ひたすら厄除けを願う

菖蒲の節句とちまき by 五所光一郎

端午の節句といえば男子。
男子とは、武将。
武将の象徴といえば、これ甲冑である。
お公家さんの京都には鎧は不似合いと思いきや、どっこい、立派な有職の兜が家々には飾られている。
平安時代の鎧兜は男子の晴れ着であったようだ。義経は宮中に出向く度に異なる鎧兜に身を包んでいたと記されている。
公家や貴族は常に烏帽子に衣冠束帯であるが、宮中にて物々しき鎧兜は全く縁なし、というわけではなかったようである。

端午の節句は、中国から取り入れられ、邪気(じゃき)を祓うために菖蒲(しょうぶ)を飾り、よもぎなどを臣下に配っていた。これが始められたのは奈良時代と言われている。
季節の節目である五節句のひとつで、とりわけ身の穢れを祓う重要な厄祓い行事として執り行われた。
貴族達は野山に出て薬草を摘み、菖蒲湯や菖蒲酒で穢れを祓い健康延命を願い、馬から矢を射たりしての練武を催し、悪鬼の退治を行っていたと聞く。
このような行事は「菖蒲の節句」と呼ばれていた。

その後、「菖蒲の節句」に、鎧兜を飾るようになったのは鎌倉時代で、武士達は「菖蒲の節句」と「尚武<武をたっとぶ>」をかけ、朝廷公家社会の行事をアレンジしたようだ。
勿論、庶民にこの行事が広まるのは江戸時代になってからである。
男子が誕生すると、その子の身を守り、逞しく成長するよう祈願して初節句を祝うのは江戸期で、「鯉転じて龍となる」の中国故事に因み、男子栄達を願い、鯉幟(こいのぼり)が戸外の風に泳ぐようになったのも、その頃である。


端午の節句につきものの「柏餅(かしわもち)」も江戸時代から供えられた代表的な節句の和菓子である。
さて、柏葉の表を外にして包まれたものの中には味噌餡、裏を外に包まれたものの中はこし餡であることにお気づきであったろうか。
柏葉の表が外の白味噌餡の方が古くからあり、平安時代から伝わる、お正月に頂く「葩餅(はなびらもち)」に原型があると言われている。
もっぱら柏餅は江戸で持て囃されたが、京都では古くから(ちまき)がお決まりの節句菓子である。
江戸以前の端午の節句には、柏餅よりも先にが供えられていたのだ。
への信仰を紐解いてみると、端午の節句には健康を祈願をする習俗が古くから伝わる。
更にルーツを探ると、中国は紀元前楚の時代の政治家屈原は失脚し、汨羅(べきら)という川に身を投じた。その死をいたんだ民衆は、太鼓を打ち鳴らし魚を脅し、遺体に食いつかないようを投げたとある。それ以来、国の安泰、厄除け祈願の供え物、飾り物となった。
「祗園祭の」を門口に吊るして、厄難消除を祈願する護符も、同様の信仰に通じているのだ。
つまり、鎧兜も菖蒲もも災厄を祓うお守りなのである。

幼少の頃、飾られた大将人形の前で父が新聞紙を折って、兜の折り紙を教えてくれたが、さて今折れるだろうか。子供達にも教えなかったし、あれ以来久しく折ったことがないのだ。


五月人形 (京人形商工業組合)
http://www.kyo-ningyo.com/kyoningyo/gogatu.html

道喜 (デジスタイル)
http://www.digistyle-kyoto.com/hyakumikai/hyakumi_67.htm

和菓子レシピ ちまきの作り方 (甘春堂)
http://www.kanshundo.co.jp/sweet/tango/makechimaki.htm

【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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