山菜は天ぷらにするか、酢の物にするかで、一番の季節感を味わえるように思っていた。
ところが、サラダが最も美味いと聞いた。何はともあれ、山菜サラダを作ってみることにした。勿論我流である。
まず、うど・こごみ・ワラビ・たらの芽・ぜんまいを大鉢に盛り、オリーブ油と柚の絞り汁をかけ、松の実とクコなどの木の実とチーズ蒲鉾の薄切りを混ぜ合わせた。
一人悦に入る。
少々癖のある味わいが堪らなく良かった。旬の山菜は生か、せいぜい軽く茹でる位でいただくのが風味を損なわないので、これが最高の贅だと思った。
しかし、鞍馬や美山、更に久多まで行くと、煮炊き物や佃煮にされたものにも出会う。昔は村落の保存食としてもっぱら常食されていたものだろう。
佃煮には、蕗や山椒、しめじ類が多く見受けられる。まさしくこれ等も山菜であろう。葉山椒、実山椒は言うに及ばず、花山椒の佃煮などは量も少なく高価である。
高価になるとカテゴリーを決めたくなるのが、小生の悪癖である。一体、京佃煮は精進料理の一種か、お番菜か、どちらなのだろうか。山菜料理なども京料理か、お番菜か、どちらの範疇なのか決めたくなり、解らなくなるのと同様だ。
京佃煮は京佃煮。山菜料理は山菜料理。これでもいいのだが。
今では、創作料理という単語があるので、物によってはこの部類に入れる手も
あるので便利なものだ。
しかし、時代を遡れば全て「お番菜(おばんざい)」であったと考えて良い。
何故なら、惣菜、おかずであること。ハレの日にいただくものでなく、日々の常食であった筈であるから。
広辞苑によると「番」とは『(多数備えて番号を付けておく意から)常用の粗
末なものに冠する語。「番傘・番茶」』とある。
野菜・山菜などを素材とした京の日常的な家庭料理が「お番菜」と呼ばれている由縁も、それらに準じているからである。近年、山菜が稀少になってきたことから高級感を持っているが、元はといえば自然に生える野草である。
お番菜は、旬の食材を無駄なく使いこなし、健康への気づかいが込もっていて、豪華ではないけれど、知恵を絞った京女の始末のよさを見事に象徴していると思う。
それは、代々伝えられてきたおふくろの味で、しみじみとした美味しさを感じさせてくれる。まさに日本人の味覚の原風景そのものである。
そんな原風景の山菜やお番菜を提供しているところがある。
それは、日本料理店・京都銀閣寺「なかひがし」である。ご存知の方も多いであろう。主人中東久雄氏は「野菜や山菜の声を聞いて料理をつくる」と、「草菜根(文化出版局版)」に記されている。
季節を綺麗に飾り立てた京料理でもない。贅を尽くし、目新しく旨いものを並
びたてる訳でもない。人の気持ち癒してくれる料理と言うのが的確だろう。
彼は花背「美山荘」の摘草料理の流れを汲む独自の料理を生んだのである。
「草を食む」と書いて「草喰(そうじき)料理」と呼ばれている「なかひがし」は、京都で一番予約がとりにくい日本料理店として、今も人気を博しているようだ。
「鉢物のお番菜」の後に出される最後の一品は京番茶と金平糖であるが、予約が取れるのはいつの事か。
あまごと山菜料理 (京花背 桂雅堂)
http://www7.plala.or.jp/keigado/
なかひがし<銀閣寺>
(impromptu
mew)
http://hw001.gate01.com/impromptumew/naka.html
渡辺木の芽煮本舗
http://www.kyomeibutuhyakumikai.jp/watanabekinomenihonpo.htm
おばんざい<衣棚通御池上る>
http://www.leafkyoto.net/gourmet/detail.php3?inum=997
おばんざい ひめごぜん<先斗町歌舞練場北隣>
http://www.himegozen.jp/
おばんざい 和 <木屋町松原>
http://www.galu-kyoto.com/shop/0265_kazu/
おばんざいのレシピ 楽厨楽外
(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/culture/cook/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
ところが、サラダが最も美味いと聞いた。何はともあれ、山菜サラダを作ってみることにした。勿論我流である。
