弥生三月も中旬を迎えると、気分が陽気になってくる。
催事や行事も賑やかになり、春の訪れを告げているようだが、桜見にはまだ早い。
春めいたものを感じさせる行事はというと、まず、10日の「保津川下り 川開き」が挙げられる。
冬の間は暖房船が数回運行されているが、この日は花飾り船で「川開き」を祝う。
川面の風はまだ少々冷たいが、渓流沿いの花々が今にも開き、水しぶきも心地よくなる予感がする春の開幕行事である。
「東山花灯路」は、桜が咲き誇る前の風物詩となり、行灯に灯された石畳を誰と歩こうかと胸をときめかせ、春の宵を楽しみにしている人も多かろう。
花灯路の時期になると、「春のライトアップ 夜間拝観」も始まる。
二条城、円山公園、祇園白川、木屋町四条〜松原、平野神社、嵐山中之島公園、青蓮院、清水寺などなど、開催地や各寺院により日程は異なる。
とは言え、夜は少し肌寒さを感じる時期でもあり、小生は、まだ冬のコートが手放せない。
それでも、光と影の妙技で人を酔わせる京の春の灯りに、小生は誘い出される。
そして、「春よこい、早く来い」と、鼻歌まじりに、夜な夜な歩き出すのが、毎年のこの頃である。
ところで、昨日、梅見の合間に天台宗真正極楽寺に立ち寄った。
寺の名で極楽寺という名は滅法多い。その中で真正と冠されている。
この寺院の本堂の呼び名は「真如堂」という。洛東神楽岡にある紅葉の名所で、こう言えば、誰もが知る寺院である。
この時期、桜の蕾はまだ固く、境内には花色も葉色も見ることはできない。
しかし、三月の1ヶ月間は、真如堂で「涅槃図」が見られるのである。
京の街なかにお寺は多かれど、普段から涅槃図が公開されているところはない。
お盆以外は、3月14日から16日までの「涅槃会」に、東福寺、清涼寺、泉涌寺、本法寺で公開されるほか、清水寺(2/15〜2/22)、西寿寺(3/17〜3/23)などに限られる。
これらに出向かない手はない。
真如堂に出向いたのは仏様の導きであった気がする。
というのは、非公開のもう一幅の涅槃図を見られる機会を得たのである。
公開中の大涅槃図の制作より、更に300年を遡る1400年初頭の「涅槃図」である。
おまけに二幅の涅槃図を見比べながらの説明を、僧侶にして戴いたからである。
この機会を得たのは10名足らずの拝観者である。
月や沙羅双樹などの位置の違いなどなど、制作者の表現や構図の意図に興味が深まるばかりである。
因みに、涅槃図の下部には、釈迦を悼んで集まった動物達が描かれている。
真如堂の大涅槃図では127種の生類である。その中には、東福寺の涅槃図と同様に猫が描かれている。伝来の涅槃図では、猫がいないのが本来であるとされている。
諸説あるが、鼠は釈迦の使いであり、釈迦の生母摩耶夫人の投げた救いの薬を取りに行く役目がある。
つまり、鼠の天敵である猫を描くことが憚られたのだろう時代。
釈迦の教えには、そんな分け隔てはないと、こう考えた時代。
それぞれの時代においての仏法を説く者の考え方や、その時代の世情に興味が湧く。
また,以前に見た涅槃図の釈迦の右手は、体に沿って下におろされていたが、公開中の大涅槃図は右手を差し出され、非公開で、更に古いもう一幅の涅槃図の右手は手枕をされているのだ。
その制作時代の信仰の教えと解釈が、涅槃美術に強く影響していることが伺える。
涅槃図とは、釈迦の入滅の場面を絵解きしたもので、その様子は涅槃経に記されているという。
「頭北面西右脇臥(ずほくめん さいうきょうが)」は臨終の瞬間の釈迦の姿で、東西南北一双の沙羅双樹の下の宝床を囲み、集う菩薩や僧俗、鳥獣生類が表されている絵図である。
今も宗派の別なく、その涅槃図を本尊と掲げ、釈迦の遺徳を偲ぶ法要「涅槃会」が営まれている。
真如堂で拝観させてもらった大涅槃図の前には、後醍醐天皇寄進の舎利塔が置かれ、祭壇が組まれていた。
その後、書院にある枯山水庭園「涅槃の庭」で寛いだ。
石組みされた釈迦の涅槃を彷彿とさせる造形に感服させられ、微動だにできなかった。そして、そこにずっと居たい気持ちになったのだ。
庭石から視線を外し、垣根の先に目をやると、比叡山、東山如意ケ嶽の大文字が控えていた。それらの稜線もまた、まるで釈迦の臥す姿に映った。
涅槃図に描かれた生類達は、普段、弱肉強食の摂理の中で、互いに喧嘩したり、喰いつ喰われつの間柄のものもいる。
しかし、釈迦涅槃の時ばかりは争うことなく、皆一様に釈迦を悼み、集っていた。
お釈迦さんに「持戒(じかい)」と「布施」の気持ちを諭されたような気分である。
春のお彼岸が近い。先祖供養のお墓参りに各寺の涅槃会に出かけられ、涅槃図の絵解きを楽しまれるのも良い。
そして、満月の宵に、ライトアップされた京と、月明かりに照らし出される自身を眺められてはいかがか。
真如堂
http://shin-nyo-do.jp/
保津川下り
http://www.hozugawakudari.jp/
京都 花灯路
http://www.hanatouro.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
催事や行事も賑やかになり、春の訪れを告げているようだが、桜見にはまだ早い。
