墨書された白封筒がデスクの上に置かれている。
宛名の文字の表情から、裏返さなくても差出人がわかる。
伸び伸びと大書された筆の運びの中に、デリケートさを垣間見せつつ堂々としている。
封を開けた。出版パーティの招待状だ。
「つっぱり野郎とアーティストたちのロックパラダイス MOJO WEST (第三書館発刊)」を、若き日の落とし前として書いた絵描きの回顧録である。
声を聞きたくなったので、すぐさま電話をする。
相も変わらず、飾り気のないぶっきらぼーな低い声で名前も名乗らない。
一瞬、まるで組事務所に電話をしたような錯覚に落ちいる。
こちらが名乗ろうとすると多少トーンが上がり、「何の用や」だ。
小生は「いくでぇ。声が聞きたかっただけや、ほなまた。」 と、電話を置く。
この差出人は一ヶ月ほど前の新聞記事に、「京都市動物園、左京の男性描く」というニュースで取り上げられていた。
とうとう動物園の壁まで征覇したかと、思わず笑みを零したものだった。
あの新聞記事でも「画家」とも「絵師」とも肩書きには触れていない。
「左京の男性描く」となっているのも、彼の美学哲学がそう注文させたことは容易に察しがつく。
この調子で描き続けていくと、この男「左京の男性 木村英輝」は、京都の風景をきっと塗り変えていくことになるだろう。
動物をど迫力の筆使いで描く壁画といえば、「あの画か!」と思われる方もおられよう。
思い起こすと、2001年に木村英輝は筆を取った。
八瀬にサイのファミリー(ダイニングバー・モジョ)、木屋町にスマイリングエレファン(THE RIVERORIENTAL)、北山にシンギングパンサー(MOJO WEST)、フライングタートル(ル・アンジェ教会)。
その後も描き続け3年目を過ぎた頃には襖絵までも描いてしまった。
自宅の襖ではない、京都・粟田口 「天台宗 青蓮院門跡 華頂殿」の襖である。
「蓮-青の幻想・生命賛歌・極楽浄土」と題した襖絵60面が「三十六歌仙額絵」とともに並んでいる。因みに宸殿の襖絵は重要文化財「障壁画 濱松図」である。
その後の木村英輝はもう止まれない。毎月毎月、どう考えても壁と見ればの勢いなのだ。京都に留まらず銀座、汐留など、日本はおろか韓国済州島にも描いたという話まで聞こえてきた。
その元気さは小生までもご機嫌にしてくれている。
彼は「美術館に展示される絵よりも、街に輝くポップな絵を描くだけ」と言い放つ。
兎に角面白いことを格好良くやる。これが彼の筋である。若いときのままのやり方を通しているのだ。羨ましい限りだ。ロッカーでイベントプロデューサーの絵描きへの転身万歳。
折りしも、芸術の秋の京都で史上初の特別展覧会が開かれる。
安土桃山時代に画壇の頂点に立った狩野永徳の障壁画で、国宝を含む代表作が一同に公開されるのだ。「天下をとった絵師 京都に見参!」という文字が冠されている。
この二人、木村英輝と狩野永徳のお陰で、小生の秋の行楽のメニュープランが一つ増やすことができるというものだ。
岡崎から歩き出し、まず京都市動物園の類人猿舎壁面の青いゴリラ(Gorilla’s daily life)を、次に粟田口に向かい、青蓮院門跡の木村英輝の襖絵(蓮-青の 幻想)と相阿弥作の庭。その次は東山七条京都国立博物館に移動、史上初の大 回顧展「特別展覧会 狩野永徳(1543~1590)」(開催10/16~)の豪壮華麗な国宝 金碧障屏画を鑑賞、京都生まれの永徳芸術の神髄に迫る。
ロック絵描き木村英輝と怪物絵師狩野永徳の描く障壁画の迫力を見比べたい。
伝統と創生の風流のせめぎ合いが見られる秋になりそうだ。
京都市動物園、左京の男性描く (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007082800028&genre=K1&area=K1D
天台宗 青蓮院門跡
http://www.shorenin.com/temple/
木村英輝:ロック黎明期を駆け抜けた男 ki-yan
http://www.ki-yan.com/top.html
特別展覧会 狩野永徳 京都国立博物館
http://eitoku.exh.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
宛名の文字の表情から、裏返さなくても差出人がわかる。
