連日の猛暑に、暑気払いをいかがされているだろうか。
今夏の土用の丑の日は、7月24日と8月5日と聞くが、鰻でスタミナをつけて暑い時期を乗り切る習わしは定着している。
この習わしは、江戸時代、商いが思うようにならない鰻屋が平賀源内(1728〜1780)の勧めで、「本日丑の日」と書いて店先に貼り大繁盛したということに始まっている。
それはよく知られている話だが、江戸時代の庶民に伝わる鰻の力を認めている和歌が、奈良時代の万葉集にも収められている。おそらく、その和歌を平賀源内は知っていたのであろう。
「石麻呂に吾(われ)物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ」
<万葉集巻十六の3853>
「痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると川に流るな」
<万葉集巻十六の3854>
いずれも大伴 家持(おおとも の やかもち/718〜785)の詠んだ和歌である。
鰻が古くから夏のスタミナ源として、好んで食されていたことが良くわかる。
さて、京都では、この土用の丑の日に、平安時代より下鴨神社の御手洗の池に祀られている末社井上社(通称/御手洗社)において、「御手洗祭(通称/足つけ神事)」として夏越の例祭が行われている。
境内の御手洗川を、曲橋(そりはし/輪橋)手前から足を膝まで浸しながら歩き、曲橋を潜り、潜ったところで蝋燭に火を灯し、御手洗の池の社殿で献灯し、罪穢れを払い流し、無病息災を祈願するのである。そして、柄杓(ひしゃく)で「鴨のくぼて」にご神水を注いで貰い、飲み干すと、無病息災、延命長寿が叶うと信仰されている。
御手洗の池の南庭は、葵祭の斎王代が禊をされるお祓いの場所で、よくご存知のところであろう。
もっとご存知のものがある。
それは、神前にお供えられている御手洗祭の神饌菓子である。
それは今や、スーパーやコンビニでも見受ける「みたらし団子」である。
もっとも、下鴨神社の「みたらし団子」は、一串に五つの団子(五十串)で、竹串の先にひとつ、少し間隔を空けて四つが刺され、人の頭と手足を模(かたど)っていると言われ、関西の「みたらし団子」の原型である。
古くは、お供えして祈念された団子を家に持ち帰り、醤油を付けて火に炙(あぶ)って食べ、厄除けにされていたと聞く。
そもそも、「みたらし団子」は、鎌倉時代後期に、後醍醐天皇が下鴨神社の境内の御手洗の池で禊の水をすくったところ、最初に泡がひとつ浮き上がり、少し間をおいて四つの泡が浮き上がったことから、その泡を団子に見立てて作られたと伝わる。
上七軒の五つ団子の紋章も有名だが、これは桃山時代の北野の大茶会の折、豊臣秀吉に献上された御手洗団子で、茶屋を始め「みたらし団子」を商う特権を得た縁の紋である。この時のタレも生醤油の付け焼きで、京の菓子として名を轟かしていった。
現在の甘ダレの起源は、大正時代になってから、醤油と黒砂糖に葛を使った秘伝の甘ダレが考え出されたもので、下鴨神社向かいの「加茂みたらし茶屋 亀屋栗義(左京区下鴨宮崎町)」の初代の手によるものである。
「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と言うが、滅却せずとも御手洗川の水は痛いぐらいに冷たい。夏越の禊払いには足を川に浸し、みたらし団子を頂き無病息災を祈願し、土用の鰻でスタミナをつけてはいかがだろう。
ヒートアイランドのエアコンに頼りすぎては病になってしまう。
ウナギ雑学 (うなぎミュージアム)
http://www.hamanako.com/unagi/etc/09.html
2005御手洗祭り (うろちょろ京都)
http://www.eonet.ne.jp/~arajin-com/mitarashi.htm
御手洗祭り・足つけ神事
http://homepage2.nifty.com/parad/mitarashi/mitarashi1.htm
下鴨神社
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
みたらし団子(辻調グループ校)
http://www.tsuji.ac.jp/hp/dango/mitarashi/column.htm
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
