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誰しも苦しんで死にたくはない筈である。
出きる事なら、住み慣れた自宅の寝室で布団に入り、朝を迎えるつもりで安らかな眠りに就き、眠ったまま目覚めることなく、知らぬ間に息を引き取りたいと願うものである。
ところが、そうはいかないのが常である。病を患い、傷みや苦しみと闘いながら、死を迎えることが多い。近代医学で傷みは取り除いてくれても、治らぬ病なら病室で永らく介護や看病を受けながら過ごすのも心が重いものであろう。
そんな話をしていると、「ぽっくり寺」と呼ばれるお寺さんがあるという。
つまり、名の通り苦しまずに極楽浄土へつれてくださる、究極の願いを叶えてくれる寺院ということであろうか。
「即、成仏できる」と書く京都の「ぽっくり寺」とは、泉涌寺塔頭の即成院だという。
御寺泉涌寺への坂を上る途中にある総門前の左手に即成院はある。
即成院の山門の屋根には羽を広げた鳳凰が一羽止まっているので覚えている。
しかし、その山門の中へ足を踏み入れることがなかった。
即成院は、寺名が表すように「即、願いが成就する」という現世利益に篤い信仰者があり、「即、成仏できる」という人間の究極の願いをも、その信仰により叶うとされている。
即成院に縁があり、平安末期の石造宝塔の墓碑が建てられている那須与一(法名/即成院殿禅海宗悟大居士)は、そのご利益を受けたと伝えられている。
与一は屋島の合戦以前に、義経の命を受けて出陣の途中、栃木県大田原市から京都に向かう道中で病にかかり突然倒れ、京都伏見で療養し、即成院の本尊・阿弥陀如来の霊験にすがり、院にこもって病気回復を祈ると共に、戦いにおける戦功を強く願い続けた。
与一の祈りは通じ、阿弥陀如来の霊験で病が癒え、見事健康をとり戻した与一はまさに体調万全となり、屋島の戦いに挑むことが出来たとの寺伝がある。
その与一が信仰した現世極楽浄土と呼ばれる阿弥陀如来と二十五菩薩座像は、光明山即成院の本堂内陣に安置されている。
「二十五菩薩お練り供養大法会」が営まれている10月(毎年10月第3日曜日執行)に参詣する機会を得た。
山門を潜ると、高々とあがる扇が目に入る。「願いが的に当たる」という那須与一の扇であろう。天辺に付けられた扇の下で吹流しが風に泳ぐ、雲ひとつない秋晴れであった。見上げるととても清々しい気分になった。
右手本堂を極楽浄土、境内左手の地蔵堂を現世に見立て、その間に、高さ二メートル、長さ五〇メートルほどの板橋が掛けられている。
その上を、阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩の行列が、厳かな来迎和讃に合わせて、本堂から地蔵堂へ、地蔵堂から本堂へと練り歩くのである。
浄土教では、臨終の際、阿弥陀如来が二十五菩薩とともに迎えにきて、極楽浄土に導いてくれると教えている。「二十五菩薩お練り供養」は、この阿弥陀如来が現世へ来迎する様子を実際に仮装して演じられ、境内に設けられた板橋を行列するのである。そのお練りは江戸時代中期に始まったという。
いよいよである。
僧を先頭にほら貝を吹く山伏が続き、親子連れの稚児の行列が始まった。
その後ろに大地蔵菩薩が見えた。
顎あたりまである長い大きな耳に青い剃髪頭、おちょぼ口には紅がさされ、下目使い加減の表情は穏やかである。
白い手袋をつけた右手に錫杖、左手には如意宝珠を持ち、朱の衣に金襴の袈裟を懸け、円形の金色光背を背負っていた。
錫杖は、山野遊行の際、禽獣や毒蛇の害から身を守り、煩悩を除去し智慧を得る法具で、如意宝珠は、意のままに様々な願いを叶える宝の珠を表した法具である。