伸び伸びと大書された筆の運びの中に、デリケートさを垣間見せつつ堂々としている。
封を開けた。出版パーティの招待状だ。
「つっぱり野郎とアーティストたちのロックパラダイス MOJO WEST (第三書館発刊)」を、若き日の落とし前として書いた絵描きの回顧録である。
声を聞きたくなったので、すぐさま電話をする。
相も変わらず、飾り気のないぶっきらぼーな低い声で名前も名乗らない。
一瞬、まるで組事務所に電話をしたような錯覚に落ちいる。
こちらが名乗ろうとすると多少トーンが上がり、「何の用や」だ。
小生は「いくでぇ。声が聞きたかっただけや、ほなまた。」 と、電話を置く。
この差出人は一ヶ月ほど前の新聞記事に、「京都市動物園、左京の男性描く」というニュースで取り上げられていた。
とうとう動物園の壁まで征覇したかと、思わず笑みを零したものだった。
あの新聞記事でも「画家」とも「絵師」とも肩書きには触れていない。
「左京の男性描く」となっているのも、彼の美学哲学がそう注文させたことは容易に察しがつく。
この調子で描き続けていくと、この男「左京の男性 木村英輝」は、京都の風景をきっと塗り変えていくことになるだろう。
動物をど迫力の筆使いで描く壁画といえば、「あの画か!」と思われる方もおられよう。
思い起こすと、2001年に木村英輝は筆を取った。
八瀬にサイのファミリー(ダイニングバー・モジョ)、木屋町にスマイリングエレファン(THE RIVERORIENTAL)、北山にシンギングパンサー(MOJO WEST)、フライングタートル(ル・アンジェ教会)。
その後も描き続け3年目を過ぎた頃には襖絵までも描いてしまった。
自宅の襖ではない、京都・粟田口 「天台宗 青蓮院門跡 華頂殿」の襖である。
「蓮-青の幻想・生命賛歌・極楽浄土」と題した襖絵60面が「三十六歌仙額絵」とともに並んでいる。因みに宸殿の襖絵は重要文化財「障壁画 濱松図」である。
その後の木村英輝はもう止まれない。毎月毎月、どう考えても壁と見ればの勢いなのだ。京都に留まらず銀座、汐留など、日本はおろか韓国済州島にも描いたという話まで聞こえてきた。
その元気さは小生までもご機嫌にしてくれている。
彼は「美術館に展示される絵よりも、街に輝くポップな絵を描くだけ」と言い放つ。
兎に角面白いことを格好良くやる。これが彼の筋である。若いときのままのやり方を通しているのだ。羨ましい限りだ。ロッカーでイベントプロデューサーの絵描きへの転身万歳。
折りしも、芸術の秋の京都で史上初の特別展覧会が開かれる。
安土桃山時代に画壇の頂点に立った狩野永徳の障壁画で、国宝を含む代表作が一同に公開されるのだ。「天下をとった絵師 京都に見参!」という文字が冠されている。
この二人、木村英輝と狩野永徳のお陰で、小生の秋の行楽のメニュープランが一つ増やすことができるというものだ。
岡崎から歩き出し、まず京都市動物園の類人猿舎壁面の青いゴリラ(Gorilla’s daily life)を、次に粟田口に向かい、青蓮院門跡の木村英輝の襖絵(蓮-青の 幻想)と相阿弥作の庭。その次は東山七条京都国立博物館に移動、史上初の大 回顧展「特別展覧会 狩野永徳(1543~1590)」(開催10/16~)の豪壮華麗な国宝 金碧障屏画を鑑賞、京都生まれの永徳芸術の神髄に迫る。
ロック絵描き木村英輝と怪物絵師狩野永徳の描く障壁画の迫力を見比べたい。
伝統と創生の風流のせめぎ合いが見られる秋になりそうだ。
京都市動物園、左京の男性描く (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007082800028&genre=K1&area=K1D
天台宗 青蓮院門跡
http://www.shorenin.com/temple/
木村英輝:ロック黎明期を駆け抜けた男 ki-yan
http://www.ki-yan.com/top.html
特別展覧会 狩野永徳 京都国立博物館
http://eitoku.exh.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5068-071002-秋
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