今夏の土用の丑の日は、7月24日と8月5日と聞くが、鰻でスタミナをつけて暑い時期を乗り切る習わしは定着している。
この習わしは、江戸時代、商いが思うようにならない鰻屋が平賀源内(1728〜1780)の勧めで、「本日丑の日」と書いて店先に貼り大繁盛したということに始まっている。
それはよく知られている話だが、江戸時代の庶民に伝わる鰻の力を認めている和歌が、奈良時代の万葉集にも収められている。おそらく、その和歌を平賀源内は知っていたのであろう。
「石麻呂に吾(われ)物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ」
<万葉集巻十六の3853>
「痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると川に流るな」
<万葉集巻十六の3854>
いずれも大伴 家持(おおとも の やかもち/718〜785)の詠んだ和歌である。
鰻が古くから夏のスタミナ源として、好んで食されていたことが良くわかる。
さて、京都では、この土用の丑の日に、平安時代より下鴨神社の御手洗の池に祀られている末社井上社(通称/御手洗社)において、「御手洗祭(通称/足つけ神事)」として夏越の例祭が行われている。
境内の御手洗川を、曲橋(そりはし/輪橋)手前から足を膝まで浸しながら歩き、曲橋を潜り、潜ったところで蝋燭に火を灯し、御手洗の池の社殿で献灯し、罪穢れを払い流し、無病息災を祈願するのである。そして、柄杓(ひしゃく)で「鴨のくぼて」にご神水を注いで貰い、飲み干すと、無病息災、延命長寿が叶うと信仰されている。
御手洗の池の南庭は、葵祭の斎王代が禊をされるお祓いの場所で、よくご存知のところであろう。
もっとご存知のものがある。
それは、神前にお供えられている御手洗祭の神饌菓子である。
それは今や、スーパーやコンビニでも見受ける「みたらし団子」である。
もっとも、下鴨神社の「みたらし団子」は、一串に五つの団子(五十串)で、竹串の先にひとつ、少し間隔を空けて四つが刺され、人の頭と手足を模(かたど)っていると言われ、関西の「みたらし団子」の原型である。
古くは、お供えして祈念された団子を家に持ち帰り、醤油を付けて火に炙(あぶ)って食べ、厄除けにされていたと聞く。
そもそも、「みたらし団子」は、鎌倉時代後期に、後醍醐天皇が下鴨神社の境内の御手洗の池で禊の水をすくったところ、最初に泡がひとつ浮き上がり、少し間をおいて四つの泡が浮き上がったことから、その泡を団子に見立てて作られたと伝わる。
上七軒の五つ団子の紋章も有名だが、これは桃山時代の北野の大茶会の折、豊臣秀吉に献上された御手洗団子で、茶屋を始め「みたらし団子」を商う特権を得た縁の紋である。この時のタレも生醤油の付け焼きで、京の菓子として名を轟かしていった。
現在の甘ダレの起源は、大正時代になってから、醤油と黒砂糖に葛を使った秘伝の甘ダレが考え出されたもので、下鴨神社向かいの「加茂みたらし茶屋 亀屋栗義(左京区下鴨宮崎町)」の初代の手によるものである。
「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と言うが、滅却せずとも御手洗川の水は痛いぐらいに冷たい。夏越の禊払いには足を川に浸し、みたらし団子を頂き無病息災を祈願し、土用の鰻でスタミナをつけてはいかがだろう。
ヒートアイランドのエアコンに頼りすぎては病になってしまう。
ウナギ雑学 (うなぎミュージアム)
http://www.hamanako.com/unagi/etc/09.html
2005御手洗祭り (うろちょろ京都)
http://www.eonet.ne.jp/~arajin-com/mitarashi.htm
御手洗祭り・足つけ神事
http://homepage2.nifty.com/parad/mitarashi/mitarashi1.htm
下鴨神社
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
みたらし団子(辻調グループ校)
http://www.tsuji.ac.jp/hp/dango/mitarashi/column.htm
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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