梅の花が満開となり桜の蕾が膨らみ出すと、日々の緩み出した空気が肌で感じられるようになる。
部屋の中に居るより外気が恋しくなって、宛てなく小路を歩きだしてしまう。
見慣れた通りをブラブラ歩くだけでも、普段の目線を少し上下に変えてディティールを気にしてみると、たちまち歴史散歩になり、美術工芸散歩になる。そして、街そのものが劇場であることに気づく。
河原町通界隈の繁華なところを歩いていたら、「坂本竜馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑に出会った。両名が暗殺された「近江屋」の面影はない。その跡地には旅行会社があり、隣地との境界近くに石碑だけが残っている。その背後には海外旅行のパンフレットがラックに入り置かれている。これはとても滑稽だ。
河原町通を挟んだ丁度その東向かい側にある「中岡慎太郎寓居跡」の石碑は、現在はあぶらとり紙「象」さんの営業中の看板と肩を並べていたが、地面には仕切り枠が設けられ、いくばくかの配慮が感じられる。
繁華街で、歴史が現在生活者と共存し、共生することの難しさを感じる。
更に土佐藩にまつわるところを探せば、木屋町通に出て北に向うと立誠小学校跡前には「土佐藩邸跡」、更に北へ行くと「酢屋」、「池田屋騒動の碑」と続く。
勤王志士と新選組との間の、騒然とした幕末争乱期の様子が思い浮かんでくる。
京都はどこを歩いても数多くの石標を目に留めることができる。石標の数だけのドラマが各々に展開していると考えるだけで気が遠くなるほどである。
同じ河原町界隈であっても、時代が変わると背景、シーンは一変する。
「維新の道」は「お土居の道」となり、「東京極大路を外れる鴨の河原」へと遡るのだ。
自分の瞑想ひとつで、タイムトンネルを縦横無尽に駆け巡り、地の縁(えにし)と、其処に生きた人の体温を感じ取ることが出来るような気がする。
それには、必要なものがある。
町家の意匠や界隈の風光の有り様だ。
無粋なものは排除したくなる。
骨董市などに出かけ、在りし日の時代の断片に触れ、その時代の小道具や、代表的な意匠を持つモノを手に入れたくなるのも、その時代の価値を共有し、本物に同化したい欲求なのである。
小生の街角探検においては、そんな骨董品の小品(例えばキセルや巾着など)を身に付けて歩くだけで魔法のランプの役目を果たしてくれている。
街角散策は、美術館や博物館での時系列に、あるいはテーマ毎に整然と陳列された作品群を鑑賞する味わいとは一線を画する、生きた魅力がある。
そして街角散策に付いてくる街角観察は、過去からの息遣いを現代に伝え、日々の生活の中で我々に何かをメッセージし続けているように受け取れる。
そのメッセージに気がつくか否かは、我々の目線と心構えによって分かれるところである。
建造物は私有財産であろうとも、その建造物が形成する環境は公共財産なのだ。
環境に優しく癒し効果の高い風光に不動産評価の比重を置く尺度があっても、矛盾はないのだから。
祇園新橋の景観とその利用は実に美味く出来ている例であろう。
時代の混在を飲み込み、調和とギャップの中に魅力的な新たな時代空間を作り出していって欲しいものだ。
京都市の石碑
http://www.asahi-net.or.jp/~nt4s-nki/sekihi.htm
酢屋
http://www.kyoto-suya.co.jp/suya/index.html
京都における歴史的建造物の保存と活用
http://www.kyobunka.or.jp/kaiho/index3.html
京都大骨董祭 (夢工房)
http://www.yumekoobou.com/saiji/index.htm
祇園新橋
http://www.kyo-taxi.com/tx_gionsinbasi/gionsinbasi.htm
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
部屋の中に居るより外気が恋しくなって、宛てなく小路を歩きだしてしまう。
見慣れた通りをブラブラ歩くだけでも、普段の目線を少し上下に変えてディティールを気にしてみると、たちまち歴史散歩になり、美術工芸散歩になる。そして、街そのものが劇場であることに気づく。
河原町通界隈の繁華なところを歩いていたら、「坂本竜馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑に出会った。両名が暗殺された「近江屋」の面影はない。その跡地には旅行会社があり、隣地との境界近くに石碑だけが残っている。その背後には海外旅行のパンフレットがラックに入り置かれている。これはとても滑稽だ。
河原町通を挟んだ丁度その東向かい側にある「中岡慎太郎寓居跡」の石碑は、現在はあぶらとり紙「象」さんの営業中の看板と肩を並べていたが、地面には仕切り枠が設けられ、いくばくかの配慮が感じられる。
繁華街で、歴史が現在生活者と共存し、共生することの難しさを感じる。
更に土佐藩にまつわるところを探せば、木屋町通に出て北に向うと立誠小学校跡前には「土佐藩邸跡」、更に北へ行くと「酢屋」、「池田屋騒動の碑」と続く。
勤王志士と新選組との間の、騒然とした幕末争乱期の様子が思い浮かんでくる。
京都はどこを歩いても数多くの石標を目に留めることができる。石標の数だけのドラマが各々に展開していると考えるだけで気が遠くなるほどである。
同じ河原町界隈であっても、時代が変わると背景、シーンは一変する。
「維新の道」は「お土居の道」となり、「東京極大路を外れる鴨の河原」へと遡るのだ。
自分の瞑想ひとつで、タイムトンネルを縦横無尽に駆け巡り、地の縁(えにし)と、其処に生きた人の体温を感じ取ることが出来るような気がする。
それには、必要なものがある。
町家の意匠や界隈の風光の有り様だ。
無粋なものは排除したくなる。
骨董市などに出かけ、在りし日の時代の断片に触れ、その時代の小道具や、代表的な意匠を持つモノを手に入れたくなるのも、その時代の価値を共有し、本物に同化したい欲求なのである。
小生の街角探検においては、そんな骨董品の小品(例えばキセルや巾着など)を身に付けて歩くだけで魔法のランプの役目を果たしてくれている。
街角散策は、美術館や博物館での時系列に、あるいはテーマ毎に整然と陳列された作品群を鑑賞する味わいとは一線を画する、生きた魅力がある。
そして街角散策に付いてくる街角観察は、過去からの息遣いを現代に伝え、日々の生活の中で我々に何かをメッセージし続けているように受け取れる。
そのメッセージに気がつくか否かは、我々の目線と心構えによって分かれるところである。
建造物は私有財産であろうとも、その建造物が形成する環境は公共財産なのだ。
環境に優しく癒し効果の高い風光に不動産評価の比重を置く尺度があっても、矛盾はないのだから。
祇園新橋の景観とその利用は実に美味く出来ている例であろう。
時代の混在を飲み込み、調和とギャップの中に魅力的な新たな時代空間を作り出していって欲しいものだ。
京都市の石碑
http://www.asahi-net.or.jp/~nt4s-nki/sekihi.htm
酢屋
http://www.kyoto-suya.co.jp/suya/index.html
京都における歴史的建造物の保存と活用
http://www.kyobunka.or.jp/kaiho/index3.html
京都大骨董祭 (夢工房)
http://www.yumekoobou.com/saiji/index.htm
祇園新橋
http://www.kyo-taxi.com/tx_gionsinbasi/gionsinbasi.htm
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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