桜吹雪があちこちで舞い出した。
気忙しさと寂しさが織り交ざり、複雑な思いである。
先週末は何処もが見頃で賑わっている。洛北原谷の原谷苑、鷹が峰の常照寺、大原の三千院、下鴨の半木(なからぎ)道、洛中では二条城、洛西嵯峨では竜安寺、西山大原野では勝持寺が満開を咲き誇っていたようだ。
週末辺りに遅咲きの「御室桜」が満開かと思いきや、早々と満開の立札が立てられた。
「御室桜」とは、仁和寺にある天然記念物に指定された背丈ほどの桜である。
手に取り花の香りを楽しむ近さに咲いているのだ。
誇り高い寺院の桜でありながら、「わたしゃお多福 御室の桜、はなは低とも人は好く」と詠われ、多くの人達に親しまれ、毎年京の桜見の終盤を飾っている。
御室桜と名のついた「御室」とは、「御座所(おましどころ)」の意で、天皇など高貴な人の居室のことである。それが仁和寺門前一帯の地名となっている。
仁和寺は仁和4年(888)宇多天皇によって創建され、延喜4年(904)宇多法皇の御座所が寺境内に設けられ、法務を執り行う御所とされた。この由縁から門跡寺院の筆頭である仁和寺は別名「御室御所」と呼ばれていた。
きぬかけの径に車を走らせると、車窓に飛び込んでくる「二王門」の印象が強いが、天皇に一番由緒深い地であり、寺院であり、その名を冠した唯一の御室桜は五重塔を背景に眺めるのが絶景である。
しかし、京の桜見の終盤の頃の御室行きは、駐車場待ちと渋滞に根を上げる人も多い。
渋滞混雑を避けたいなら、右京区京北(旧京北町)の常照皇寺に向かうと良い。
北部山間部の故、御室桜が満開の頃に枝垂桜が見頃になっている。
双ケ丘(ならびかおか)から福王子を経て周山街道(国道162号)を走る。梅が畑から五つの集落を超えて進んでいくと、橋を越えて京北の「山国御陵前」のバス停に出くわす。
このバス停から山手に参詣道がある。参詣道の染井吉野の桜並木を登ると、「山門前の紅枝垂桜」の大木が迎えてくれ、「常照皇寺」の山門と長い石段が現れる。
丁度「九重桜」は今満開らしいが、暫くすると「左近桜」が満開となり、やがて「御車(みぐるま)返しの桜」が満開となる。まだまだたっぷりと楽しめるはずた。
先に満開となる九重桜は、都を出た北朝初代光厳天皇にと、皇弟光明天皇が京都御所から移植し、共に手植えされたもので、樹齢630年の古木となっている。高さ10m幹周り3.6m最長枝20mの巨木で、天然記念物に指定されている紅枝垂桜で見事に美しい花が咲く。しかし、その幹は老木ゆえ痛々しい限りの姿である。まるで渾身の力で咲かせているように見える。また、その世継ぎの桜も老木の傍に立派に成長し花を咲かせる。
数日から1週間遅れて、同じ庭園で満開となるのが、残る二本の桜である。
常照皇寺の「左近桜」は京都御所にある「左近の桜」が親木である故、そう呼称されている。江戸時代に根分けされ御所より移植されたものである。
背丈が大きく伸びた大木になっていて、九重桜と本堂との間に配置されている。
この庭にあって最後に咲くのが、勅使門に出迎えるように植えられている「御車返しの桜」である。
後水尾天皇が訪れたとき、あまりのその美しさに感動して、御車(みくるま)を返したことから命名されたものだとある。この桜には一重と八重の花が同じ枝についている。是非に足を伸ばして訪れる価値は充分ある。
北山杉の美林を駆け抜けて、山桜、山つつじの色合いを楽しみならのドライブにいかがだろう。美山の蕎麦も旨い。
この地は川端康成の小説「古都」の舞台でもある。本を片手に散策するも良い。
旧御室御所・総本山仁和寺
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/
常照皇寺フォト (totoromm京都の路)
http://www.photohighway.co.jp/AlbumTop.asp?key=733713&un=59962&m=0
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