この姿で地獄で苦しむ衆生を救ってくれるという。
大地蔵菩薩を先導に、それに続く菩薩は金色の面(おもて)をつけ、煌びやかな金襴の上着と袴という菩薩装束である。介添えとして傍につく家族の方々の黒留袖や色留袖の着物姿も実に艶やかで、さすが京都と唸らせるものであった。
お練りを見ていると、板橋に結ばれた五色の布を固く握り、行列する菩薩を見上げ、合掌している姿が目に留まった。来迎してきた菩薩に引接(いんじょう)されることを願う信者の方であろう。とても綺麗な姿に映った。
二十五菩薩お練り供養に姿を表した菩薩がどなたか分からず、帰宅後調べてみた。
普段、寺院で手を合わせている菩薩でさえ、いかに不確かなことしか知らなかったかが分かる。
大地蔵菩薩の次に、両手で蓮台を支え持っているのが、世の人々の願いを自由自在に観じて救済される観世音菩薩で、合掌された手を左右にして歩いておられたのが、人々の無知を救う仏の智慧を象徴されている大勢至(だいせいし)菩薩であった。何れも阿弥陀如来の脇侍である。
続いて、釈迦如来の脇侍で、柄のついた幡蓋(ばんがい/傘の形の装身具)を持つ普賢菩薩、薬師如来の脇侍で、幢幡(どうばん/旗飾り)を持っている薬王菩薩、玉幡(ぎょくばん/玉のついた旗竿)を手にしている薬上菩薩、そして、普賢菩薩の兄弟で同じく釈迦如来の脇侍で、華鬟(けまん/装身具)を持つ法自在王(文殊菩薩)となる。
この辺りまでは何とか名前は分かるのであるが、だんだんとあやしくなってくる。
獅子吼(ししく)菩薩は、獅子が吼えるように悟りについて説法する菩薩で横連笛(おうれんてき)を持ち、仏教で用いる呪文、言葉の力で仏法を保持して悪法を防ぐ陀羅尼菩薩は衣をひるえした舞姿で袖をつかんでいる。
智慧と慈悲が虚空のように広大無辺であるという虚空菩薩は腰鼓を、求めに応じて功徳の宝庫を開き、いつなんどきでも衆生を救われる徳蔵菩薩は笙(しょう)を、願いに応じ蔵を開いてその宝を与えてくれる宝蔵菩薩は横笛を携えている。
更に次々と現れる菩薩は管弦打楽器を鳴らし、極楽浄土へと誘う楽団さながらである。
その担当は、金剛蔵菩薩は琴、金蔵(こんぞう)菩薩は箏(そう/八雲の琴)、光明王菩薩は琵琶、山海慧(さんかいね)菩薩は箜篌(くご/たて琴)、華厳王菩薩は磬(けい石製/打楽器)、衆宝王(しゅうほうおう)菩薩は鐃(にょう/ドラ)、月光王菩薩は豆太鼓、日照王菩薩は羯鼓(かっこ/飾り太鼓)、三昧王(さんまいおう)菩薩は天華(てんげ/天上に咲く花・花皿)、定自在王(じょうじざいおう)菩薩は太鼓、大自在王菩薩は鼓に華幢(けばん/花で飾られた旗鉾)、白象王(びゃくぞうおう)菩薩は七力(しちりき)に宝幢(ほうばん/宝の旗鉾)、大威徳王菩薩は瓔珞(ようらく/珠のついた網状の飾り物)を携えている。
そして、行列のドン尻を務められているのが、地蔵菩薩とおなじ姿の無辺身菩薩(むへんしんぼさつ)だった。たとえ自身が身替となったとしても、世の人々の救済を願われる菩薩で、地獄の果てまで追ってでも救済して下さるとのことである。
お練りには圧巻された。
二十五菩薩の来迎が演じられている境内がこの世とは思えなくなってくるのである。
僧侶による散華に、見上げたままの姿で観衆は群がり、仏の慈悲にすがる生身の人の姿は自然な姿に感じられた。
出きる事なら、住み慣れた自宅の寝室で布団に入り、朝を迎えるつもりで安らかな眠りに就き、眠ったまま目覚めることなく、知らぬ間に息を引き取りたいと願うものである。
ところが、そうはいかないのが常である。病を患い、傷みや苦しみと闘いながら、死を迎えることが多い。近代医学で傷みは取り除いてくれても、治らぬ病なら病室で永らく介護や看病を受けながら過ごすのも心が重いものであろう。
