祇園祭大好き

うんちくタレてこそお祭り
 神輿町に縁があり、京都の町ではしゃぎまわってきたベテラン記者でも、知っている範囲と、「あれ何したはんやろ…」と、わからん(祇園祭に関わっている人は多すぎて、というか、よその町でやっていることは、よ~わかりませんのや!)ことをわからんなりに、おばぁはんやご近所さんに訊いて「はは~ん」と思ったことを 「まとめ」てみました。
祇園祭 宵山 : 宵山の駒形提灯  ま、何にせよ、どないしたかて京都の人は祇園祭が大好きです。特に祇園の氏子圏の町衆(「ちょうしゅう」と言いますねん)は、そうです。また、そのころの京都が好きなよそさんも、み~んな祇園祭が大好きですね。
 鱧が好きな人も、鯖寿司棒で食べる人も、鮎焼いたら10は(「とうは」…と言います)食べはる人も、みんなみんな祇園祭が大好きのようです。
 時代祭も、葵祭もえぇお祭りです。しかし、御霊会(※注)は、何といっても祇園祭です。祇園祭を楽しむことは、無病息災、疫病退散にして豊かな生きる知恵を皆で共有する術であります。だからこそ、京都は町であるのです。なんてえらそうなことを言っていますが、やはり浴衣を着た彼女とうんちくタレながら、交通規制された四条通を歩くのは気分がいいし、たまにしか見られない、町家の中や町衆の持っている素晴らしい伝統工芸などを見せてもらえるし、無言参り(→SEE)の舞妓はんはやっぱりカワイイし…。

京の町衆の祭り

町衆であって公家武士百姓ではない
祇園祭  京都の人がワクワクして楽しみにしている祭…といえば、何と言っても祇園祭ということになります。何せ、葵祭も、時代祭も市民参加型…ではありますが、祇園祭は氏子=町衆の祭りです。言ってはナンですが、民間の祭りであって、政とちょっと趣が違う…ということなのです。現在、全国に山車や、地車、そして神輿がありますが、そんな町衆の祭は、荒ぶる神への畏怖、そして疫病退散、無病息災という町衆の願いを祭りという形で表現していく、都市型の祭りは、すべて祇園祭がその原型といっていいでしょう。田植え祭りや豊作祭りとは、ちょっと(いやだいぶん)毛色が違う…ということも、ピンと来ていただければ嬉しいです。

※注 御霊会
祇園祭は、古くは祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年 (869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数-66カ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って災厄の除去を祈ったことにはじまります。

そもそも

祇園祭のスタートって?
剣鉾  それでは、祇園祭がどういう風に今の形になっていったか? を、ちょっと見てみましょう。祇園祭は平安時代に生まれた祭です。貞観11年(869)、大飢饉が京の都を襲います。これは、牛頭天王(インドの神様)の祟りである…(今では素戔嗚尊と垂迹しています)と、当時の国の数である66カ国に合わせて、66本の鉾を立てて、祇園社から神泉苑へ運び、その泉に流した…のが始まりと言われています。
 ここでいう鉾は、今の鉾とは違い6メートルほどの棒状で先が諸刃の剣になった、まさに鉾です。これは京都の各神社の祭り(藤森神社、粟田神社、滝尾神社、西院春日神社…)で、神輿とともに見ることが今でも出来ます。

バージョンアップ

応仁の乱で中止したけれど…。
町衆の力で復興した、祇園祭。
 祇園祭は、応仁の乱(京都の人が言う「この間の戦争」ですな…)で中止になってしまいます。が、しかし、祇園祭は町衆の力で1500年に復興されました。
 毎年賑やかになっていく鉾の巡行に対し、1533年、時の権力者が鉾を動かしてはいけないというお達しを出します。ところが「神事これなきとも、山鉾を渡したし」と、自分たちの力=町衆の力で鉾を出し始めます。これまで祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれていた祭事が、祇園祭として町衆の祭りという側面を持ち始めるのが、この時です。鉾が巡行できないように、道にしめ縄を張って結界をつくったようですが、それを切って鉾は進んでいった…そう、そんな出来事の名残が、四条麩屋町の角で、長刀鉾の稚児がしめ縄を切ることで鉾の巡行の始まり…なのです。

ふたつある?

意外に知らない、祇園祭の全容。
祇園祭 夏越祓い : 茅の輪くぐり  先ほど「神事これなき…」と申しましたが、それ以来、祇園祭はふたつの側面を持つようになり発展していきます。いわゆる山鉾町における町衆の山鉾巡行の祭。そして八坂神社の主宰されている神が町を練り巡る…神輿の祭です。このふたつが組み合わさって7月1日の吉符入から31日の夏越祓(なごしのはらい)まで1カ月間 続きます。
 7月17日の朝から行われる山鉾巡行。そしてその前々日の宵々山、前日の宵山が有名ですが、17日の夜に八坂神社から出る神輿の巡行もまた祗園町衆の豪快な「粋」な魅力にあふれています。

キュウリ食べません

祇園祭にみる、京都の町衆のしきたり…
 祇園祭は7月1日の吉符入から31日の夏越祓まで…と書きましたが、その間、山鉾町も祇園町の方もキュウリを食べません。 それはなぜかというと、キュウリを輪切りにすると、その切り口が八坂神社の神紋に似ている…というのことなのです。家に家紋があるように、神社にも神紋があります。で、それと似ている…という理由で、京都の町衆、祇園祭に関わる私たちはキュウリを食べません。それだけ祭りにも、八坂神社にも、崇敬の念をもっているということなのです。
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