気忙しさと寂しさが織り交ざり、複雑な思いである。
先週末は何処もが見頃で賑わっている。洛北原谷の原谷苑、鷹が峰の常照寺、大原の三千院、下鴨の半木(なからぎ)道、洛中では二条城、洛西嵯峨では竜安寺、西山大原野では勝持寺が満開を咲き誇っていたようだ。
週末辺りに遅咲きの「御室桜」が満開かと思いきや、早々と満開の立札が立てられた。
「御室桜」とは、仁和寺にある天然記念物に指定された背丈ほどの桜である。
手に取り花の香りを楽しむ近さに咲いているのだ。
誇り高い寺院の桜でありながら、「わたしゃお多福 御室の桜、はなは低とも人は好く」と詠われ、多くの人達に親しまれ、毎年京の桜見の終盤を飾っている。
御室桜と名のついた「御室」とは、「御座所(おましどころ)」の意で、天皇など高貴な人の居室のことである。それが仁和寺門前一帯の地名となっている。
仁和寺は仁和4年(888)宇多天皇によって創建され、延喜4年(904)宇多法皇の御座所が寺境内に設けられ、法務を執り行う御所とされた。この由縁から門跡寺院の筆頭である仁和寺は別名「御室御所」と呼ばれていた。
きぬかけの径に車を走らせると、車窓に飛び込んでくる「二王門」の印象が強いが、天皇に一番由緒深い地であり、寺院であり、その名を冠した唯一の御室桜は五重塔を背景に眺めるのが絶景である。
しかし、京の桜見の終盤の頃の御室行きは、駐車場待ちと渋滞に根を上げる人も多い。
渋滞混雑を避けたいなら、右京区京北(旧京北町)の常照皇寺に向かうと良い。
北部山間部の故、御室桜が満開の頃に枝垂桜が見頃になっている。
双ケ丘(ならびかおか)から福王子を経て周山街道(国道162号)を走る。梅が畑から五つの集落を超えて進んでいくと、橋を越えて京北の「山国御陵前」のバス停に出くわす。
このバス停から山手に参詣道がある。参詣道の染井吉野の桜並木を登ると、「山門前の紅枝垂桜」の大木が迎えてくれ、「常照皇寺」の山門と長い石段が現れる。
丁度「九重桜」は今満開らしいが、暫くすると「左近桜」が満開となり、やがて「御車(みぐるま)返しの桜」が満開となる。まだまだたっぷりと楽しめるはずた。
先に満開となる九重桜は、都を出た北朝初代光厳天皇にと、皇弟光明天皇が京都御所から移植し、共に手植えされたもので、樹齢630年の古木となっている。高さ10m幹周り3.6m最長枝20mの巨木で、天然記念物に指定されている紅枝垂桜で見事に美しい花が咲く。しかし、その幹は老木ゆえ痛々しい限りの姿である。まるで渾身の力で咲かせているように見える。また、その世継ぎの桜も老木の傍に立派に成長し花を咲かせる。
数日から1週間遅れて、同じ庭園で満開となるのが、残る二本の桜である。
常照皇寺の「左近桜」は京都御所にある「左近の桜」が親木である故、そう呼称されている。江戸時代に根分けされ御所より移植されたものである。
背丈が大きく伸びた大木になっていて、九重桜と本堂との間に配置されている。
この庭にあって最後に咲くのが、勅使門に出迎えるように植えられている「御車返しの桜」である。
後水尾天皇が訪れたとき、あまりのその美しさに感動して、御車(みくるま)を返したことから命名されたものだとある。この桜には一重と八重の花が同じ枝についている。是非に足を伸ばして訪れる価値は充分ある。
北山杉の美林を駆け抜けて、山桜、山つつじの色合いを楽しみならのドライブにいかがだろう。美山の蕎麦も旨い。
この地は川端康成の小説「古都」の舞台でもある。本を片手に散策するも良い。
旧御室御所・総本山仁和寺
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/
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5167-150409-4月
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