そんな話をしていると、「ぽっくり寺」と呼ばれるお寺さんがあるという。
つまり、名の通り苦しまずに極楽浄土へつれてくださる、究極の願いを叶えてくれる寺院ということであろうか。
「即、成仏できる」と書く京都の「ぽっくり寺」とは、泉涌寺塔頭の即成院だという。
御寺泉涌寺への坂を上る途中にある総門前の左手に即成院はある。
即成院の山門の屋根には羽を広げた鳳凰が一羽止まっているので覚えている。
しかし、その山門の中へ足を踏み入れることがなかった。
即成院は、寺名が表すように「即、願いが成就する」という現世利益に篤い信仰者があり、「即、成仏できる」という人間の究極の願いをも、その信仰により叶うとされている。
即成院に縁があり、平安末期の石造宝塔の墓碑が建てられている那須与一(法名/即成院殿禅海宗悟大居士)は、そのご利益を受けたと伝えられている。
与一は屋島の合戦以前に、義経の命を受けて出陣の途中、栃木県大田原市から京都に向かう道中で病にかかり突然倒れ、京都伏見で療養し、即成院の本尊・阿弥陀如来の霊験にすがり、院にこもって病気回復を祈ると共に、戦いにおける戦功を強く願い続けた。
与一の祈りは通じ、阿弥陀如来の霊験で病が癒え、見事健康をとり戻した与一はまさに体調万全となり、屋島の戦いに挑むことが出来たとの寺伝がある。
その与一が信仰した現世極楽浄土と呼ばれる阿弥陀如来と二十五菩薩座像は、光明山即成院の本堂内陣に安置されている。
「二十五菩薩お練り供養大法会」が営まれている10月(毎年10月第3日曜日執行)に参詣する機会を得た。
山門を潜ると、高々とあがる扇が目に入る。「願いが的に当たる」という那須与一の扇であろう。天辺に付けられた扇の下で吹流しが風に泳ぐ、雲ひとつない秋晴れであった。見上げるととても清々しい気分になった。
右手本堂を極楽浄土、境内左手の地蔵堂を現世に見立て、その間に、高さ二メートル、長さ五〇メートルほどの板橋が掛けられている。
その上を、阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩の行列が、厳かな来迎和讃に合わせて、本堂から地蔵堂へ、地蔵堂から本堂へと練り歩くのである。
浄土教では、臨終の際、阿弥陀如来が二十五菩薩とともに迎えにきて、極楽浄土に導いてくれると教えている。「二十五菩薩お練り供養」は、この阿弥陀如来が現世へ来迎する様子を実際に仮装して演じられ、境内に設けられた板橋を行列するのである。そのお練りは江戸時代中期に始まったという。
いよいよである。
僧を先頭にほら貝を吹く山伏が続き、親子連れの稚児の行列が始まった。
その後ろに大地蔵菩薩が見えた。
顎あたりまである長い大きな耳に青い剃髪頭、おちょぼ口には紅がさされ、下目使い加減の表情は穏やかである。
白い手袋をつけた右手に錫杖、左手には如意宝珠を持ち、朱の衣に金襴の袈裟を懸け、円形の金色光背を背負っていた。
錫杖は、山野遊行の際、禽獣や毒蛇の害から身を守り、煩悩を除去し智慧を得る法具で、如意宝珠は、意のままに様々な願いを叶える宝の珠を表した法具である。
この姿で地獄で苦しむ衆生を救ってくれるという。
大地蔵菩薩を先導に、それに続く菩薩は金色の面(おもて)をつけ、煌びやかな金襴の上着と袴という菩薩装束である。介添えとして傍につく家族の方々の黒留袖や色留袖の着物姿も実に艶やかで、さすが京都と唸らせるものであった。
お練りを見ていると、板橋に結ばれた五色の布を固く握り、行列する菩薩を見上げ、合掌している姿が目に留まった。来迎してきた菩薩に引接(いんじょう)されることを願う信者の方であろう。とても綺麗な姿に映った。
二十五菩薩お練り供養に姿を表した菩薩がどなたか分からず、帰宅後調べてみた。
