5月に旬というと梅の実が思いつく。旬といえどその実を食べることはできない。
幼少の頃、たわわに実る青梅をもぎ取りかじり食べた。
腹を刺すような痛みは今も忘れられない。
梅の名所の木々には青く、ところどころ薄黄色くなった青梅が鈴なりになっている。
新緑とあいまって見逃すことも多いが、視線を止めると、目を凝らさずして否応なくそれを見つけることができる。
北野天満宮では、梅の実採取は5月下旬から6月上旬に1週間かけて行われる。
この梅は正月の縁起物である「大福梅」として授与されることは夙に有名だ。
北野の天神さんの梅苑は2000本の梅の木があり、毎年3tもの収穫が見込まれている。
「花梅」の観梅にとどまることなく、京都では「実梅」の調理にも歴史がある。
大徳寺境内大慈院にある「精進鉄鉢料理の店 泉仙」のお膳には「梅の甘露煮のてんぷら」がのっている。
さっくりとした衣の中から現れる肉厚の梅は、蜜の味とフルーティーな風味を運んでくれる。
安堵を覚えるのだ。勿論、ここの名物料理である。
京料理には 栗や金柑、百合根などの甘露煮がよく登場するが、梅もある。
梅干しを作るには手間隙が掛かるが、甘露煮には新鮮な青梅があれば比較的手軽にできる。
まず青梅の一粒づつに穴を開けるのだ。穴の大きさと数が問題になる。小さな穴を数多く開けてやると酸味が抜けやすくなるからだ。
火を通し、流し水で酸味を取り、梅と同量の砂糖で煮汁が飴色になるまで、弱火でじっくり煮込めば出来上がりだ。小生が作っても弁当屋程度の甘露煮にはなるが、京料理屋の甘露煮の味には程遠い。
この甘露煮を青梅でなく、紀州産の丹精込めて漬けられた梅干に、わざわざ100個の穴を開け、湯と水で7日間かけて塩分を抜き取り、ふっくらと戻った梅を使っているところがある。
平安神宮近くの「山秀(左京区聖護院東町)」だ。
ずっしり重みを感じる甘露煮はスッキリした甘味をもたらしている。
そもそも、副食となったのが江戸時代である梅干は、武家にとっては解毒剤であった。
鎌倉時代には禅宗の僧侶が食していたものの、平安時代には、貴族のための漢方医薬として中国より渡来したものであった。
村上天皇(第62代946~967年)は白梅と昆布入りのお茶で病気が平癒したという伝説がある。
ここに言う「白梅」がどうやら「梅干」のようである。
中国後魏(386〜534)時代の実用農書『斉民要術』に実梅の製法が記されているとある。
このうち「烏梅」は薬用で、薫製にした黒い梅の実のこと、「白梅」が梅干し、「蜜梅」が蜜漬けのことであるらしい。
「烏梅(うばい)」は奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰った薬用品であった。
ともあれ、最近の小生は青梅をかじることはないが、「梅リキュール」を好んで飲んでいる。
中でも、京都に根ざした酒蔵である「招徳酒造」の「梅リキュール」を贔屓にしている。
ここの梅は京都綾部の和木町産の「鶯宿梅」を木なり熟成させ、純米酒で仕込んである。
その為か、華やかに香味がよく、後味かすっきりしている。京料理に限らずフレンチの食前酒にもぴったりだと思っている。
また、ポケットには「家傳京飴 祇園小石」の「梅酒にて候」を忍ばせている。「紅梅あめ」よりも好きだ。芳醇な風味と喉に優しい味わいが、たった367円でいただけるのだ。
北野天満宮 梅ニュース
http://www.kitanotenmangu.or.jp/ume/info.html#001
梅干/日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/08_umeboshi.html
「家傳京飴 祇園小石」
http://www.g-koisi.com/
招徳酒造
http://www.shoutoku.co.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
幼少の頃、たわわに実る青梅をもぎ取りかじり食べた。
腹を刺すような痛みは今も忘れられない。
梅の名所の木々には青く、ところどころ薄黄色くなった青梅が鈴なりになっている。
新緑とあいまって見逃すことも多いが、視線を止めると、目を凝らさずして否応なくそれを見つけることができる。
北野天満宮では、梅の実採取は5月下旬から6月上旬に1週間かけて行われる。
この梅は正月の縁起物である「大福梅」として授与されることは夙に有名だ。
北野の天神さんの梅苑は2000本の梅の木があり、毎年3tもの収穫が見込まれている。
「花梅」の観梅にとどまることなく、京都では「実梅」の調理にも歴史がある。
大徳寺境内大慈院にある「精進鉄鉢料理の店 泉仙」のお膳には「梅の甘露煮のてんぷら」がのっている。
さっくりとした衣の中から現れる肉厚の梅は、蜜の味とフルーティーな風味を運んでくれる。
安堵を覚えるのだ。勿論、ここの名物料理である。
京料理には 栗や金柑、百合根などの甘露煮がよく登場するが、梅もある。
梅干しを作るには手間隙が掛かるが、甘露煮には新鮮な青梅があれば比較的手軽にできる。
まず青梅の一粒づつに穴を開けるのだ。穴の大きさと数が問題になる。小さな穴を数多く開けてやると酸味が抜けやすくなるからだ。
火を通し、流し水で酸味を取り、梅と同量の砂糖で煮汁が飴色になるまで、弱火でじっくり煮込めば出来上がりだ。小生が作っても弁当屋程度の甘露煮にはなるが、京料理屋の甘露煮の味には程遠い。
この甘露煮を青梅でなく、紀州産の丹精込めて漬けられた梅干に、わざわざ100個の穴を開け、湯と水で7日間かけて塩分を抜き取り、ふっくらと戻った梅を使っているところがある。
平安神宮近くの「山秀(左京区聖護院東町)」だ。
ずっしり重みを感じる甘露煮はスッキリした甘味をもたらしている。
そもそも、副食となったのが江戸時代である梅干は、武家にとっては解毒剤であった。
鎌倉時代には禅宗の僧侶が食していたものの、平安時代には、貴族のための漢方医薬として中国より渡来したものであった。
村上天皇(第62代946~967年)は白梅と昆布入りのお茶で病気が平癒したという伝説がある。
ここに言う「白梅」がどうやら「梅干」のようである。
中国後魏(386〜534)時代の実用農書『斉民要術』に実梅の製法が記されているとある。
このうち「烏梅」は薬用で、薫製にした黒い梅の実のこと、「白梅」が梅干し、「蜜梅」が蜜漬けのことであるらしい。
「烏梅(うばい)」は奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰った薬用品であった。
ともあれ、最近の小生は青梅をかじることはないが、「梅リキュール」を好んで飲んでいる。
中でも、京都に根ざした酒蔵である「招徳酒造」の「梅リキュール」を贔屓にしている。
ここの梅は京都綾部の和木町産の「鶯宿梅」を木なり熟成させ、純米酒で仕込んである。
その為か、華やかに香味がよく、後味かすっきりしている。京料理に限らずフレンチの食前酒にもぴったりだと思っている。
また、ポケットには「家傳京飴 祇園小石」の「梅酒にて候」を忍ばせている。「紅梅あめ」よりも好きだ。芳醇な風味と喉に優しい味わいが、たった367円でいただけるのだ。
北野天満宮 梅ニュース
http://www.kitanotenmangu.or.jp/ume/info.html#001
梅干/日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/08_umeboshi.html
「家傳京飴 祇園小石」
http://www.g-koisi.com/
招徳酒造
http://www.shoutoku.co.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5033-060523-6月
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