Xmasも国民的祝祭日にならないわけ

和合のニッポン 年の暮れ by 五所光一郎

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今しがた「終い天神」で買い物を済ませた。

北野天満宮に祀られる菅原道真公のお陰で、縁日である毎月25日には、コンビニでは用を足さない買い物ができ、参詣もできた。

今年の締めとなる最終の「天神さん」である。
縁日とは、誠によくできたシステムであり、このシステムは量販店にもネットオークションにも真似の出来ないユニークなものである。

一つのコミュニティであり、人の温かな心にも触れられ、社寺門前で手を合わせる謙虚な姿に、自然と目覚めさせてくれる。
そしてこの宵は、Xmasという国民的ビックイベントがある。

家々にはイルミネーションが灯り、クリスマスケーキがテーブルにのせられロウソクが灯される。煙突がなくとも、サンタクロースは子供達にプレゼントを届けてくれる。

小生も幼い頃、枕元に毛糸の靴下を置き、片目を開きながら朝を待ち、眠りについたものである。
イエス・キリストの降誕を知らずにいても、絵本通りのことがして欲しかったのだろうし、両親もXmas商戦を前にして横並びの選択をせざるを得なかった時代だったのだろう。

その洗礼を受けている所為か、小生も教会に向かわないことに何の疑問も抱かず、Xmasディナーショーや赤い衣装をつけたサンタが待っている街灯りの中を歩いている。
翌26日には、昨夜のことを忘れ去ったようで、街なかの商店なども注連縄や門松の正月飾りに一変する。この正月飾りは神式に従い行われているのだが、迎える大晦日には除夜の鐘を聞き、お寺参りを済ませ、初詣のをけら火をまわして帰って来る。
似たような行動が日本全国至る所で行われ、やはり国民的行事となっている。
キリストや仏陀や天照大神は、これを無節操だと思い見ているのだろうか。

それとも、楽しきことよ多かれと見ているのだろうか。

宗教戦争で闘っているよりは、笑いの中に生を全うしている方を望んでいるが、器用に立ち回りすぎの帰来もあり、答えを見失ってはいないかと危惧もする。

「君は何ものぞ」と問われたとき、確たる返答が出来うる核だけは持っていたいものだ。

 社寺の二宗教が矛盾なく定着している日本は、他に例をみない国であるようだ。

一神教の国であった日本に仏教を取り入れ、和合し息づかせた聖徳太子の功績が今も生きていることがわかる。
然しながら、日本におけるXmasは1552年に山口県周防で宣教師が信徒を招いたミサを開いたのが初めで、1900年、明治屋が銀座出店のデモンストレーションで行ったことから、小売店のXmas商戦の必須アイテムとして広がり、国民に定着したものである。
 それ故に、おいそれとは元旦のような祝祭日とはならないのだろうか。

否、祝祭の概念さえも失いつつある今の日本では、単なる休日にしか過ぎない祝祭日は不要なのである。民間信仰の中で息づく個々の祝祭日を持ち、その風物、行事を執り行うのが自然な姿である。

そうこう考えながら、今年も一年が過ぎようとしている。



北野天満宮
http://www.kitanotenmangu.or.jp/news/18.html

聖徳太子謎紀行
http://www.shoto9taishi.com/buddhism/

神社と神道の基礎知識質問集 
http://www.jinja.jp/faq/list.html


日本のクリスマスの歴史
http://www.christmasmuseum.jp/ChristmasHistoryJapan.html



【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5064-141225-12/25

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