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例年の如く、木屋町二条を下がり、日本銀行の裏口にあたる「一の入船」にやってきた。高瀬川に浮かぶ十石舟に桜の景色を拝めるからだ。絵に成り過ぎるぐらいのこの光景は小生にとって毎年欠かせない。角倉了以を偲びながらしばし眺めを楽しみ、高瀬川沿いに御池通へと足を向けた。
意外なところで、大島桜らしき桜にばったりと出逢った。間違いなく真白い一重の花で、咲く花と一緒に若葉が付いているから間違いない。
木屋町御池の西南角から高瀬川に沿って、南に四本連なっている。その足元には加賀藩屋敷跡の石碑が立っていた。
その四本に続いて咲き並ぶのは染井吉野である。その花の色の淡さは似ているが、見比べると、真白い白と桃色っぽい淡い白で、明らかに色が違うことがわかる。勿論、咲いている染井吉野には若葉はついておらず花ばかりである。
遠目には区別がつかない人も多いだろう。否、近くを通っている小生でさえ、
今まで、この辺りは染井吉野とばかり思い込んでいたのである。
この大島桜の花が散って葉桜になった時に、再度足を運ぶつもりである。
なぜなら、その若葉をこの目で確かめたいからである。大島桜の若葉は無毛で光沢が良いのが特徴で、葉のしなやかさと香りが、道明寺餅(桜餅)に欠かせないというからだ。染井吉野の葉では、葉ごとその餅を食べることはできないらしい。まこと大島桜なら、その葉を数枚漬けてみたいと思っている。
桜餅といえば、嵐山の花見に行かなくてはと結び付けてしまう。それ程までに土産屋や茶店に桜餅が並ぶからで、古くから桜餅の専門店もあり、すっかり定着しているからであろう。
この季節に桜餅を出しているお店が嵐山商店街では10軒を超える。
中でも年中定番として販売している嵐山桜餅ご三家は外せない。
天竜寺を超えて北西側「嵐山さ久らもち 鶴屋寿」、渡月橋北西たもと「本家櫻もち本舗 琴きき茶屋」、天竜寺向「嵐山桜餅専門店 稲」、この三軒のそれぞれの桜餅を朝昼晩と食べ分けてみるのも一手である。
さて、ポピュラーな嵐山の花見は、保津川下りの舟遊びをフィーチャーするコース、嵯峨野めぐりをフィーチャーするコースなど悩むところだが、観光情報誌などで下調べして頂きたい。
花見気分ではなく桜見をされたいなら、「天竜寺の紅枝垂」「祇王寺の祇王桜」「二尊院の普賢桜」「大沢池の後水尾桜」が押さえ所である。他は外してもこれらの桜の感動を持ち帰れば、嵐山桜先生として話ができる。
嵐山の桜は鎌倉時代に後嵯峨上皇が吉野の山桜を移植されたことに始まる。桂離宮亀山殿の背後にあたる嵐山を薄桃色に飾り花見を楽しもうとされたものだ。
現在、嵐山の山桜は現在5500本を数え、周辺各社寺の桜を見ずとも桜見を満喫させ、かつ周辺に借景を与えている。
嵐山も然ることながら、安土・室町時代には足利善政等は度々「大原野」への桜狩を豪奢に行っている。
西の嵐山から更に南下した地点、現在の長岡京市の北、向日市の西に当たる西京区である。
桃山時代に豊臣秀吉の大花見会が行われた醍醐寺とは、地図上名神南インターを中心におおよそ左右対称の位置となる。
小生なら喧騒の嵐山を避け、この辺りの西山に照準を合わせ、桜見の場所を選ぶ。
元来、洛西大原野は、長岡京遷都の折より、平安時代にも桓武天皇を始め藤原道長など皇族、公家が鷹狩、狩猟を楽しんだ地である。
奈良春日神社から分霊分祀された大原野神社の桜並木の参道を進むと、白い花を咲かす「千眼桜」という枝垂桜の古木が待っている。
また、隣接する勝持寺(しょうじじ)は「花の寺」と呼ばれ、歌人西行法師(1118〜1190)が植えたと言われている「西行桜」があり、寺内一帯が500本近い桜の花で覆い尽くされる。
この辺りには、都の王城鎮護を願う経典が埋められた西の要「金蔵寺」や徳川五代将軍の母堂桂昌院が植えた樹齢300余年の枝垂桜を有す「善峰寺」などもあり、都人にとっても西の重要な場所であった。
「桜狩」に留まらず「紅葉狩」の行楽地として歴史に残り、平安人の「歌枕の里」であったこの地を、訪ずれる人は意外と少ない。
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ (西行法師)
嵯峨嵐山・おもてなし帳 (嵯峨嵐山おもてなしビジョン推進協議会)
http://www.arashiyama-kyoto.com/
京都大原野の桜狩 (関西史跡散策会)
http://kansai-mituwakai.cool.ne.jp/kss/reikai0448.htm
春の大原野、お花見コース(JR東海)
http://souda-kyoto.jp/tokusyu/spring/2014/con_02.html
醍醐寺の桜 (醍醐寺)
https://www.daigoji.or.jp/flowers/flowers_detail1.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