普段、寺院で手を合わせている菩薩でさえ、いかに不確かなことしか知らなかったかが分かる。
大地蔵菩薩の次に、両手で蓮台を支え持っているのが、世の人々の願いを自由自在に観じて救済される観世音菩薩で、合掌された手を左右にして歩いておられたのが、人々の無知を救う仏の智慧を象徴されている大勢至(だいせいし)菩薩であった。何れも阿弥陀如来の脇侍である。
続いて、釈迦如来の脇侍で、柄のついた幡蓋(ばんがい/傘の形の装身具)を持つ普賢菩薩、薬師如来の脇侍で、幢幡(どうばん/旗飾り)を持っている薬王菩薩、玉幡(ぎょくばん/玉のついた旗竿)を手にしている薬上菩薩、そして、普賢菩薩の兄弟で同じく釈迦如来の脇侍で、華鬟(けまん/装身具)を持つ法自在王(文殊菩薩)となる。
この辺りまでは何とか名前は分かるのであるが、だんだんとあやしくなってくる。
獅子吼(ししく)菩薩は、獅子が吼えるように悟りについて説法する菩薩で横連笛(おうれんてき)を持ち、仏教で用いる呪文、言葉の力で仏法を保持して悪法を防ぐ陀羅尼菩薩は衣をひるえした舞姿で袖をつかんでいる。
智慧と慈悲が虚空のように広大無辺であるという虚空菩薩は腰鼓を、求めに応じて功徳の宝庫を開き、いつなんどきでも衆生を救われる徳蔵菩薩は笙(しょう)を、願いに応じ蔵を開いてその宝を与えてくれる宝蔵菩薩は横笛を携えている。
更に次々と現れる菩薩は管弦打楽器を鳴らし、極楽浄土へと誘う楽団さながらである。
その担当は、金剛蔵菩薩は琴、金蔵(こんぞう)菩薩は箏(そう/八雲の琴)、光明王菩薩は琵琶、山海慧(さんかいね)菩薩は箜篌(くご/たて琴)、華厳王菩薩は磬(けい石製/打楽器)、衆宝王(しゅうほうおう)菩薩は鐃(にょう/ドラ)、月光王菩薩は豆太鼓、日照王菩薩は羯鼓(かっこ/飾り太鼓)、三昧王(さんまいおう)菩薩は天華(てんげ/天上に咲く花・花皿)、定自在王(じょうじざいおう)菩薩は太鼓、大自在王菩薩は鼓に華幢(けばん/花で飾られた旗鉾)、白象王(びゃくぞうおう)菩薩は七力(しちりき)に宝幢(ほうばん/宝の旗鉾)、大威徳王菩薩は瓔珞(ようらく/珠のついた網状の飾り物)を携えている。
そして、行列のドン尻を務められているのが、地蔵菩薩とおなじ姿の無辺身菩薩(むへんしんぼさつ)だった。たとえ自身が身替となったとしても、世の人々の救済を願われる菩薩で、地獄の果てまで追ってでも救済して下さるとのことである。
お練りには圧巻された。
二十五菩薩の来迎が演じられている境内がこの世とは思えなくなってくるのである。
僧侶による散華に、見上げたままの姿で観衆は群がり、仏の慈悲にすがる生身の人の姿は自然な姿に感じられた。
5337-141016-10/17
関連歳時/文化
二十五菩薩お練り供養
ぽっくり寺
釈迦如来
阿弥陀如来
薬師如来
二十五菩薩
大地蔵菩薩
観世音菩薩
大勢至(だいせいし)菩薩
獅子吼(ししく)菩薩
陀羅尼菩薩
普賢菩薩
薬王菩薩
薬上菩薩
文殊菩薩
虚空菩薩
徳蔵菩薩
金剛蔵菩薩
金蔵(こんぞう)菩薩
光明王菩薩
華厳王菩薩
衆宝王(しゅうほうおう)菩薩
山海慧(さんかいね)菩薩
月光王菩薩
日照王菩薩
三昧王(さんまいおう)菩薩
定自在王(じょうじざいおう)菩薩
大自在王菩薩
白象王(びゃくぞうおう)菩薩
大威徳王菩薩
無辺身菩薩
ぽっくり寺
釈迦如来
阿弥陀如来
薬師如来
二十五菩薩
大地蔵菩薩
観世音菩薩
大勢至(だいせいし)菩薩
獅子吼(ししく)菩薩
陀羅尼菩薩
普賢菩薩
薬王菩薩
薬上菩薩
文殊菩薩
虚空菩薩
徳蔵菩薩
金剛蔵菩薩
金蔵(こんぞう)菩薩
光明王菩薩
華厳王菩薩
衆宝王(しゅうほうおう)菩薩
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