昨夜はお送りなされただろうか。
東如意ヶ嶽の「大文字」、松ヶ崎西山・東山の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、
衣笠大北山の「左大文字」と「鳥居」。
そもそも五山の送り火では、「大」は人を、「鳥居」は神道を、「妙法」は仏教を、「舟形」は船をあらわし、神道の人も仏教徒の人も全部が船に乗って、安らかに天界へお帰りくださいという意味があるらしい。
また、昨夜燃された護摩木の「から消し(残り炭のこと)」を半紙に包み、門口に吊るすと厄除けとなり、腹痛のときには煎じて飲めと、言い伝えられている。ともあれ、京都四大行事の一つである「五山の送り火」は、地域の人達の手で守られ続け、無形民俗登録文化財に指定されている。
歴史を遡ると、「左大文字」を「天」とした時期もあるようだ。また五山に留まらず、北嵯峨の「蛇」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、市原の「い」、観空寺村の「長刀」などもあったらしい。
さて、「五山の送り火」を終えたとはいえ、冥土に帰られてない「お精霊(しょらい)さん」がいるようだ。さすれば、「最後の送り火」が必要となる。貴方のご先祖はいかがだろうか。
それが嵯峨薬師寺で行われる24日の地蔵盆である。
地蔵尊の前には、「湯葉でこさえられた帆の立っている七種(なないろ)の野菜の船(かぼちゃの舟に湯葉の帆)」が供えられている。この船に「お精霊さん」を乗せて、彼岸へ送りだすという信仰である。この時の火が京都最後の送り火となるのだ。
嵯峨薬師寺は、「死の六道」珍皇寺に対して「生の六道」と言われている。
冥土へ行くことを「死ぬ」、冥土からこの世に戻ることを「生まれる」と考え
、嵯峨薬師寺が「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界)」からの出口であることから、「生六道(しょうろくどう)」と呼ばれ、嵯峨薬師寺の地蔵尊は「生六道地蔵菩薩」と崇められている。
そして、平安の歌人小野 篁(たかむら)は毎夜「死の六道」である六道珍皇寺の空井戸から冥土へ出かけて閻魔王を助け、朝になると、「生の六道」である嵯峨六道町の福生寺(現在の嵯峨薬師寺)にある空井戸からこの世へ戻ってきていた、との伝説はあまりにも有名である。
嵯峨薬師寺の地蔵盆での法要の最中、京の町々では町内の地蔵尊を囲み子供達が遊んでいる。毎月24日が地蔵尊の縁日ではあるが、8月の縁日については同月の盂蘭盆の呼び名に因んで、特に「地蔵盆」と呼んでいる。「地蔵盆」は京都を中心に関西ではとても盛んな行事である。
小生の幼少の頃は、自分の名の入った提灯を探しながら、お供物のおさがりが配られるのを楽しみに待っていたものだ。
生六道地蔵菩薩の法要後、嵯峨薬師寺本堂前では一年間に回向した経木(水塔婆)が梵かれると、七種の帆掛舟に乗ったお精霊さんもお帰りになり、この火が尽きると、京のお盆の行事も全て終わり、夏も過ぎて行くのである。
生六道地蔵菩薩像 (京都・嵯峨薬師寺)
http://yotsuba.saiin.net /~saga/yakusiji/hondou.html
京都の地蔵盆 (平安京探偵団)
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki26.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
東如意ヶ嶽の「大文字」、松ヶ崎西山・東山の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、
衣笠大北山の「左大文字」と「鳥居」。
そもそも五山の送り火では、「大」は人を、「鳥居」は神道を、「妙法」は仏教を、「舟形」は船をあらわし、神道の人も仏教徒の人も全部が船に乗って、安らかに天界へお帰りくださいという意味があるらしい。
また、昨夜燃された護摩木の「から消し(残り炭のこと)」を半紙に包み、門口に吊るすと厄除けとなり、腹痛のときには煎じて飲めと、言い伝えられている。ともあれ、京都四大行事の一つである「五山の送り火」は、地域の人達の手で守られ続け、無形民俗登録文化財に指定されている。
歴史を遡ると、「左大文字」を「天」とした時期もあるようだ。また五山に留まらず、北嵯峨の「蛇」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、市原の「い」、観空寺村の「長刀」などもあったらしい。
さて、「五山の送り火」を終えたとはいえ、冥土に帰られてない「お精霊(しょらい)さん」がいるようだ。さすれば、「最後の送り火」が必要となる。貴方のご先祖はいかがだろうか。
それが嵯峨薬師寺で行われる24日の地蔵盆である。
地蔵尊の前には、「湯葉でこさえられた帆の立っている七種(なないろ)の野菜の船(かぼちゃの舟に湯葉の帆)」が供えられている。この船に「お精霊さん」を乗せて、彼岸へ送りだすという信仰である。この時の火が京都最後の送り火となるのだ。
嵯峨薬師寺は、「死の六道」珍皇寺に対して「生の六道」と言われている。
冥土へ行くことを「死ぬ」、冥土からこの世に戻ることを「生まれる」と考え
、嵯峨薬師寺が「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界)」からの出口であることから、「生六道(しょうろくどう)」と呼ばれ、嵯峨薬師寺の地蔵尊は「生六道地蔵菩薩」と崇められている。
そして、平安の歌人小野 篁(たかむら)は毎夜「死の六道」である六道珍皇寺の空井戸から冥土へ出かけて閻魔王を助け、朝になると、「生の六道」である嵯峨六道町の福生寺(現在の嵯峨薬師寺)にある空井戸からこの世へ戻ってきていた、との伝説はあまりにも有名である。
嵯峨薬師寺の地蔵盆での法要の最中、京の町々では町内の地蔵尊を囲み子供達が遊んでいる。毎月24日が地蔵尊の縁日ではあるが、8月の縁日については同月の盂蘭盆の呼び名に因んで、特に「地蔵盆」と呼んでいる。「地蔵盆」は京都を中心に関西ではとても盛んな行事である。
小生の幼少の頃は、自分の名の入った提灯を探しながら、お供物のおさがりが配られるのを楽しみに待っていたものだ。
生六道地蔵菩薩の法要後、嵯峨薬師寺本堂前では一年間に回向した経木(水塔婆)が梵かれると、七種の帆掛舟に乗ったお精霊さんもお帰りになり、この火が尽きると、京のお盆の行事も全て終わり、夏も過ぎて行くのである。
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