。
不景気風を吹き飛ばしたい気分がそうさせたのだろう。
縁起物は、良い事があるようにと祝い祈るための品物のことであるが、見ていても手にしても、実に小生を晴れ晴れとした気分にしてくれる。
吉兆笹につける子宝に用意されているのは、大宝、福俵、千両箱、福輪、福鯛、大判小判、宝来、金蔵、駒札、福熊手、福箕、小槌に、宝船、福鈴である。
どれを見ても欲しくなるものばかり。あれこれ子宝をつけた吉兆笹とお賽銭で大二枚を、初ゑびすでのご利益投資とした。今年いかなものになるか。
勿論、吉兆笹に飾りつける子宝のみならず、笹そのものも縁起物である。
えびす信仰での福笹、吉兆笹と呼ばれるものは、京都ゑびす神社に始まり、その独自のお札の形態を倣ったものが広まったと社伝にある。笹は孟宗竹の葉で、新年芽出度き松竹梅の竹である。
笹は葉を絶やすことなく年中青々と繁り、その枝はどんな重みにもしなり、折れることがない。更にまた、節目正しく真直に伸び、成長してゆく性質がある。
その特徴に家運隆盛、商売繁盛に通じる縁起が、古くから担がれているのである。
えべっさんは吉兆笹の縁起を授かり、更に、自身が選んだ福の子宝をつけ、今年一年の福を招こうと祈願する信仰である。
つまり、囃子言葉にある「商売繁盛で 笹もってこい」の笹は、「福」のことである。
でなければ、ゑびす神社なら「商売繁盛だ、笹もっていけ」で、参詣者なら「商売繁盛に、笹もちかえる」と、こう囃さないと意味が通じない。
この吉兆笹は、境内で授かるものである。
他に、子宝の縁起物がセットされた福熊手、福箕、福籠などがあるが、参道の露天商でも買うことができる。但し、露天商のものには、「恵比寿大神の御札」はない。
神社で御札を授かり取り付けることを忘れないで貰いたい。そうでなければインテリア用品となってしまう。祈祷を受け、気をいれるのが肝要である。
どうして熊手、箕、籠なのかと思ったことがある。
いずれも、福の縁起とされる竹笹の幹である青竹からこさえられている。
熊手に、その櫛状の歯で幸運金運をかき寄せ、集めるとの意味が込められているなら、寄せ集めるだけでは、そのあと散り去ってしまうではないか。
一方、箕は塵取りではない。収穫物の採り入れや、運搬、選別などに使われるものであるが、熊手ほどに幸運金運をかき寄せ集める貪欲さを感じさせない。
籠ならば、選別された幸運金運を入れ、運び、飾り、保存することを連想させられる。
どの縁起物を求めるかと問われると迷ってしまうが、三種全部を揃えて飾れれば、鬼に金棒となり、抜かりがない。
元来、ゑびす神は漁業の神であったのだから、縁起物は竹の釣竿などと思ったが、これらは農作業具である。
縁起物の子宝を見ると、大漁から五穀豊穣・豊作、商売繁盛へと、時代に応じて望まれる福の形が変遷し、それに神も応えてきていることが良く分る。
縁日の露店商でしか販売していない縁起物もある。
境内に出店している縁起物「人気(ひとけ)よせ」が二店、縁起物「お足」が一店。
「人気よせ」は、千客万来を願う人寄せを願い、円形の竹枠の中に人を囲い込むように人形が吊るされ、赤布で巻かれてある。
「お足」は、鼻緒つきの桐のおこぼに,飾り縁起柄の竹笹や鶴が丁寧に描かれ、「お足(金)が入ってきますように、足の病がなおりますように」と、素朴な願いが込められたもの。
大和大路四条を下がり団栗橋通を超え、建仁寺西門からゑびす神社まで、じっくりと露店を見歩いたが、参道の縁起物露店商がすっかりと少なくなってしまった。
今年は、紙張り福だるま屋が一店、福熊手、福箕屋が一店、「人気よせ」が一店しか見当たらないのである。
それでも、京畳の戸田畳さん、桶師の京風おけ庄さん、和菓子屋の鍵善良房さん、紙鍋きんなべさん、割烹まとのさん、ちやんこ鍋天山さん、味工房ふくいさん、京漬物かみや商店さん、和楽の金善楽器店さん、くし、かんざしのべっ甲丹羽さんなどなど、京下町風情を残す地元のお店が、まだまだ健在に営業されていたので、一安心できた。
この一帯は、祇園と東山安井、宮川町に囲まれた建仁寺を中心に成り立つ地域である。その建仁寺が、土御門天皇の建仁2年(1202年)に栄西禅師により建立されたとき、守護神として創建されたのが京都ゑびす神社の起源である。
そして、えべっさんのゑびす信仰は広まり、ゑびす講なる市がたった。
縁日には、縁起物を授かる文化が発達していったのである。
人々の心に潤いを与えてくれる縁日、縁起物。
伝統的手工芸品の縁起物に命を吹き込めるのは、出かける者と信じる者。
そして、その縁起を担いだ者に、幸福は訪れると小生も信じている。
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