床の文字に隠微な期待感を抱かせた通り

かも川談義 / 納涼床 by 五所光一郎

先週24日で「鴨川をどり」も今年の幕を閉じ、京の四つの花街の春が終わった。
鴨川をどり」が済むと、「先斗町」を中心として鴨川縁の町々は「夕涼み」の本番となる。それは「納涼床川床)」である。

いやはや、フリガナを打たねばならないことを忘れている。
「ぽんとちょう」「のうりょうゆか(かわゆか)」と読んでいただけたであろうか。
誰もがお目にかかる漢字ではあるが、学校では教わらないので、容易く読めるものではない。「お座敷小唄」という流行歌が流れていた頃に、口ずさんだ世代の方なら破裂音の入る難解な「先斗町(ぽんとちょう)」を読める可能性はあるかもしれない。

よくよく考えてみると、小生は「先斗町(ぽんとちょう)」という文字を今でも読んではいない。
この文字を図柄として覚えていて、「ぽんとちょう」と発声しているだけなのだ。
「床(ゆか)」に至っては、音は発していたが、漢字が読めなかった。
大学生の頃であったと記憶するが、先斗町のお茶屋さんの一角に出されていた札を見つけ、「床(とこ)あります」と声を出して読んで、ガールフレンドに失笑された苦い思い出があるぐらいである。

小生に大人の色街を垣間見させ、ほのかに隠微な期待感を抱かせた歌舞練場から四条通までの南北に走る町を、国語学者、新村 出博士は、「先斗町 袖すりあふも春の夜の 他生の縁と なつかしみつゝ」と、詠われている。石畳が敷かれ紅殻格子のお茶屋などが並ぶ極めて細い通りは、先斗町独特の京風情を持っている。

更に、先斗町と木屋町通との東西の路地の数は多く、その番号と一緒に、「× 通りぬけできまへん。」「↑ 通り抜け出来ます。」、と記されている。
その路地の狭さや暗さ、老朽化した壁や天井も、別世界へのトンネルのように思え、なぜか期待感と不安感を同時に高揚させてくれている。

先斗町の東側は鴨川沿いに建物の軒が隙間なく並び、千鳥の紋の入った提灯は風情の足し算である今にも、「こんばんは、おにいさん」と、声を掛けられそうだ。
京都において、芸舞妓さんは決して「社長さん」などとは声をかけない。「おにいさん」なのだ。

その先斗町の通りに面した東の戸を開け進んでいくと、座敷と廊下があり、更に先には鴨川が見え、間を繋いでいるのが木組みの高床であり、その下は「みそそぎ川」である。
いずれの川も、穏やかに緩やかに、きらめきながら流れている。
昭和のはじめ頃は、床や河川敷を「新内流し」が声掛けを待って、三味の音(しゃみのね)で深夜まで流していたと聞く。

夕涼みの機会に、納涼床界隈の町の歴史をたどり、床遊び談義に興じるのも楽しいものである。話の種は尽きないほどにある。おいおい触れてみたい。


京都鴨川納涼床協同組合
http://www.kyoto-yuka.com

【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5093-070529-6/1

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