春めいたものを感じさせる行事はというと、まず、10日の「保津川下り 川開き」が挙げられる。
冬の間は暖房船が数回運行されているが、この日は花飾り船で「川開き」を祝う。
川面の風はまだ少々冷たいが、渓流沿いの花々が今にも開き、水しぶきも心地よくなる予感がする春の開幕行事である。
「東山花灯路」は、桜が咲き誇る前の風物詩となり、行灯に灯された石畳を誰と歩こうかと胸をときめかせ、春の宵を楽しみにしている人も多かろう。
花灯路の時期になると、「春のライトアップ 夜間拝観」も始まる。
二条城、円山公園、祇園白川、木屋町四条〜松原、平野神社、嵐山中之島公園、青蓮院、清水寺などなど、開催地や各寺院により日程は異なる。
とは言え、夜は少し肌寒さを感じる時期でもあり、小生は、まだ冬のコートが手放せない。
それでも、光と影の妙技で人を酔わせる京の春の灯りに、小生は誘い出される。
そして、「春よこい、早く来い」と、鼻歌まじりに、夜な夜な歩き出すのが、毎年のこの頃である。
ところで、昨日、梅見の合間に天台宗真正極楽寺に立ち寄った。
寺の名で極楽寺という名は滅法多い。その中で真正と冠されている。
この寺院の本堂の呼び名は「真如堂」という。洛東神楽岡にある紅葉の名所で、こう言えば、誰もが知る寺院である。
この時期、桜の蕾はまだ固く、境内には花色も葉色も見ることはできない。
しかし、三月の1ヶ月間は、真如堂で「涅槃図」が見られるのである。
京の街なかにお寺は多かれど、普段から涅槃図が公開されているところはない。
お盆以外は、3月14日から16日までの「涅槃会」に、東福寺、清涼寺、泉涌寺、本法寺で公開されるほか、清水寺(2/15〜2/22)、西寿寺(3/17〜3/23)などに限られる。
これらに出向かない手はない。
真如堂に出向いたのは仏様の導きであった気がする。
というのは、非公開のもう一幅の涅槃図を見られる機会を得たのである。
公開中の大涅槃図の制作より、更に300年を遡る1400年初頭の「涅槃図」である。
おまけに二幅の涅槃図を見比べながらの説明を、僧侶にして戴いたからである。
この機会を得たのは10名足らずの拝観者である。
月や沙羅双樹などの位置の違いなどなど、制作者の表現や構図の意図に興味が深まるばかりである。
因みに、涅槃図の下部には、釈迦を悼んで集まった動物達が描かれている。
真如堂の大涅槃図では127種の生類である。その中には、東福寺の涅槃図と同様に猫が描かれている。伝来の涅槃図では、猫がいないのが本来であるとされている。
諸説あるが、鼠は釈迦の使いであり、釈迦の生母摩耶夫人の投げた救いの薬を取りに行く役目がある。
つまり、鼠の天敵である猫を描くことが憚られたのだろう時代。
釈迦の教えには、そんな分け隔てはないと、こう考えた時代。
それぞれの時代においての仏法を説く者の考え方や、その時代の世情に興味が湧く。
また,以前に見た涅槃図の釈迦の右手は、体に沿って下におろされていたが、公開中の大涅槃図は右手を差し出され、非公開で、更に古いもう一幅の涅槃図の右手は手枕をされているのだ。
その制作時代の信仰の教えと解釈が、涅槃美術に強く影響していることが伺える。
涅槃図とは、釈迦の入滅の場面を絵解きしたもので、その様子は涅槃経に記されているという。
「頭北面西右脇臥(ずほくめん さいうきょうが)」は臨終の瞬間の釈迦の姿で、東西南北一双の沙羅双樹の下の宝床を囲み、集う菩薩や僧俗、鳥獣生類が表されている絵図である。
今も宗派の別なく、その涅槃図を本尊と掲げ、釈迦の遺徳を偲ぶ法要「涅槃会」が営まれている。
真如堂で拝観させてもらった大涅槃図の前には、後醍醐天皇寄進の舎利塔が置かれ、祭壇が組まれていた。
その後、書院にある枯山水庭園「涅槃の庭」で寛いだ。
石組みされた釈迦の涅槃を彷彿とさせる造形に感服させられ、微動だにできなかった。そして、そこにずっと居たい気持ちになったのだ。
庭石から視線を外し、垣根の先に目をやると、比叡山、東山如意ケ嶽の大文字が控えていた。それらの稜線もまた、まるで釈迦の臥す姿に映った。
涅槃図に描かれた生類達は、普段、弱肉強食の摂理の中で、互いに喧嘩したり、喰いつ喰われつの間柄のものもいる。
しかし、釈迦涅槃の時ばかりは争うことなく、皆一様に釈迦を悼み、集っていた。
お釈迦さんに「持戒(じかい)」と「布施」の気持ちを諭されたような気分である。
春のお彼岸が近い。先祖供養のお墓参りに各寺の涅槃会に出かけられ、涅槃図の絵解きを楽しまれるのも良い。
そして、満月の宵に、ライトアップされた京と、月明かりに照らし出される自身を眺められてはいかがか。
真如堂
http://shin-nyo-do.jp/
保津川下り
http://www.hozugawakudari.jp/
京都 花灯路
http://www.hanatouro.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5224-140313-3月
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