連綿と続く民間信仰の不思議

地蔵盆 by 五所光一郎

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お盆休みあけ後の24日は、地蔵会(祭)で地蔵菩薩の縁日である。
これを「地蔵盆」と我々は呼び慣わしている。

小生の勤め先のオフィスにも、町内会からお菓子が配られている。
「 町内のお地蔵さんのお下がりです。」との声が聞こえてきた。

京のど真ん中のオフィス街の出来事である。
地上げされビル街と化した町内の道路端にもお地蔵さんは祀られている。

そして、子供達がほぼ住んでいないにも関わらず、町内に住む数少ない町衆の手で地蔵盆が継承されているのが京都なのだ。

山鉾巡行のように保存会があるわけでもないし、一寺院一宗派の行事でもなく、また、行政の予算支援があるわけでもなく、更に、観光収入の恩恵を受ける祭事でもないわけだが、脈々と各町内では行われている。

地蔵盆」というと、小生にとっては幼少の頃の夏の最後の楽しみであった。
お地蔵さんの前には、俄か仕立ての木組み柱のお堂が親達の手で組み立てられた。
お地蔵さんをみんなの手で洗い清めると、真新しい前垂れを着せ、花などを飾りつけ安置した。

四畳半位のお堂の軒部分には子供の名前が書かれた提灯が吊るされていた。

子供が生まれると提灯が奉納され、ひとつづつ増えていく。男子は白地、女子は赤地色の提灯で、いずれの提灯にも記されていた、側面の卍の柄が今も鮮明に残っている。

提灯の正面に書かれてあった「延命地蔵菩薩」という漢字は、毎年教えられても覚えられなかった。

ほの暗い提灯の下で聞かされる怪談話や昔話は、既に聞かされ展開を知っていても、また例年のあの話口調で聞きたくて、楽しみだったものだ。
お地蔵さんの前には、駄菓子、果物、季節の野菜など沢山のお供え物が飾られていた。

目を瞑る(つむる)と、マクワの黄、ホオヅキの橙、瓜の緑、大根の白、唐辛子の赤、艶かな茄子の紺、次々に浮かぶ色々が、蚊取り線香のゆらめく煙とともに蘇ってくる。

お地蔵さんにお詣りすると、午前午後の二回に、供養菓子のお下がりがおやつとして振舞われた。菓子欲しさにいやな子供がいても集まってきた時代だった。

お昼は持ち寄られた手料理での昼食までも用意されていた。
近所の子供が会しての遊び場となる賑わいは、現在のゲームセンター並みである。
しかし、ゲーム機との一対一の遊びなどなく、人との関わりの中での遊びばかりであった。

将棋に五目並べ、おじゃみに双六、しりとりや歌合戦に福引、金魚すくいにヨーヨー釣り、大はしゃぎで額に汗しながら夢中になっていた。
五メートルにも及ぶ長さの数珠をみんなで持ち、お坊さんの読経にあわせ順々に廻す「百万遍大数珠回し(繰り)」の年季の入った数珠の古さも、今にも落っこちそうで落っこちず、息を吹きかけると火花を散らす線香花火のとろけそうな火の玉も、忘れることが出来ない。

そんな地蔵盆が過ぎると、手のつけられていない宿題を仕上げる1週間となっていたものだ。
デジタルなものに囲まれた現代生活の中で、失われつつあるアナログなコミュニティにいきおい思いが及ぶ。昨今の虐待事件のニュースに接するとき、親が子を思い、連綿と受け継いでいる地蔵盆を思う。

この街に根付いた伝統行事が、単なるノスタルジーとは聞き流せないのである。

因みに、「地蔵菩薩は、親より先になくなり、賽の河原で苦しんでいる子供を、救ってくださる。」と、古くより語り継がれている。その加護を願う習わしは、道祖神と相まってあちこちの町内に祠(ほこら)が建てられ祀られている。つまり、一宗教に留まらない民間信仰として長い歴史を持っている。

京都の町々で継承されているものに接する度、効率や利便性という競争に生きている日々に反省を促され、置き忘れてきたものに気づかされるのは小生だけではあるまい。

ナンマイダー ナンマイダー。



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