意外なところで、大島桜らしき桜にばったりと出逢った。間違いなく真白い一重の花で、咲く花と一緒に若葉が付いているから間違いない。
木屋町御池の西南角から高瀬川に沿って、南に四本連なっている。その足元には加賀藩屋敷跡の石碑が立っていた。
その四本に続いて咲き並ぶのは染井吉野である。その花の色の淡さは似ているが、見比べると、真白い白と桃色っぽい淡い白で、明らかに色が違うことがわかる。勿論、咲いている染井吉野には若葉はついておらず花ばかりである。
遠目には区別がつかない人も多いだろう。否、近くを通っている小生でさえ、
今まで、この辺りは染井吉野とばかり思い込んでいたのである。
この大島桜の花が散って葉桜になった時に、再度足を運ぶつもりである。
なぜなら、その若葉をこの目で確かめたいからである。大島桜の若葉は無毛で光沢が良いのが特徴で、葉のしなやかさと香りが、道明寺餅(桜餅)に欠かせないというからだ。染井吉野の葉では、葉ごとその餅を食べることはできないらしい。まこと大島桜なら、その葉を数枚漬けてみたいと思っている。
桜餅といえば、嵐山の花見に行かなくてはと結び付けてしまう。それ程までに土産屋や茶店に桜餅が並ぶからで、古くから桜餅の専門店もあり、すっかり定着しているからであろう。
この季節に桜餅を出しているお店が嵐山商店街では10軒を超える。
中でも年中定番として販売している嵐山桜餅ご三家は外せない。
天竜寺を超えて北西側「嵐山さ久らもち 鶴屋寿」、渡月橋北西たもと「本家櫻もち本舗 琴きき茶屋」、天竜寺向「嵐山桜餅専門店 稲」、この三軒のそれぞれの桜餅を朝昼晩と食べ分けてみるのも一手である。
さて、ポピュラーな嵐山の花見は、保津川下りの舟遊びをフィーチャーするコース、嵯峨野めぐりをフィーチャーするコースなど悩むところだが、観光情報誌などで下調べして頂きたい。
花見気分ではなく桜見をされたいなら、「天竜寺の紅枝垂」「祇王寺の祇王桜」「二尊院の普賢桜」「大沢池の後水尾桜」が押さえ所である。他は外してもこれらの桜の感動を持ち帰れば、嵐山桜先生として話ができる。
嵐山の桜は鎌倉時代に後嵯峨上皇が吉野の山桜を移植されたことに始まる。桂離宮亀山殿の背後にあたる嵐山を薄桃色に飾り花見を楽しもうとされたものだ。
現在、嵐山の山桜は現在5500本を数え、周辺各社寺の桜を見ずとも桜見を満喫させ、かつ周辺に借景を与えている。
嵐山も然ることながら、安土・室町時代には足利善政等は度々「大原野」への桜狩を豪奢に行っている。
西の嵐山から更に南下した地点、現在の長岡京市の北、向日市の西に当たる西京区である。
桃山時代に豊臣秀吉の大花見会が行われた醍醐寺とは、地図上名神南インターを中心におおよそ左右対称の位置となる。
小生なら喧騒の嵐山を避け、この辺りの西山に照準を合わせ、桜見の場所を選ぶ。
元来、洛西大原野は、長岡京遷都の折より、平安時代にも桓武天皇を始め藤原道長など皇族、公家が鷹狩、狩猟を楽しんだ地である。
奈良春日神社から分霊分祀された大原野神社の桜並木の参道を進むと、白い花を咲かす「千眼桜」という枝垂桜の古木が待っている。
また、隣接する勝持寺(しょうじじ)は「花の寺」と呼ばれ、歌人西行法師(1118〜1190)が植えたと言われている「西行桜」があり、寺内一帯が500本近い桜の花で覆い尽くされる。
この辺りには、都の王城鎮護を願う経典が埋められた西の要「金蔵寺」や徳川五代将軍の母堂桂昌院が植えた樹齢300余年の枝垂桜を有す「善峰寺」などもあり、都人にとっても西の重要な場所であった。
「桜狩」に留まらず「紅葉狩」の行楽地として歴史に残り、平安人の「歌枕の里」であったこの地を、訪ずれる人は意外と少ない。
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ (西行法師)
嵯峨嵐山・おもてなし帳 (嵯峨嵐山おもてなしビジョン推進協議会)
http://www.arashiyama-kyoto.com/
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http://kansai-mituwakai.cool.ne.jp/kss/reikai0448.htm
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http://souda-kyoto.jp/tokusyu/spring/2014/con_02.html
醍醐寺の桜 (醍醐寺)
https://www.daigoji.or.jp/flowers/flowers_detail1.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5165-160414-4月
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互いに合掌
西行桜といえば……
- 旬の桜を求めて
京の東西南北いたるところ銘木、名水、うまいものあり