まず、うど・こごみ・ワラビ・たらの芽・ぜんまいを大鉢に盛り、オリーブ油と柚の絞り汁をかけ、松の実とクコなどの木の実とチーズ蒲鉾の薄切りを混ぜ合わせた。
一人悦に入る。
少々癖のある味わいが堪らなく良かった。旬の山菜は生か、せいぜい軽く茹でる位でいただくのが風味を損なわないので、これが最高の贅だと思った。
しかし、鞍馬や美山、更に久多まで行くと、煮炊き物や佃煮にされたものにも出会う。昔は村落の保存食としてもっぱら常食されていたものだろう。
佃煮には、蕗や山椒、しめじ類が多く見受けられる。まさしくこれ等も山菜であろう。葉山椒、実山椒は言うに及ばず、花山椒の佃煮などは量も少なく高価である。
高価になるとカテゴリーを決めたくなるのが、小生の悪癖である。一体、京佃煮は精進料理の一種か、お番菜か、どちらなのだろうか。山菜料理なども京料理か、お番菜か、どちらの範疇なのか決めたくなり、解らなくなるのと同様だ。
京佃煮は京佃煮。山菜料理は山菜料理。これでもいいのだが。
今では、創作料理という単語があるので、物によってはこの部類に入れる手も
あるので便利なものだ。
しかし、時代を遡れば全て「お番菜(おばんざい)」であったと考えて良い。
何故なら、惣菜、おかずであること。ハレの日にいただくものでなく、日々の常食であった筈であるから。
広辞苑によると「番」とは『(多数備えて番号を付けておく意から)常用の粗
末なものに冠する語。「番傘・番茶」』とある。
野菜・山菜などを素材とした京の日常的な家庭料理が「お番菜」と呼ばれている由縁も、それらに準じているからである。近年、山菜が稀少になってきたことから高級感を持っているが、元はといえば自然に生える野草である。
お番菜は、旬の食材を無駄なく使いこなし、健康への気づかいが込もっていて、豪華ではないけれど、知恵を絞った京女の始末のよさを見事に象徴していると思う。
それは、代々伝えられてきたおふくろの味で、しみじみとした美味しさを感じさせてくれる。まさに日本人の味覚の原風景そのものである。
そんな原風景の山菜やお番菜を提供しているところがある。
それは、日本料理店・京都銀閣寺「なかひがし」である。ご存知の方も多いであろう。主人中東久雄氏は「野菜や山菜の声を聞いて料理をつくる」と、「草菜根(文化出版局版)」に記されている。
季節を綺麗に飾り立てた京料理でもない。贅を尽くし、目新しく旨いものを並
びたてる訳でもない。人の気持ち癒してくれる料理と言うのが的確だろう。
彼は花背「美山荘」の摘草料理の流れを汲む独自の料理を生んだのである。
「草を食む」と書いて「草喰(そうじき)料理」と呼ばれている「なかひがし」は、京都で一番予約がとりにくい日本料理店として、今も人気を博しているようだ。
「鉢物のお番菜」の後に出される最後の一品は京番茶と金平糖であるが、予約が取れるのはいつの事か。
あまごと山菜料理 (京花背 桂雅堂)
http://www7.plala.or.jp/keigado/
なかひがし<銀閣寺>
(impromptu
mew)
http://hw001.gate01.com/impromptumew/naka.html
渡辺木の芽煮本舗
http://www.kyomeibutuhyakumikai.jp/watanabekinomenihonpo.htm
おばんざい<衣棚通御池上る>
http://www.leafkyoto.net/gourmet/detail.php3?inum=997
おばんざい ひめごぜん<先斗町歌舞練場北隣>
http://www.himegozen.jp/
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http://www.galu-kyoto.com/shop/0265_kazu/
おばんざいのレシピ 楽厨楽外
(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/culture/cook/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5161-050531-春
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